富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月十三日(水)台風接近の上に熱帯性低気圧で早朝より大雨。赤雲警報発令され300ミリ超える豪雨となる。晩のハッピーヴァレイでの今季初競馬は中止決定。馬主C氏のダッシングヰナー馬壮健なまま九歳迎え今晩最終レース参戦41倍のブービー人気で悪路得意で、ハ競馬場の展開見えない1000mで意外な結果期待したが残念。午後遅く天気回復したが夕方にまた大雨。晩に雨止み安堵。中環粗呆のフランス料理Le Tire Bouchonに近々帰国(のはず)の畏友T夫妻、Z嬢と集い晩餐。先日食したばかりだが再びフォアグラと胆やレバーの煮込み料理。美味。ブルゴーニュの白葡萄酒Macon Azeと赤は一人だけグラスでCh. Carcanieuxはこれがハウスワインとは立派。
▼中国語で大解、小解という言葉あり。大便、小便をするの意。なぜ「解」なのか、便意の解決、体内からの大便、小便の解放、などという意味かと勝手な解釈したが釈然としないまま数年が過ぎる。で昨晩、蘋果日報の李碧華という人の随筆にこの答えがあり。日本語でも便所をご不浄、雪隠といい、お手洗いに行くと言うのと同じ婉曲な表現で、大解、小解の大小は時の如く、で「解」はもともとは「解手」(手を解く)。でなぜ「解手」が「便所に行く」かといえば実に立派な故事あり。明を興せし朱元璋洪武帝)は朱棣(後の第三代皇帝、永楽帝)ら率え農業生産向上掲げ大規模な土地改に着手。全国規模で農民の強制移住を実行。そのなかに山西洪洞大槐樹に向かわされた農民ら逃亡防ぐため縄で数珠繋ぎにされ小便催すも兵士に請いて縄を外してもらうの要あり。その謂われにて用便を「解手」という口語が生まれた、と。更にそれが転じて小便が「小解」、大便をするのが「大解」となった由。
台北にて週末からの反扁静坐で数万人の反阿扁総統坐り込み続く。昨晩はロックの大御所・羅大佑氏舞台に上がる。総統府前が静坐の現場で総統官邸にも近く静坐がいったん風雲舞い上がり混乱となれば阿扁総統は総督府もろとも圓山指揮所に緊急避難という噂もあり。圓山指揮所は台湾国防部背後の山の中腹に位置する地下施設で昨年テロ対策のため地下壕を大幅改修して出来上った核爆弾にも耐える施設で政府中枢の司令部、総統らの宿泊施設もあり発電所や飲料水、食料などの備蓄も豊富。テロ対策或いは中共による台湾侵攻に備えたはずの施設がまさか総統辞任求める抗議運動への避難所になろうとは。民衆デモに「そこまでしなくても」の感もあるが、なにせ総統府は戦前の台湾総督府の建物、台湾民衆の反日暴動など想定もしなかったのか非常にオープンで周囲に高い塀もなく、さらに総統官邸=旧台湾総督官邸は「えっ、これが?」と思うほど旧・佐久間町の日本建築の古い住宅が並ぶ一角の高い塀には囲まれ中は窺いしれないが、巴里のエリゼ宮かロンドンのダウニング街10番地と同じく投石でもすりゃ縁側のガラス窓も破られるのでは?と思うほど。ここを取り囲まれもすれば確かに逃げ場もなく邸内でずっと「阿扁下台!」のシュプレヒコールを聞いておねらばならず。で圓山指揮所への緊急退避の検討なのだろう。それにしても一期目は民進党ブームで正々堂々と総統に当選したものの阿扁の二期目選挙はあの投票日前日の「狙撃」で辛うじて当選。あの段階でもはや二期目への疑念強まったが寧ろその薄氷踏んでの当選であったからこそ外交だの民生改善に奮闘すべきだったはず。それが身内の贈賄や株のインサイダー取引とは脇があまいとしか言いようもなく辞任要求突きつけられ当然の結果。
▼競馬開幕日の特首盃について。特首盃というと余はいつも「京城之寶」(Kingston Treasure)という名馬を思い出す。香港の競馬史に残る「馬王」安田記念勝馬「蝦」Fairy King Prownが上り調子の時に唯一、しかも二度も負けた相手がこのキングストントレジャー馬。何といっても99年5月の沙田ヴァース(こちら)でスタートより飛ばし、追い上げるFairy King Prawn(蝦)を2+1/4馬身差で振切った(ちなみにFairy King Prawnと三着勝感が5+1/2馬身差、いかに京城之寶と蝦が並外れていたか)。