富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-11-02

十一月二日(木)長らくお待たせしました。やっとまた身体に暖かいものが流れだし、音楽がきこえてきた感じ。でも、これまでとちょっと違う……と吉田秀和先生が朝日新聞に「音楽展望」連載(季毎)再開。吉田先生敢えてもう今年は食傷気味のモーツァルト取上げる。半世紀前にワルター指揮の「フィガロの結婚」を紐育で聞いた、と語り始め、その対比にNikolaus Harnoncourtを突然挙げ、でワルターのアポロ的モーツァルトと反対にニーチェのデュオニソス的なもの、として昔「きいてしまった」ザルツブルグでのフルトヴェングラードン=ジョヴァンニを語る。話題は今年来日のメトロポリタン歌劇場、そして内田光子のピアノへと吉田先生の軽やかなスキップのような文章。モーツァルトに続いて語られたショスタコーヴィッチについて。
かつては「革命の賛歌」として多くの人を説得し感激させた第五交響曲や「戦争の残酷と惨禍の告発」として記念碑的作品とされた弦楽四重奏曲第八番などは、今は言い尽くせない複雑な思いを秘めた多面的多層的芸術としてきかれるようになった。また彼のヴァイオリン協奏曲第一番、第四、第十交響曲などからは「何と恐ろしい、助けてくれ。私だって普通に平穏に行きたいのだ!」という憤怒、呻き、悲鳴などが耳を塞いでもきこえてきはしまいか。
音楽展望は2003年の秋以来、実に三年ぶり。04年7月に「今は体の半分なくなったよう」と題して「音楽展望休みます」と前年11月に妻バルバラさん亡くした氏は連載再開が「せめて正月にならなければ、この先いつになるかわからない」と語られていたが、もしかするともう再開はないのではないか?と思ったのも事実。それが矍鑠としたお姿も今年は音楽会場で拝んだという人の話もあり。で朝日での連載再開の決定と文化勲章受賞の吉報。嬉しいかぎり。
Z嬢に「ハロウィン、見たい?」と言われ何かと思えばモーツァルトピアノソナタ連弾するアルゲリッチ女史とキーシン君。確かにハロウィンっぽいか……これはZ嬢購入したDVDでスイスのThe Verbier Festival & Academyの10周年記念Piano Extravaganzaのライブ版。バッハの4台のピアノとオーケストラのための交響曲、なんてピアノがアルゲリッチ女史、キーシン君にJames LevineとMikhail Pletnevの四人でオケはこのVerbier音楽祭の10周年Birthday Festival Orchestraで、さりげなくチェロでマイスキーなんていたり。10台のピアノでのロッシーニのSemiramide Overtureやワーグナーワルキューレなんかも圧巻。吉田秀和にこのPiano Extravaganza、水野晴郎的に目をきらきらさせて「音楽って本当にいいですねっ!」としか言いようなし。
▼無料雑誌「コンセルジュ香港」で唯靈氏によるレストラン紹介、沙田の龍華酒店の巻、驚くなかれローストの鳩が旅館の女将よろしく正座して三つ指つきお辞儀してお客様お迎えの姿勢。写真撮影だとここまでするのだろうか、と抱腹絶倒。これ見て「あら、ゴージャス」と思って龍華に赴けば、供された鳩の「火事場の焼死体」状態は驚くかしら。
自民党の良心、山崎拓さんが述べている。
憲法の定める言論の自由は、権力側が何でも言っていいということではない。閣僚や国会議員には憲法や条約順守の義務がある。「核武装には反対だが議論すべきだ」と言うなら、まず反対の理由を明確にすべきだ。核武装論には、戦前回帰の軍国主義思想が内包されているように思える。「核保有について大いに議論を」という発言をコントロールできないのは内閣不一致を問われても仕方がない。
▼畏友?達智君が重陽節の「拝山」について信報の随筆に語る。野山にある先祖の墓に参るのが「拝山」。拝山は新界の原住民にとって重要な伝統的風習で、東莞、寶安、つまり今の新界に住み着いた北宋は神宗(1048年-1085年)の頃からの祖墳があると言う、?達智君はその?家の第廿六代目宗主であるから、拝山せむと思えば廿五代それぞれの掃墓となるわけで中秋から重九(旧暦九月九日、重陽)まで広東から江西をずっと回らねばならず。達智君は張婉テイ(「女」扁に「亭」)と羅啓鋭の映画『我愛?紋柴』を見た達智君が懐かしくも笑ったのは周潤發演じる村長が集落の祠堂にある学校の教室で子供らに「男生回家拝山分猪肉、女生回家料理家務」と語る場面。それは多少の誇張もあるが当時の風景にもとづいたもので、達智君幼き頃に通った小学校は新界に初めてできた公立学校で屏山の?家の祠堂にあった屏山英文小学。のちに英国教育官員が華籍の子どもらが全部英語で教育を受けるのは学習進展に不利と判断し元朗に植民地様式建築の元朗公立小学校が開設される。当時の春分秋分の祖宗拝祭はそりゃ盛況で祠堂にあった学校は当然のように休校となり拝祭の空間となる。学校が新校舎に移ってからも地元の男の子は春分秋分に学校を休むのは公認、ただ映画のように「休校」は誇張。村には?姓以外の子もいるわけで「学校が休み」は本当の地元の子の特権であった、と。今では村校も閉鎖され春分秋分節句の祭こそ残るが昔とはだいぶ賑わいも異なる。かなりの数の同族がカナダや英国などに住まい子どもの数も減り仕事だ勉強だと忙しく拝山もかつてのような一族郎党の聚会にならず。時代は変わるが新界の旧家の子孫らがトロントだ、ケンブリッジだハーヴァードだと学びBMWだのフェラーリ乗るほどに成功するのも本人の功績でもあるが寧ろ父母、祖父母、そのまた曽祖父母の遺徳によるもののはず、と達智君。
▼漢字研究、白川静氏逝去。享年96歳。漢和辞典の『字通』CD-ROM版ももってはいるのだがWin機専用でMac機で使えぬのが難。「平和だった東洋は1850年太平天国の乱以来、分解した。中国は簡体字、韓国はハングルが主流になり、漢字文化圏は四分五裂した。アジアが分裂して争うのは不自然極まりないこと」と白川氏。中国なら太平天国の乱、日本なら尊王攘夷、どうもあのへんの<近代>から何かおかしくなる。

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