富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-09-25

九月廿五日(月)日剰の記述だけでも「よくもまぁ書く」と呆れられるがもう一つの老人の日々の楽しみが20年近くご愛用のタイムシステムのA5版ダイアリーへの毎日の事細かな記載と、頁の余白に音楽会、映画のチケットから航空券の半切れ、料理屋の明細から新聞のベタ記事まで切り取って貼って貼りまくりのスクラップ。この1年分のダイアリーは、翌年のリフィールを買うと、その箱が反対の背は今年の西暦が書かれており、つまり前年のリフィールをきちんと仕舞える仕組み。きちんと保管できるのは好都合だがスクラップをかなり貼るためにリフィールの厚みが約2倍となってしまい2004年より箱に納まりきらず。スクラップも植草甚一翁なら芸術品であるが、それには足許にも及ばぬ事務的な「貼り方」だが、やはりきちんと保管したいわけで、どうしようかと悩んでいたら、香港は文房具屋で紙類をきちんとバインディングしてくれるサービスが簡便で、それに注文すると、1年分があまりに厚すぎるということで相談の結果、1年を半年分ずつに分けてバインディング。かなり上出来。満足。早晩にジムのトレッドミルで5kmほど走る。Taikoo Placeでダンヒルがアウトレット処分市開催中。ジャケットや革鞄などかなり食指動くが7割引きといっても15万円超える定価の7割引ではジャケットなど安くても3万円代で手が出ず。シャツ四枚購入。帰宅してレモン丸ごと1個搾ってウオツカでロック。ウオツカ飲みながらポリポリって亀田製菓の柿Pを食べてたんだ〜(あ、これぢゃ中田調)。その柿Pの袋に「けなげ組」とかいう意味不明のキャラ紹介あり。その会員番号48に「風見鶏」があり
ヨーロッパの屋根の上でクルクル回って風向きを知らせる少々ロマンチックな私、ま、強風の時は目が回って大変だけど……それが何ヨ!! 近ごろの日本じゃ成り行き次第の日和見な人のことを「カザミドリ」なんて失礼な言い方だと思わないコト?……
って首相が風見鶏と言われたのももう廿年ほど前の話。近ごろの日本、っていつを指してるのかしら。確かに「風見鶏」の言回しは例えば大槻文彦博士の『大言海』(昭和3年)にはないが。自家製牛丼。トリスのハイボール一杯。NHKのBSの「熱中時代」という番組でNHK紅白の舞台制作の虜の男性現われ紅白の大トリの歌い手紹介する司会の科白まで諳んじてみせるのだが「古賀メロディーは日本人の心の故郷です」みたいな紹介に、演歌が日本人の心なら、その心にどれだけ朝鮮が流れているか、などと思っていたら睡魔に襲われ寝てしまう。
文楽吉田玉男翁逝去。享年八十七歳。昨年来老耄と知人より聞く。病院から抜け出だし諸所捜索すれば休業中の文樂座樂屋内にぽつねんと一人をられた由。それもとても越路大夫引退口上に長嶋茂雄君の言葉をモロに引き「永遠に不滅です」と真面目に賛辞を述べた、社会人としては全くの凡人、藝人としては絶後の名人、と自然体なる面目躍如、と。ただ煙のように消えて行った、美事なる最期、の玉男。新聞の弔報は判で押したように「曽根崎心中」徳兵衛を当たり役に挙げるが(確かに越路大夫、鶴澤清治の三味線で玉男の徳兵衛、蓑助のお初、先代勘十郎の九平次ってのは完ぺき)だが久が原のT君は「競伊勢物語・春日村」紀有常、「菅原」菅丞相といった完璧の名演を何故挙げぬのか、と。あたくしが玉男翁で見たのは(香港に移り住む直前の昭和が終わる頃からの数年だけで、而も東京ばかりで)曽根崎と菅丞相、それにひらかな盛衰記の梶原源太。「時雨の炬燵」おさん、「先代萩」政岡、「鏡山」尾上など女形もよかった、と聞く。T君が昭和末年、奈良で見た政岡は「梅幸の鷹揚さを大成駒の強さで貫いたような独特の名演、と言う。桂米朝らと「九条の会 大阪」の発起人として護憲派としても活動とお亡くなりになってから知る。
