富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-10-26

十月廿六日(木)こんにちは、安倍晋三です。は明日が吉田松陰の命日だそうで松陰の
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
という辞世の句を「気概には圧倒されます」と阿倍三世。阿倍晋三の「晋」の字は高杉晋作に由来するそうで、話題は教育へ。
次代を担う若者や子どもは社会の宝です。志ある国民を育て、品格ある国家をつくるためには、教育が大切であることは、いつの世でも、どこの国でも変わりありません。家族、自分たちの住む街、国、そして命を大切にする豊かな心を育てる教育、それができる教育力の再生が何よりも必要です。
と意気込む。教育の目的が人格とかぢゃなくて「<国民>の育成である」と言い切ってしまう潔さ(本質的なところはわかっていないのだろうが)。
根本にさかのぼった改革が求められている今、新しい時代の教育理念を明確にし、未来を切り拓く教育を目指すべく、教育基本法案の成立に全力を尽くします。
と意気込むのはいいが本当に教育を根本的に改革しようとしたら<近代>の教育が<国民の育成>にあることの見直しが必要なわけで(北欧などすでにこの見直し図る)その本来の改革では自民党が目指すものと全く逆のはず。それがわかっておらず寧ろ<「国民育成の精神、制度の強化」図ろうとするのが今回の教育基本法改定なのだから困ったもの。首相も首相なら教育再生会議中教審で官邸と対立はするものの文相も文相で文部科学大臣伊吹某君も安倍三世に続けて「よき日本人を育て、自己抑制できる品格ある日本を造る」なんて創造性に乏しい文章寄せ「国家とは、領土とそこに住む人間と人々の日々の営みでなりたっています。その営みの集積が、その国特有の文化、社会規範、伝統を創り出します」なんて社会と文化、国家概念の本末転倒。フランシスコ=ザビエルが日本人を「私が遭遇した国民のなかで一番傑出して」おり生活ぶりには節度があると高く評した、と言い、その勤勉で規律正しく他人に迷惑をかけぬ「恥」と「共生」の文化などの伝統的規範を大切にしてきた国民が、今日の拝金主義の蔓延、仕事があるのに働こうとしない(働けない)若者の出現、家庭で子どもをしつけ、先祖が守ってきた社会規範を教え込みながら地域社会で温かく子どもをくるむという雰囲気もなくなり、で
教育は、効率や利益だけでは評価できない価値にかかわるものです。私は、戦後教育のよかった点は引き続き尊重しつつ、教育の中で日本がかつて大切にしてきた伝統的社会規範の価値をもう一度見直すことが大切だと考えています。それが、よき日本人を育て、自己抑制できる品格ある日本、すなわち、安倍総理の言う「美しい国、日本」づくりにつながるものと考えています。
と、結局は教育再生会議中教審と対立しようと伊吹君、結局は文相に起用され安倍三世への忠義心。
▼昨日の朝日新聞山崎正和さんが「保守とはなにか」と題し、保守は「政治にはありえぬ立場」という持論展開。山崎さんといえば保守系文化人の印象強いが安倍三世の「開かれた保守」だの「家族の価値観や地域の暖かさが失われた」と嘆く論調に対して山崎さんは「近代社会には「政治的な保守」というものは存在しないし、存在しえない」と語る。
政治も、近代以前には文化と結びついていた。だが近代化により、政治は文化と区別された。信仰や人格、気分など、統治者の身に付いた文化が規範になる政治から、指導者が国民との契約や法に従って合理的に行動することを前提にした政治への移行だ。政教分離の原則は、こうした「政治と文化の区別」を象徴ししている。以降、政治は身体ではなく頭の仕事、つまり理性の仕事になった。そこに保守はありえない。
として、文化とは例えば茶碗をどう持ち、汁はどう飲み、箸使い、姿勢といった伝統に基づくもの=保守、と政治の違いを明確に語る。戦前は二・二六事件青年将校らや大東亜共栄圏に夢を託す岸信介など若手官僚らは<革新>であったが戦後、自由市場主義か計画経済の社会主義かが冷静の状況下において自由主義信奉する人を保守と呼び左派を革新と呼んだに過ぎず。自民党は政権担当するがゆえに観念的提唱などしておれぬ現実対応政党=保守に非ず。安倍三世の自らの保守派という定義にいて山崎さんは、冷戦下の保守・革新の構図や農村基盤に置く過去の自民党とかとの安倍三世の「血のつながり」で、それを「単純なもの」と言い切り
