富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月廿日(月)四国松山の山田屋まんじゅう、を頬張る。美味。晩にAberdeen(と聞くとどうもYellow Magic Orchestraを思い出してしまうのだが)香港仔の某所で開催された某パーティで末席を汚す。パーティ苦手で同行の氏2名と途中で遁走。Happy Valleyの寿司澄に食す。銅鑼湾に参りバーSに一飲。
▼安倍三世の教育再生会議で担当室長まで兼任するヤンキー義家弘介先生、かつては岩波『世界』などで国家権力による国旗国歌の押し付けに反対するような論調張っていたが今ではすっかり体制側。いじめ問題への対応に国の関与が必要との認識示し、産経新聞の取材に「教育委員会と教職員組合がなれないになっているのは健全ではない。教育委員会からいじめによる自殺が7年間ゼロという誰も信じない報告が上がってきても国は事実上何もできない。国がマニフェストを出させて(教育委員会から?)いい教育委員会を支援すべきだ」と宣われるのだが、義家先生にはまず、現行の教育委員会制度がどう民選制から任命制となったのか経緯を勉強していただきたいところ。また境域基本法改正反対などこれまでの論調を質されると
私が勤めていた北星学園余市高はそういう傾向の学校だ。しかし、いろいろな人と出会って疑問が出てきた。自由も権利も個性も、教育のスタートではなく結果だ。教育基本法を変えることで意識を変えるきっかけになる。それに、現行の基本法には家庭の責任が書かれていない。(国旗国歌の指導については)生徒に校内規則を順守させているのに、教師が学習指導要領に従わないのはおかしい。国旗国歌を教えるのは思想信条ではなく教育者としての責任だと、今は思う。
と。あのリベラルな主張は結局、自分自身の声ではなく所属校のカラーだったとは(嗤)。赤い水に泳げば赤く染まり青い水なら青く染まる、という、これは思想的「転向」以前のことか。国家と社会の規則である法律に、なぜ<家族>のことが謳われないといけないのか、法律がなぜ家族の範疇に可侵できるのか、基本的な法の知識もこの先生には欠如。国旗国歌については国旗国歌法制定時に小渕さんが「頭からの命令とか強制とか、そういう形で行われているとは考えておりません」と強調。最高法規たる憲法で思想信条の自由が謳われており、陛下の言われる通り「強制はよくない」の御言葉その一言に尽きる。であるから、それをそんな勝手に「教育者としての責任」なんて安易な妄想にて強制されては困る。また愛国心については
教育は「大切なものは何か」を示すことからしか始まらない。それは学校であり地域であり国だ。いじめが放置され、子供の安心、安全がおびやかされていては、子供たちに帰属意識は生まれない。そのためにも、いじめをなくさなければならない。
と宣われる。まるで本末転倒な認識。大切なものは何か。それは<己>、自分自身という個人。ヤンキー先生、たしか以前は「自分を大切に」とかおっしゃっていなかったか。大切なのは自分自身であり、その自分自身を守るために地域や社会があるはず(本来は)。帰属意識など、その地域や社会を維持するために「自分もその構成員である」というお約束事のために必要なだけのもの。帰属意識がなくても生きていけるなら、それはそれでよい。こんなレベルの人が教育者としてチヤホヤされるのだから呆れるばかり。
▼札幌の中学生が教育基本法改正案について阿倍三世に反対の声明文送ったところ「匿名の大人」から抗議文届く。この中学生らは自分たちで考えた結果(それが偏向教育だ、と指摘されるのだろうが)教育基本法改正は「愛国心を国民に強制するものだ」との結論に至り阿倍三世に手紙を送った由。
自分の国を大切にというのはいいが、間違った方向に進んでいるんじゃないか。改正反対の人はしょうがないと思っている。動かないとこのままですよね。
とこれくらい思考回路の開いていることは15歳に頼もしさすら感じるが、この少女に対して「安倍首相の送った中学生の意見書は何だ?、お前ら、学校で何を教えているんだ」とこの中学生の学ぶ学校に匿名のメール。その学校の教頭曰く「生徒が自分で関心を持って意見を表明したのは素晴らしい。いろいろな意見を封じ込める残念な反響だ」。愛国心の強制どころか自由な言論すら封殺するが如き風潮(道新記事)。ちなみにこの学校、ヤンキー先生が教鞭とった学校と同じ学校法人に属すプロテスタント校。高校時代に暴力事件起こし高校を放逐され親に絶遠されたヤンキー先生を救った母校を含め、この学校法人はもはや「偏向教育の拠点校」の如き色眼鏡で見られるのであろう。ヤンキー義家氏はその高校卒業後、やはり数少ないリベラルな校風誇る明治学院大学に入学。大学3年の時にだかオートバイ事故で内臓破裂。生死の境を彷徨うが恩師の「おまえは俺の夢なんだ」という励ましに感動し奇跡的に一命をとりとめた、というような美談もあり。その後、母校に教鞭をとり担任した学年で大麻吸引「事件」などで大量逮捕者出し(べつに大したことぢゃない)学校存続の危機に陥るが見事に生徒ら更生させヤンキー先生の名が全国に広まる。自意識過剰がかなり強いことだけは明らかなヤンキー先生。母校カラーの強い反体制的なヤンキー先生を取り込み手懐けた自民党政府は見事という他なし。もう一度、この学園の教育理念をよく読んでみたい。
本学は、プロテスタンティズムを建学の精神とする(略)。(略)基本は知的誠実である。それは、神の前で自己や自国を相対化し、謙虚に学びつづける姿勢である。「神を畏れることは知識の初めである」(旧約聖書箴言1章7節)。自他の人格の尊厳を知り、人間を何かの手段と見ないキリスト教的価値観が、本学の営みの根底に潜む。見識を備え責任を自覚し、社会に貢献する独立人を養成することが、本学の目標である。それは、抑圧や偏見から解放された広い学問的視野のもとに、異質なものを重んじ、内外のあらゆる人を隣人と見る開かれた人間である。そういう意味での自由を本学は目指している。
と。まさに個人の尊厳、自立の大切さ。そしてそれを維持するための自由。学園長先生は新約聖書ヨハネによる福音書8章32節を引く。
また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。

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