民主党代表小沢一郎氏検査入院。安倍首相の誕生に何という偶然。日本の民主主義の最後の望みが……なんて書いていて、まさか小沢先生に日本の民主主義の望み託すことになろうとは小沢君が田中派の奉行の一人で自民党内で暗躍していた頃には考えられなかった話。安倍三世は河口湖の別荘からの、昨日の大相撲千秋楽での優勝トロフィー授与のため帰京の様子など、黒塗りのリムジンの隊列で「ここはモスクワか?」と思うほどの高速道路追い越し車線爆走。それを追いかける馬鹿なマスコミ。この演出の怖さ。赤坂の料亭の奥座敷で組閣でもされていた頃のほうが、まだ「権力が演出されなかった」だけ、真っ当だった鴨。安倍三世により幹事長に抜擢された中川秀直君(首の後ろの、香港では「猪頸」と呼ばれるお肉が目立ちすぎ)がNHKのNW9に出ていたが「なにをしゃべっているのかわからない」点では安倍三世以上。かつて竹下登君が「言語明晰意味不明」とか言われていたが安倍内閣は竹下君以上に「希望」だの「明日の未来」などイメージにばかり言及する点では「感動明晰意味不明」だろう。自民党運命共同体公明党はまだ安倍政権の性格すら見得ぬうちから政策協力に署名。公明党は代表が神崎君から冬柴君へ。神崎君がどちらかというと社会党左派の槙枝顔であったのに比べ冬柴君のデカい丸顔は「これぞ公明党」で中川君が並ぶと自公連立の象徴の如し。
▼陳方安生女史が「政制核心小組」結成し李鵬飛(全人代香港代表)、任關佩英(政府環境食物局長で問責制導入の02年に依願退職)、陳文敏(前任香港大学法学院院長、現弁護士)、Chandran Nair(研究組織Global Institute For Tomorow創設者)、Elizabeth Bosher(97年まで香港政庁の政務官、憲制事務司などの職で基本法の起草作業に従事}、陸恭?(前任立法会議員、環境問題に取り組む、今年4月より香港証券取引所非執行董事)ら参加。この政策グループ、如何せんBosher女史など政庁高官であれ実務派でいわゆる政策決定の経験者がおらぬ点では陳太の個人的なブレーン集団以上の内容は期待できまい。来年の行政長官選挙には自らは立候補せず、と陳太は表明。それにしても驚かされるのは李鵬飛君の参加。この人、80年代には親英派と見られていたが地道に親中派となり当時ですら政治風刺漫画では(移り身の機敏な)カエルで登場していたが保守派の自由党は彼が創設者で初代代表、その後自由党から離れ香港での彼の政治力低下は事実だが香港の全人代代表という美味しいポスト得て安泰。親中派土共親中から民主党まで話が出来る点だけでは彼は調整役。今度は本来、北京中央にとっては愉快ではないマダム陳の政治グループへの参画。まぁこれも、マダム陳にとっては李鵬飛が入ることで「革新政党ではございません」と言えるし、李鵬飛も北京中央には「自分がこの政治グループに加わることでバランスがとれる」と説明か。事実、先週末にこの政策グループの設立記者会見に現われた李鵬飛君、すでに今日は己が身は行政長官Sir Donald君に同行で湖南省は長沙に在り呉儀副首相に謁見。この経済協力訪問団、長沙で未来のオリンピック体操選手養成の施設見学などして喜んでいるが、かつての東独やソ連と同じ、この社会主義国の国家のためのスポーツ選手養成の意義など理解できているのだろうか。
▼俳優丹波哲郎氏逝去。享年84歳。1980年頃、鈴木清順やATG映画、『十九歳の地図』や金田賢一正午なり』など元気だった頃に丹波哲郎が監督の『砂の小舟』という映画あり。異作。後に「丹波哲郎の地上(ここ)より大霊界」とかいう変なタイトルとなる。ドラマ「キーハンター」は当時、香港でも放映され何度か香港舞台にした話もあり香港では陸恵敏や白彪など往年の俳優が出演していた由。香港の新聞も丹波哲郎の逝去大きく報じる。