富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-09-17

九月十七日(日)先週の大雨とここ数日の曇天嘘のごとく晴れ渡る。裏山からMount Parker Rdをのぼるとさすがの初秋の好天気に行山の輩多し。大潭を下るが雲一つなき空に涼風心地よし。先週の雨で石清水豊かに流れる。海岸でじんまりと熱珈琲飲みながらアレクサンドル=デュマ(山内義雄訳)『モンテ=クリスト伯』岩波文庫の第1巻読み出すと小学生の時に少年向けに平易に書かれた『巌窟王』読んでいらいの、この物語。思わず木陰で読み耽り帰宅のバスの車中でも、ジムにより帰宅して午後遅く第1巻読了。日本でいえば赤穂浪士の吉良邸討ち入りという事実があってすぐに歌舞伎で演じられたようにデュマ自身が十代の頃にあったナポレオンのエルバ島脱出から百日天下などを背景に巌窟王の見事な物語にしてみせたのだから、祖父母の世代も『巌窟王』で読んだのでしょう、いや〜何度読んだって面白い。早晩にZ嬢と尖沙咀。ペニンスラホテルで贈答用に月餅購う。ペニンスラホテルのバーでドライマティーニ飲む。十月下旬だかの中環側の埠頭の移設移行はおそらく乗る機会もかなり減るだろうスターフェリーで中環。粗呆地区までエスカレータで上がり久々に La Piazzetta に伊太利料理食す。気さくな料理長に雲丹のパスタ薦められ、アスパラガス、鮹のサラダ、雲丹のパスタに茄子のラザーニャ風。雲丹は一旦湯がいたものにレモン汁加えるのだが料理長が「好みがあるから」と味つけの途中で現われ味見させて「レモンはこれくらいでいいか?、日本人は雲丹の風味が強いほうがいいだろうけど」と細かい気配り。「雲丹はイタリア語で何と言うの?」くらいは尋ねられる伊太利語で暫し談義。ちなみに雲丹はスペルはよく知らないがリッチョ di mare と言うそうな。ハウスワインで白一本と赤グラスに一杯。帰宅して『モンテ=クリスト伯』第2巻読み始める。
銅鑼湾三越閉業。1981年の開店にて88年には尖沙咀店(現DFS)開業の頃が全盛期。当時、大丸(銅鑼湾)、松坂屋銅鑼湾、金鐘)、三越銅鑼湾尖沙咀)、伊勢丹尖沙咀、香港仔)、東急(尖沙咀)、西武(金鐘)に加え八百半、ユニー、ジャスコという時代。1998年の大丸閉業が象徴的。その後百貨店の撤退と八百半の倒産あり今では香港の地場資本で「そごう」と「西武」の名前だけ残る。ジャスコとユニーは売上げ好調だが百貨店では三越(すでに自店面積はかなり減ってはいた)が最後の日系百貨店。三越側は存続望んだが入居するヘネシーセンターの建て直しで追い出され今更日系百貨店で銅鑼湾など繁華街での賃貸も望めずの事実上の撤退。