富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-10-21

十月廿一日(土)午前雑務。昼にピークに住われる某氏邸にてガーデンパーティあり末席を汚す。M君に自動車で中環まで送ってもらいマンダリンオリエンタルホテル。小一時間時間空いたが夕方に一つ用事あり酒を飲むわけにもいかずホテルのロビーのソファーで新聞に目を通す。ゴムサンダル履きの西洋人カップル、ロビーのソファに寛ぎ靴のままソファに足を乗せる女性、あちこちで鳴り響く携帯電話……ホテルの格調など今は何処。九龍に夕方からの用事済ませる。往復の地下鉄MTR車内、最近は耳栓愛用。とにかく乗客の携帯電話での大声の愚かな会話と車内放送の大音響が耳障り。MTRの感性の欠如は地下鉄站コンコースの小売ブース賃貸の醜悪さで明らかだが携帯電話は料金の廉価ゆゑ利用者は大声でどうでもいいこと延々と長電話。そういう輩にかぎってなんて声がデカイのかしら。携帯電話の料金は三倍くらいにして公害な輩を放逐すべき。騒音防止にiPodもいいが読書に集中できず耳栓となる。晩に湾仔の杭州酒家。日本から編集者K氏マカオ取材に来て編集者S嬢、それに写真家のM氏、Z嬢。この食肆、先月からで三度目。大閘蟹の季節だが蟹粉豆腐に抑え乞食鶏、東披肉など少しずつ食す。食後に供された高力豆沙、何故「高力」というのか、肆の者に尋ねると黒服氏の最初の答えは北方の「高麗」の字が転じたもの、と「北方の」というまるで我が邦の如き言い方に朝鮮民族は不快感あろう、で料理長は鶏卵の白身を攪拌することが高力だと言い、今この食肆で修業中の旧知のN嬢はまた違う答え。食後にFCCに寄りラウンジで一飲。四方山話深更に至る。南京豆砕いた程度で奥歯少し欠ける。晩遅く中島敦山月記』を読む。廿数年ぶり。廿七日に畏友村上湛君の脚本、萩原朔美氏の演出で中村京蔵丈がこれを舞台に。東京まで観に行けぬがせめて原作を読み直す。廿数年前は「漢文学の影響受けた短編」という印象が強かったが今読み直すと勿論、体裁は漢文学だが昭和十七年になんと所謂ヒューマニティ標榜の物語であったことか、まるで戦後文学の先駆であること感ず。ただ余談ではあるが人間性の讃美で「虎に失礼」かしら。
シンガポールシンガポール民主党党首取材記事乗せた事が李王朝の逆鱗に触れたFar Eastern Economic Review誌(この記事は7、8月合併号に掲載あり、こちら)が夏以降果敢にシンガポール政府に対して思想信条、報道の自由弾圧について言及。週刊誌の頃は十数年愛読したが月刊の専門誌となって以来定期購読せずどこかでパラパラと頁めくる程度であったが十月号購入し一読。編集長巻頭言からシンガポール政府(李王朝)に対するレビュー側の主張が続く。シ政府の李王朝による建国からの成功と経済成長は誰もが認めるが新嘉坡国内の教育上の民族差別(華僑優遇)や地元メディアの規制など問題もあるのは事実で報道機関がそれを質し公平な立場で報道することの何処に問題があるのか、と。読者投稿には上述の新嘉坡民主党党首Mr Chee Soon Juanを取材しMartyr(殉教者)と称した記事読み震撼した新嘉坡市民からの投書を掲載。この読者によればChee党首は新嘉坡国政について何ら具体的な提案も行っておらず選挙が不公平だと言うが新嘉坡では過去40年にわたり自由で公平な選挙が行われてきた結果の李光耀率いる人民行動党の勝利であり国民の支持、常に海外にいる方が新嘉坡国内に居るよか長く、海外で新嘉坡の非民主、李光耀の独裁などと唱えるばかりのMr Cheeに何が新嘉坡の政治改善を語る資格があろうか、とまさに李王朝の現体制に理想的な狂信ぶり。これに対してChee Soon Juanの回答あり。最後に海外で検討会に参加は05年9月。それ以来、新嘉坡政府に旅券没収され海外渡航能わず。海外で何度もコンファレンス参加経験あるが常に数日で、一年の九割は新嘉坡に在る、とChee党首。新嘉坡の政治体制についても五冊の書籍を上梓、そのうち2冊は民主党として過去の二回の総選挙で党のマニフェストとして政治改革の提言しているのだが、新嘉坡国内のメディアがこのマニフェストなど一切触れておらぬので、この投書の方は多分ご存知なかろう、と。新嘉坡の、北朝鮮とは全く対局にある不自由ぶり。

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