富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月十二日(火)涼。小雨。香港鼠楽園開業祝一周年。寒空に涙の如き雨。周年祝賀には香港鼠楽園の57%の株所有する香港政府からは高官の一人も来臨せず。新聞の一面広告で「哀心感謝」「奇妙的第一年」と、意味は哀心も「心より」で「奇妙」もマジカルでポジティヴな意味あいなのだがまさに哀悼に値すべき奇妙な一年。晩に帰宅しレモン搾りジンを一杯。薯蕷芋と麦飯、豚汁。習慣でNHKのNW9を見そうになるが報道番組としてのレベルの低さに毎晩見て呆れ憤慨するのならいっそ見ないほうがマシかBBCのAsia Todayでも見ていたほうがずっとタメになろう。それにしてもNews10の今井環君も頼りなかったが彼はまだ「ほんと人がいい」「他人を疑うことを知らないのじゃないか」くらいの、ある面、好感度があったが現在の「会津の男」は「報道記者がなんだ、そのコメントはっ!」と不満募る。中井英夫「黒鳥譚」の最後少し読み直す。この全集文庫本(第2巻)には英夫がまだ若い頃の終戦直後の短編がいくつか収められ、突然、「黒鳥譚」は三十年後に飛ぶのだが、その三十年の習作と秀作の歴然とした違いが面白い。
▼昨日の信報、劉健威氏の随筆で中環の京菜、京味居が店を閉め半月、と知る。劉兄も京味居惜しみつつ麺は翡翠(太古城、銅鑼湾時代広場)のほうがマシと複雑な懐念。京味居といえば唯霊氏が大のお気に入りでアルコールは麦酒だけの店で「唯霊」と専用の棚にウイスキーだの紹興酒だのマイボトル並べてほど。その唯霊氏がこの閉業惜しむ文章目にしておらず。個人的には個性的な店ではあったが閉業惜しむほど美味珍味であったか、といえば疑問。
▼安倍三世が改憲は「五年近く」必要、と言及したと朝日新聞一面にあるが「五年近くのスパンも考えなければならない」という発言を五年近く必要、ととるべきか改憲は五年以外が或は自らの首相在任期間を小泉三世と同じ五年に置いて目標、と考えられなくもなし。日本記者クラブでの自民党総裁選立候補者による公開討論会での発言だが谷垣二世の「日中国交正常化をした時に中国は戦争指導者と一般の日本国民を分けて国民に説明した経緯があった」という指摘に対し「そんな文書は残っていない。国と国とが国交を正常化するのは交わした文書がすべてなんだろう」と反論。この陳腐な発想では祖父も外相であった父もさすがに愚息と呆れよう。政治には文書でなく文(あや)というものあり。侵略者である日本との友好関係の回復にあたり周恩来ら安倍三世とは違い頭のいい人たちが中国の国内で「いいですか、日本人全てが敵ではないのです。悪いのは軍国主義的なる指導者であって、日本人民も被害者なんです」としてくれたことで、肉親を殺された人たちに日本との国交回復を納得させた、謂わば相手の最大の修辞。当然、そんなもの外交上の公文書に残っているはずはなく、日中国交回復に努めた日中双方の先達らがお互いにこれで決着をつけましょう、の政治の文(あや)。それをまぁよくもしゃあしゃあと外交文書に残っていないなどと宣えるもの。更に安倍三世は「日本国民を二つの層に分けることは、階級史観風でないか、という議論もある」とまで言及し知力に乏しさも披露。小泉三世も「自衛隊の活動する地域は非戦闘地域」などの詭弁には呆れたが少なくても「わかった上で言っている」植木等の無責任男的な確信犯、愉快犯であったのに比べ安倍三世のこの「階級史観」発言はただの無知。高校生レベルでの赤点。これが首相とは。そもそも「階級」は(広辞苑による)確かに地位、官職、俸給などに基づく意味合いもあるが、これはその「等級」を言う場合であり、通常「階級闘争」という言葉で用いられる場合の意味は英語のclassで「主に生産関係上の利益・地位・性質などを同じくする人間集団。資本家階級・労働者階級・地主階級など」であってマルクスによる経済的な格差によるものであることは高校の政経で習うこと。日本国民を戦争指導者と一般国民に分けることは階級とは全く関係ない。たんに反共主義者としての非難の意味で「階級史観」という言葉がインプットされているのだろう。さすがファッショの生粋。なんでこんな常識的な(知識以前の)基礎学力もないかしら。ブッシュほど非道くはない鴨しれぬが階級の意味も理解しない、この程度のレベルの人を総裁に、と推す代議士が自民党の7割だかで、国民の半数近くもこの人の首相就任を望む、とは世も末。
▼先日の皇位継承に関する橋本治ちゃんの朝日新聞への「寄稿」について。某筋の情報など綜合するとやはり本来は寄稿=投稿であるべき。「寄稿」となければ新聞社側が依頼したということ。朝日「私の視点」に池田大作先生の発言が載った場合「寄稿」とない=依頼と察する。では新聞の「寄稿」がすべて投稿か、と言えば各界の著名な先生方が実際に採用される保証もない投稿を自主的にどれほどするか疑わしい。いずれにせよ橋本治ちゃんの場合ではどうも本来の寄稿とは思えず何らかのエクスキューズで社会部あたりで入れてしまった「寄稿」の二文字らしい。内容が内容だけに朝日が敢て社と立場とは一線を画すと強調したい思慮か、もし「著名人が投稿してきた」と思わせるためだとしたら虚実も虚実。いずれにせよ「寄稿」の二文字は新聞社が勝手に用いて、しかも読者からの問い合わせには「寄稿とは新聞社が依頼して書いてもらったものです」などと、ジョージ=オーヱルの「戦争は平和だ」の如き二重思考すらしゃしゃと読者に説明してしまう新聞マスコミの独善となる。
▼仙台で作家・日向康(ひなたやすし)氏逝去。享年八十一歳。田中正造全集の編集に参加、正造の伝記「果てしなき旅」で大佛次郎賞受賞。友人らよる故人とのお別れの会の連絡先が勅使河原安夫弁護士の法律事務所。日向康、勅使河弁護士などと名前を聞くと仙台がいまのリトル石原的な梅原市政からは想像もつかぬ島野武市長時代の革新市政、そして勅使河原安夫擁立での革新市政の継続に燃えた、まだ革新が元気であった時代懐かしく思う。歴史的社共共闘の勅使河原を破って当選の保守系・石井亨はゼネコン汚職に有罪、実刑で服役する。