富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-12-12

十二月十二日(火)晴れがましい場かなり苦手だが今晩、日頃敬愛する方の誕生日パーティあり。がそんな日にかぎって万年筆のインクでシャツの袖を汚し慌てて染み抜き試みるが当然ブルーブラックのインキはうっすらと青痣の如く残り背広の袖で隠れはしてもパーティで杯をもてば白のシャツで目出つ場所。誕生日のお祝いに汚れたワイシャツは失礼で帰宅して着替える暇もなく諸用で外出の折にちょうどシャツ屋を通りかかり思わずシャツ一枚お買い上げ。そういえば先考の形見がカフス鈕、机中にあった、とこれも親の供養と(じつに勝手)。で、ご招待いただきアイランドシャングリラホテルでの宴会の末席を汚す。お誕生日なのだからお誕生のその方の功徳など多少は話題になるかと思ったが誰彼全くそれに言及せず。思いがけず旧知の方々数多くに再会は感激も一入なり。中文大学のM教授と「李嘉誠の次男」改めRichard李澤楷氏の今後の戦略は何か?と語る。独りバーSに口開けで一飲。Auchroiskの10年物をクラッシュアイスで一杯。それにMilroyなる瓶詰屋によるマッカラン25年物を一杯。帰宅。本日、富柏村サイトが過去の出稿記事のjpgファイルと日剰の無駄なほど多い画像の累積で容量が250MBを超えサイト運営費も一年で考えると「こりゃたまらん」状態で画像をflickrにとりあえず今月分だけ移してみる。それだけで3MBも稼ぎ、しばらく時間は要しようが画像移すことでどうにか150MBまでダイエットしようと考える。Dalmoreを飲みながら高田竹山の五體字類をパラパラと眺める。大槻文彦博士の序文があることに初めて気づく。その祖父の遺した五體字類の頁間にメモ数葉挟まっている。大正五年初版のこの字典の昭和十一年・第十一版だがメモは昭和二十五年の東部瓦斯の請求書の裏書で「壽康子孫」という四字が鉛筆で書かれ、篆刻で「康」の字をどう描くか、の発案中のメモ書きであった。子どもの頃に幅五尺ほどの見事な、初世中村蘭臺による篆刻の「壽康子孫」の四文字を見上げていたこと思い出す。大槻博士の「序」が面白かったので冨山房の「大言海」の大槻文彦博士の「本書編纂に當りて」の長文の序も読む。まことに面白い。通常の刊行に際しての序文の常識を越えて大槻博士の言葉談義の妙。例えば「イチョウ」について記述あり。イチョウは銀杏、公孫樹と書くが支那で「やちやお」とそれを呼んだのを聞いたのは漢字で「鴨脚」ya jiao がそれ。日本のイチョウの樹が古くても樹齢七百年代なのは鎌倉の頃に日本に大陸から運ばれたからで、「鴨脚」当時の宋音では「いちょう」で、これが日本語になったもの、と(宋音も臨済宗曹洞宗では発音が違うという)。そのイチョウの実を銀杏というが、これも「銀杏」を宋音で読めば「ぎんあん」で音便で「ぎんなん」。つまり「イチョウ」というのは樹木の名、その実が「ぎんなん」で、その漢字の「銀杏」を「イチョウ」の字に当てた、とはなるほど面白い。

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