その年9月の開幕、特首盃(こちら)での優勝も目に焼きついて離れぬのだが、その直後、不運にも故障。この開幕戦を最後に2年の療養。5戦4勝で1度だけ勝ちを逃したのも2着と好成績の名馬は2年後の01年開幕日の特首盃に復活し香港のファンは一番人気に推したのだが2年ぶりの参戦に興奮したのかパドックでホワイト騎手騎乗抵み顛倒。まさかの退出。この9月の11日があの日。同月22日の仕切り直し参戦で今度はゲートイン直前に覇気極まりホワイト騎手振り落とし興奮さめやらず復たもや退出。ジョッキークラブは裁定を下し今後参戦不可にて事実上引退勧告。強敵を失った「蝦」の時代を迎える。……とこんな懐かしい話を思い出したのも昨日の新聞の競馬欄に10日の特首杯で「芙蓉鎮」騎乗はFradd騎手、行政長官「自称政治家」Sir Donald御自ら優勝トロフィー授けたのだが、Fradd騎手は前任の行政長官董建華に続き2人の行政長官からトロフィー授かった後にも先にも唯一の騎手、と小さな記事があったため。そう、99年9月のキングストントレジャーの最後の優勝、引退レースがフラッド騎乗だった。それにしてもフラッド騎手が「後にも先にもとは、いや、そんなはずはなかろう」と思われるかも知れぬ。事実、1997年9月から始まったこの冠レースの記録を見れば
1997/98 Kowloon Pride (P Payne)
1998/99 Solid Contact (G Boss)
1999/00 Kingston Treasure (R Fradd)
2000/01 Billion Win (D. Whyte)
2001/02 Cliffhanger (W C Marwing)
2002/03 Smart Winner (G Schofield)
2003/04 Cheerful Fortune (C Williams)
2004/05 The Duke (P Payne)
2005/06 Able Prince (M Rodd)
2006/07 Town of Fionn (R Fradd)
で今期がSir Donaldにとって行政長官として初のこの開幕日。ならば香港で活躍中のダグラス=ホワイトは当然として、すでに2度優勝のPayne騎手、ディープインパクト騎乗のグレン=ボス、マーヰン、スコフィールド、ウィリアム、ロッドとみんな現役で、今後もチャンスはあろうに、と思う。(話が長いが)ただし2000年優勝のホワイト騎手以下に今後もチャンスのない理由があり、それは董建華がフラッド騎手でキングストントレジャー優勝の99年を最後に行政長官カップでありながら競馬場に姿現さなくなったため。想像絶する董建華の不人気で競馬場などに現れようものなら罵声の嵐で唾吐かれるは必至。で代理に当時、財務官であったSir Donaldなど寄越す。でフラッド騎手が董建華からトロフィー受け取った最後の騎手、は確か。ただ、だとすればパイン、ボスの両騎手は香港競馬に復帰すれば可能性としてフラッドに次ぎ初代、二代目の行政長官にトロフィーもらう可能性もあるはずだが。単純に記事の間違いか、両騎手はもう香港で開幕のこのレースに参戦はない、という前提か(ただ可能性は0とは言い切れぬ)、あるいは初回と第2回のレースは董建華が来臨しておらず99年がたった一度きりだったのか。余の競馬歴が99年からのためどうしてもそこがわからない。
▼ピークトラムの山頂站の展望台がまた改装されたようで「凌雲閣」なる威勢のいい名前。その広告に日本料理屋紹介あり「巨八」という。googleでも全く引っ掛からぬ「巨八」だが漢字だけなら、もしかすると往年の巨人の名捕手・森昌彦氏がオーナーで「巨人の八番」で巨八なのかも知れぬから「巨八」はいいのだが、「きょはち」という読みがどこか不自然。「和民」を「わたみ」と読ませる「訓+音」のような無理に比べ「巨八」の「きょはち」は巨も八も音読みで自然なはずなのだが辞典をひけば「なるほど」で「キョ」が漢音なのに対して「はち」は呉音。漢音だけで「きょはつ」か呉音だけの「ごはち」だと音の並びが良い。「きょはつ」か「ごはち」ならどちらでもいいか、と思ったが日本語堪能なI嬢は「香港人は「つ」の発音は難しいから「ごはち」のほうが音もきれい」と。なるほど。