富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-09-16

九月十六日(土)朝から旺角のジムで一時間の有酸素運動。ぼんやりとジムの窓から繁華街を眺めていて思ったのだが「現代教育」とか「A1学院」とか中学高学年対象のGCSE対策予備校(日本でいえば高校生対象の大学進学予備校)の宣伝、ビルの外壁やバスの車体など「これでもか」と言わんばかりにKen KoだとかDick Sirといったちょっとヘンな通称で「講師の鉄人」が並ぶ。いつも不思議なのは、その鉄人な講師たちが誰一人として「頭が良さそうに見えない」風貌であること。ほんとそのへんの携帯電話のセールスか松戸のホストクラブのホストみたいのまで。もっといかにも「頭が良さそうな」先生並べたほうがいいような気がするのだが「そのへんの兄ちゃん」であることに何か宣伝効果があるのだろうか。もう一つジムの窓から眺めて気になったのは(ひとつもジムでの運動に集中していない)日系の手広く支店網拡充するラーメン店。午前11時まで誰も出勤せず店内真っ暗なのに30分後には開店。いくら出来合で商売できるシステムで仕込みも要らぬとはいえ掃除したり鍋に火をつけてスープを煮立てたりの手間すらないのだろうか。黄埔のジムに行き昼から一時間の筋力運動。又一城(九龍塘)行きのミニバスに乗ってみる。紅碪カから土瓜湾、馬頭圍から九龍城をまわり九龍塘の手前、Shek Kip Meiでなんとなく下車。広大な、サッカー場が6つだかある大坑東運動場と警察体育倶楽部を通り抜け太子(Prince Edward)に出る。かつて英国が北京条約で獲得した九龍と中国領の境界となる界限街(Boundary St)で小さな公園の入り口、オバサンが糸で顏の幼毛を抜く伝統的なエステ?など開業しているが、この公園の入り口の石壁のやたら強固なること、これって昔の国境線の遺物なのだろうか。ふらりと炭焼焼肉で著名なる永合隆飯店に入り焼肉飯。秀逸。午後遅く中年から老年のオヤジばかり。近所にはちょっと洒落た廣東焼味餐庁もあり、こちらも悪くないが永合隆は香港でも屈指の焼臘の店。帰宅の途中に按摩。このところ肩痛激しくバリバリ、が少し回復。一旦帰宅して晩に外出。作務衣で出かけられるくらい涼しくなる。湾仔の杭州酒家。先週日曜日も偶然に同じ場所で昼に会合あり今晩はそれ以前に余が予約していた偶然。所属するランニングクラブの隔月の定例会とT夫妻、O君の送別会。偶然に旧知のK姐がこの杭州酒家で調理師として修業中と前回知り、今晩もいくつか珍しい料理供してくれるがどれもかなり美味。満足。26名ほどの参加者のうち16名ほどででれでれと銅鑼灣まで歩いてバーYで二次会。それでも午前零時前には帰宅。
シンガポール国際通貨基金世界銀行総会開催で関連会合に参加認められた非政府組織や活動家の一部の入国拒否しIMF世界銀行シンガポール政府の措置を非難。シ政府は呉上級相(前首相)が「テロの標的となっており参加者の安全を守る任務がある」とするがIMF世界銀行の首脳がテロの標的になったとしても、一部の組織や活動家の入国拒否で参加者の安全守られるとは詭弁。結局のところ国内で抗議デモ活動などシンガポール市民の教育上好ましくない事態を見せられたくないだけ。外国企業誘致と海外からの投資で経済成長してきたシンガポールにとってデモや暴動で悪印象を持たれることを避けたい事情(朝日新聞記事)というところだろうが寧ろシ政府のこの施政こそ悪印象そのもの。
▼昨日の新聞に「小学生の暴力最多2018件」という記事あり(朝日)。公立の小学校内で児童が起こした「暴力事件」の数で97年からの統計。「教師に対して椅子を投げつけたり故意に怪我をさせたりといった一定水準以上の暴力について学校から上がった報告」の集計だそうな。学校での暴力が教師に向かうことは社会史的には近代の学校の成立の背景や仕組みとして不思議でない。気になるのは、この暴力と判断される定義は97年から一定だとしても何を暴力とするか、報告の有無の感覚は「テロと暴力の恐怖」で年々感覚が高まりつつあり。それが「暴力の増加」の数字に影響すること。
▼中国の作家、賈平凹氏来港。小説『泰腔』が香港バプティスト大学文学部主催の文学賞第1回「紅楼夢賞」に選ばれ受賞パーティとそれに合わせたシンポジウムへの参加。三度目の来港。