富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-12-11

十二月十一日(月)諸事忙殺され晩に至りさすがにふだんあまり量は飲まぬ葡萄酒を二日間たっぷりといただき流石に今晩は休刊日と決め更に週末たらふく食べて夕食すら要らぬかと思っていたところにバーSの亭主M氏より携帯に伝言ありちょっとお願いがあるので電話いただきたい、と。で電話するのも野暮とバーS。空っぽの胃にドライマティーニとハイランドモルトAberlour 15年が染み渡る。今晩、Z嬢は香港粛邦社(HK Chopin Society)催の Ilya Rashkovskiy君のピアノコンサート観賞。最近の香港の音楽会の癌は学校の芸術の教科での課題なのか「音楽会観賞しレポート書く」ために音楽会に来る子どもら。子どもらが好きで音楽鑑賞は良いが所詮、音楽など興味もないガキが集団で教員の同伴もなく音楽会に来るから始末におえず。ガサガサ、ひそひそと五月蝿く運悪く隣席にガキども陣取られたZ嬢が注意するが所詮バカなガキらは聞く耳もたず。周囲の客に舌打ちなどされても屁の河童。そこで登場が香港ショパンソサエティ主席であるAndrew F. Freris博士。昨年この団体が主催した第1回香港ピアノ国際コンクールで、このFreis博士、とにかく舞台で口上が長い(笑)。今晩も Ilya Rashkovskiy君演奏前に曲目の聞き所などかなり講釈たれた由。ちょっとそれも客として迷惑な時もあるが今晩はFreis博士、休憩になるとこのガキらのところに現われ「音楽を聴くが、さもなくばこの会場から外に出るか、いずれかにしたまえ!」と一喝。「音楽を聴く前にマナーを学ばねばならない」と。御意。さすがにガキどもこのFreis博士の指導にたじたじで静かにしていた、とZ嬢。美談。大人はこうでなければならない。で香港ショパンソサエティの主席で生計立てている筈もなく調べてみればFreis博士、BNP Paribas(仏国巴黎銀行)のアジア太平洋地区の首席エコノミストの要職の由。BNP Paribasといえば香港の店はExchange Square Tower-1の在香港日本国総領事館が46、47階にあるが、その楼上のトップフロアにあるほどの店構え。
▼先週土曜の信報の文化欄に「書肆尋幽行」という記事あり。香港の個性的な小書店、通常、店舗が二階にあるため二楼書店と呼ばれるのだが、香港バブルの崩壊で貸店舗の賃貸価格下がり二楼書店もかなり出来たが復た賃貸料高騰で五十年の歴史あるような老舗書店も経営困難。この記事によれば旺角の新亜書店(洗衣街、中旅近く)こそ変わらぬがNelson街の精神書店は家賃が月HK$14千が一挙にHK$14万要求され(出ていけ通告)西環に移ったそうで(調べてみると西環屈地街28號、他に北角Java Rd24號建築大廈G階にも分店あり)、中環の陸羽茶室の並びにあった神州書店は古書よか文房四宝で有名であったが、この書店も半年ほど前に失せたが擺花街の雑居ビルに移転した由。いずれも個性的な趣味人の書店ながら当然、経営は厳しく湾仔の青文書店も昨年だったか惜しまれつつなくなる。
加藤周一先生が十一月廿八日の朝日新聞夕陽妄語」に愛国心についてハイネの「むかし僕には美しい祖国があった」という言葉を引いて
われわれも安倍首相と共に「美しい国」をつくろう。信州のカラ松林と、京都の古い町並みを保存し、人麻呂や芭蕉が残した日本語を美しく磨こう。そのとき愛はおのずから起こるだろう。そして尊大な、誇大妄想的な、殺伐で同時に卑屈なナショナリズムを捨てればよい。そうすれば憲法を改める必要もなくなるだろう。
と書いている。安倍三世の「美しい国」への皮肉、本来は自然であるはずの「愛」はその通りだが、「殺伐で同時に卑屈なナショナリズムを捨てれば」憲法を改める必要もなくなる、と悠長なことを言ってはおれまいに。大江健三郎氏もその数日前の同じ朝日に「日本人が議論するということ 忘却とそれに抗する意識」という文を寄せ、<核武装>が政治の俎上に載ろうものなら
日本人の意識に底流していた広島・長崎の経験が一挙に表層に出て、めざましい反撃をなしうることを信じている。被爆者たちは無私の大きい努力を重ねてきたんだから。それは日本人が忘れることじゃない。(改行)あなたは、憂い顔でいながら、楽観的ですね、という青年に私は答えました。エドワード=サイードの、「意識的な楽観主義」という晩年の信条に、学ぼうとしているんですよ。
と書いている。もし<核>に対して日本人が心底、絶対にダメなものはダメ、という認識があったら外相麻生某らの核武装「議論」とて許されぬはず。しかし核武装「議論」に積極的な自民党のセンセイたちが議員していられるのだってセンセイたちを皆で支持しているからでしょう。わたしは、広島・長崎の被爆を憎む人々の存在と、自民党のそういったタカ派の代議士に投票する人たちが、けして別々であるとは、どうも最近おもえないのです。同じ一人の<個>がその核廃絶タカ派議員への投票をしているのではないか。その大きな矛盾に<日本>があるのではないか、と思えてなりません(……あ、文体が大江健三郎になりそう)。だから大江先生ほどのアタシは被爆の経験のめざましい反撃、なんてものは期待できぬ。その上でそんな楽観主義なんて。皮肉っぽく言えば大江先生が悲観的でも楽観的でも戦後の結果はこのようにしかならかなった。それなら楽観的でいいのではないか、ってことか。
▼先週のいつだったかの信報に1971年の公立病院の看護婦らによる待遇是正要求のデモについての記述あり。当時、男性の看護士と給与格差あり当時の総督府目指す行列。これが香港で公務員による初のデモ行為だそうだが興味深いのはGarden Roadの坂を進む行列の写真。背景の建物は米国総領事館。よく見ると当時の建物は各階とも廊下は屋外で廊下に側して各部屋が並ぶ、香港の戦後代表するような近代建築。今ではこの様式は古い学校くらいにしか残っておらず。強い雨風だと廊下歩くのも厭うし湿っぽい香港では廊下がいつも濡れ室内の床も汚れる、といった不具合もあろうが、必要以上に冷房=電力消費もなし。今では城塞の如く「テロ」対策に厳重な米国総領事館であるが当時は米ソ対立の冷戦、しかもベトナム戦争の最中だというのにGarden Rdから眺めれば館員の各部屋への出入りまで手に取るようにわかったとは、のんびりした時代。というか何も変わっていないのだろう、ただ今は「テロの恐怖」なんて言葉が跋扈しているだけなの鴨。

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