「冷戦下で戦った祖父と父」が目標なのだから、彼には自分を保守だと錯覚する十分な理由がある。
と指摘する。山崎さん、天晴れ。
首相の靖国神社参拝を擁護する人は保守で、批判する人は革新、というのは迷信だ。靖国は明治政府が、近代政府の生み出す負の面である「国家のための戦死者」を慰めるためにつくった。政治的イデオロギーの産物であって、信仰ではない。現に、靖国には日本人が文化として愛する人々が祀られていない。西郷隆盛、白虎隊。いずれも「賊軍」とされたからだ。保守=靖国擁護という見方では、本日をつかめない。靖国神社を支持する「保守派」の一部は「第二次世界大戦は日本にとって正しい戦争だった」と気概をあげているが、先ほども言った通り第二次世界大戦が正義の戦争だなどと言う主張は、きわめて革新的な意見だ。
また「教育基本法を改正して愛国心を養おうとする政策は、保守的でしょうか?」という記者の問いに山崎さんは
違う。いわゆるナショナリズムは、すべて革新の主張だ。歴史を見ても、慣習に従った長老支配が続く集団でナショナリズムを叫んだのは、旧体制を否定する青年たちだった。保守化ではない。また伝統的には愛国心などというものはなく、みな「うちのムラ」が好きだっただけだ。後者には文化があり、保守にも馴染む。だが「この国とはこういうものだ」と名を付け、理念的な使命感を与えて「こっちに進むことが愛国心だ」と言ったら、これはまさに進歩主義だ。しかも、少し、きな臭い。
憲法改正については
憲法を書いた人がアメリカ人であろうが日本人であろうが、それは大したことではない。国民がそれを受け入れ、半ば身につけてきた部分は、もう変えられない。
山崎さんは自らを文化的には保守だあるが、政治的には近代とプレ近代(北朝鮮のような個人崇拝、イスラム原理主義キリスト教原理主義など)の対立があり、それが人類を不幸にするなら、政治においては自らは「保守主義者でなく、近代主義者の立場をとらざるを得ない」と締めくくる。御意。
▼香港政府教育統籌局があたくしの納税金も浪費して「国情施接触」なるCD作成。香港の全学校に配布の模様。義勇軍行進曲(国家扱い)、歌唱祖国、我的祖国、黄河頌、松花江上、我愛ni中国、満江紅など15曲で愛国心高揚図る音楽内容。ちなみに義勇軍行進曲では楽曲から「国歌に歌われる気概を高め愛国心を抱き国家への帰属感を育成する」ことが目標で「国歌が作られた歴史的背景(帝国主義的侵略の被害)」、当時の中華民族の面臨した危機と困難、民族団結の精神や中華振興の責任と使命感を学ぶそうな(少数民族の立場はどうなるのかしら……)。
▼カナダ政府が20世紀初頭の中国系移民に対する人頭税について中国籍だけに対した課税が不平等であること認めC$20,000の賠償金支払う決定。現在99歳になるCharlie Quan氏は1923年に移民の際、当時の彼らの二年分の収入にあたるC$500を納税。1903年にC$50の課税が始まり1923年にC$500まで増額されたが、この年、カナダ政府は中国系移民の受け入れ禁止発令。これは1947年に第二次世界大戦でのカナダ生まれの中国系兵士の活躍評価され撤廃されるまで続く。1980年代になりこの20世紀初めの中国系移民への人頭税が人々の関心をひき始め、人頭税納税者約8万人のうち80年代当時で2〜3千人のが生存と予測されたが現時点でこの賠償金得た高齢者は36名のみ。理想主義、法治とはこういうこと。
▼通常、日本の書籍購入はamazon.co.jpで郷里に無料で届けられ年に何度か大量の書籍香港に持ち帰り。今日明日に読まねばならぬでもなし自宅には未読の書籍も山とあり。ただ今回は珍しく急ぎで要入手の書籍『イタリア日常会話から学ぶ、これで納得!よくわかる音楽用語の話』amazon.co.jpより高いの承知でDHLで直接香港送付依頼。注文三日後に届き1900円の書籍代に送料が1300円で計3200円。高い、と一瞬思ったが「そごう」の旭屋書店は現在0.15のレート(航空便の場合)適用で1900円の書籍はHK$285となる。これは実質レートで4,337円。となるとネットのほうがずっとお買い得(それでも高いが)。

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