富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-09-19

九月十九日(火)晴。深更に『モンテ=クリスト伯』第2巻の読了でさすがに眠いまま目覚める。また多少汗ばむ陽気。諸事忙殺され一向に終わる気配もなく途中で強制終了し帰宅。ドライマティーニ一杯。夕餉済ませ新聞や切り抜きなど読んでいるとあっとういう間に深夜。養命酒飲み寝入る。
▼一昨日日曜の朝日の読書欄に陣内秀信粕谷一希の『作家が死ぬと時代が変わる』という書籍の評を書いている。戦後、天皇制批判厭わぬ『世界』やリベラルな『中央公論』に対して『文藝春秋』は「インテリ批判から出発して皇室記事を掲載し部数を伸ばした」、その雑誌の名編集長(粕谷)も「近年の雑誌全体のスキャンダリリズムと右傾化の傾向には危機感をもつ、という警告」がこの本に書かれているそうだ。かつては保守右翼反動雑誌のやり手編集長も「社会主義には距離を置き、戦後民主主義には懐疑的」という点で後藤田先生らの流れの良質の保守であると今になって思えてしまう。また吉本隆明も今日の朝日のオピ欄で、経済構造を中心とした下部構造と精神領域の上部構造が相互には全く関係ないとした、自らの共同幻想論でいえば、天皇制を含め日本社会がこれからどう変わっていくか、と問われれば「いかようにも変化する」と考えてしまってて、このへんは熱海以降の吉本ばななのパパらしい「おいおい……」の禅問答だが、吉本隆明は「反動的な政治家が出てきてもう一度「神聖天皇制」を復活しようとしたら、そうなる可能性がある」のが今の、小泉ブームでの国民の感じだ、と指摘する。粕谷、吉本の指摘に同じくあるのは、やはりテレビのインタビューに「安倍さんの若さと行動力に期待」なんてあっけらかんと答えているノーテンキな人たちへの懐疑かしら。ところで前述でスキャンダリズムが悪く喩えにされているが、本来、スキャンダリズムとは権力者の醜聞を暴くもので、それがどうでもいいことまでスキャンダルっぽく演出することで話題づくりに迷走していることが今の問題。
朝日新聞文化欄にモダニズム建築の代表格である東京と大阪の中央郵便局の建物が再開発のなかで保存か解体かの波に晒されている、と記事あり。東京中央郵便局は1931年に逓信省の設計技師吉田鉄郎による設計で、とくに夜になって局内にあかりが灯ってからの、国電から眺める美しさ格別。それを安倍晋三郵政民営化されれば東京中央郵便局のある一等地が有効活用される、と昨夏の衆院選挙演説で宣ったのだ。祖父らが築いた栄光の1930年の象徴たる丸の内のモダニズム建築を保存することの意義すら理解できぬ安倍三世。が明日、自民党総裁に圧倒的過半数で選ばれ来週の火曜日には首相か。
▼台湾で台北中心とした反扁運動が南部の挺扁の波とぶつかり合い、いわば南北戦争ムード。民主主義の熟成のためには民意の政治的主張の高まりは必要という見方もあるが陶傑氏は台湾が民主主義社会で民選で総統を選挙する制度があり阿扁も二度の総裁選挙で当選したのだから阿扁非難する前にまず非難されるべきは選挙民の自責であろう、と。独裁なり非民主的な選挙制度で元首や首長が選ばれた場合(香港の行政長官の間接選挙のこれに該当しよう)なら抗議活動も根拠あるが民選制度の場合は自らの責任をまず反思すること。それをただ阿扁下台!と叫ぶだけでは民主主義も立憲政治も成熟はしまい、と指摘。
▼行政長官の「自称政治家」Sir Donald君が香港政府の経済対策で積極的不干渉政策につき存続するのしないのと話題となるが今日の信報にSir Donald君本人の「大市場、小政府が我々が堅守する経済原則」という一文あり。内容の黒白はなんだか意味不明だが一つだけ明らかなことは「小政府」とはいえぬ香港特区政府の肥大化。これは97年後返還後に始まったことにあらず七十年代の誉れ高きMcLehose総督の治世に民生重視ゆゑの市政局であるとか教育統籌局と教育署などの業務重複など問題多く寧ろ97年以降部局統廃合で整理されもする。が今日の特区政府が小政府といえるかは疑問。Sir Donald君は公共支出額を香港のGDPの一定の割合に抑えることで小政府が堅持されている、とするが特別行政区とはいえ地方自治体と思えば人口700万人で昨年度の支出がHK$2,536億で、これを神奈川県と比較すると神奈川が人口883万人で平成18年度予算が1.4兆円であるから香港特区政府の歳出は神奈川県の2.5倍と思えば(人口比加味すれば3倍であろう)香港政府が国庫交付金もなく財務、通商や福祉、司法など日本でなら国庫が負担すべき分野まで自弁とはいえ、いかに大きな政府か、は明らか。
▼広州で新聞に風刺似顔絵画など描く画家、Kuang Biao氏(40)が胡錦涛君描いたことで停職。北京大学で過労が原因で死去した教授の娘宛に涙ながらに手紙を書く胡国家主席という絵柄で描き手はキャプションで胡国家の涙はこの娘だけにでなく薄遇で懸命に働く全国の教員への思い、と述べたというが、なぜそれが停職に値するほどの国家元首への揶揄と映るのか。国家元首の涙は禁物か。
▼昨日の信報に香港城市大学学長の張信剛教授の産業化と文明論に関する長文の寄稿あり。今日になって読んでみたが、今年四月の北京大学での「21世紀の東南アジア……文化建設と文化交流」という、旧友M君のご尊父である張教授には失礼だが「ありがちな」シンポジウムでの基調講演。だがさりげなく
文化的には東洋と西洋の交じり合うシンガポールを見てみると、近年ひとつ困難な状況にあることは、政府の権威が国民の創造性の高揚を熱心に鼓勵するのだが結果は今一つで、言えることは、人々が政府の話すことを聞いて創造性を高めようとしても実際には創造力に欠けるわけで、むしろ人が創造性を持ち始めたら政府の話など聴かなくなるものだ。
と指摘。シンガポールには不愉快な話だが張教授はこれを北京で指摘したことの意味深さ。暗に中国に対する指摘とも取れよう。
▼女優で「エノケン森の石松」で石松(エノケン)の相手役「お民」演じた竹久千恵子逝去。享年94歳。ハワイ在住。

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