富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月朔日(金)安倍三世自民党総裁選立候補正式表明、つまり総裁選当選=首相就任まで確約の出来レース。たかだか自民党総裁選への立候補表明が晩の報道番組で安倍三世の生出演!と銘打つはTBSイブニング5、テレ朝Jチャンネル、NHKのNW9、テレ朝報道ステーションにTBS筑紫哲也NEWS23と安倍三世出ずっぱり。フジのスーパーニュースにも出たのかもしれないし、日テレの「今日の出来事」も新聞のテレビ欄で「安倍氏直撃」とあるのだから全局制覇かも。NHK会津の男、柳澤秀夫君のへっぴり腰、ある程度、安倍三世に苦言呈するが期待されるは筑紫哲也くらいか。よっぽど日テレの太田光の「太田総理」で教育問題メッタ斬りのほうが政治報道よか骨があるかも。いずれにせよ、この安倍首相誕生の敷石は昨年の郵政選挙にて国民が自民党に与えし信託、野党当然の如く安倍首相誕生ただ指を銜え眺めるばかりの、もはや大政翼賛体制。安倍三世の宣った「戦後レジームからの脱却」という言葉の、重さ、怖さ。広島でのこの立候補表明で会場の客の何割が「レジーム」の言葉の意味を知っていたか、或いはテレビで観た国民の何割がregimeの言葉の真意を理解していたのか。レジームは例えば米国でいえば第一次世界体制と共産主義国家成立以降の「悪に対して正義ある自由主義国家の導き手として世界に君臨する」ことがアメリカのレジームでありフランスならドゴールの第五共和制。日本はまさに戦後の、我々がこれまで享受せし(大事先送りは事実だが)自由で平和な社会、それが戦後日本のレジーム。十分に「美しい国」であろうに、それをちやほやと育った若造政治家が「戦後レジームからの脱却」などとほざき、それを、まさに戦後レジーム自民党のはずが党内も翼賛体制で支持。憲法教育基本法も保守右翼反動の諸君には不満こそあれ、基本法としてこれを維持することで中道から左の取込みが上手くいったのが55年体制戦後レジーム。外交も「日本の国益を主張する外交」などと言うが、戦後レジームは外交は「日本の国益」を全面に出さぬことで実質は「日本の国益」となる安定した対外関係での経済利益得てきたもの。そういった戦後の「美しい国」としてのレジームを脱却しよう、という安倍三世の「わけのわからない」保守の再構築?に諸手挙げて賛同する現在の自民党……とは言っても郵政選挙自民党の良識をば放逐し小泉チルドレンなどバカばかり当選したのだから戦後レジーム背負ってきた自民党とは全く異なものなのだが、小泉三世首相就任の頃に「小泉さんなら何か変えてくれると期待して」と国民の8割が小泉三世支持した盲従の民は今度は「安倍さんのさわやかさ」に期待とは。悲劇。民主党とて、実は松下政経塾出身の連中など「自分たちのやりたい戦後レジームの脱却を安倍さんに先にやられてしまった」と悔しがっているのが本音。パンドラの匣をひっくり返すような時代にある、ということを国民が理解できておらぬのだから救われぬ。だが安倍賛成首相に就任の暁には、政治は狡いものだから、意外と安倍首相はソフトな姿勢でハト派の如く振るまい韓国、中国との関係も間違いなく改善される。「安倍さんで良かった」と安心して、この「美しい国、日本。」路線に対して「戦前の国家体制の復活」だのと騒いだ朝日新聞や都新聞、岩波っぽい「良識ある知識人」、それに飲み屋で「まったくバカな世の中になったもんだ」とクダをまく余の如き者が「何を言ってるんだろう」「よっぽど怖いよね、体制を破壊しようとするんだから」と烙印を押されるのかしら。この安倍三世自民党総裁選立候補正式表明の今日、秋篠宮家での新生児誕生は六日午前、とまるで皆既日食の予定の如く発表される。男子誕生は安倍三世の「美しい国、日本。」に最大の贈り物か。それにしても、この「美しい国、日本。」の「。」って「モーニング娘。」の「。」っぽくって(しかも二番煎じだと思うと)バカもいい加減にしろ、の浅はかさ。こんなダサさが国家の姿のキャッチフレーズとは……電通?、今回の戦後スキームからの脱却、の代理店は? 電通だったとしたら満州建国以来の、あ、つまり安倍三世の祖父キッシーからの理想国家建設の、孫の代での偉業達成か。
▼英国退役軍人協会の香港・中国分会の名誉主席、Jack Edwards氏逝去。享年88歳。本日、九龍のSt. John's 教会にて葬儀あり。英国総領事、香港の政財界の著名人ら参列し、Chris Patten君も倫敦より弔辞寄せる。八月半ばのJE氏逝去の報は数日前に映像家H氏通し羽仁未央さんから聞く。羽仁さんは今日の葬儀に参列の由。JE氏はウェールズ出身。軍人となり英領シンガポールに駐在。1942年2月の日本軍によるシンガポール陥落で日本軍の捕虜となり台湾に送られ銅山での強制労役。1945年の日本敗戦までにこの労役に従事の五百余名の英国軍人のいち生き残りはわずか64名。東京裁判での証人としゅて出廷。戦後、倫敦にて退役軍人の恩給保証、生活保護などの活動に従事し1963年に香港に移り住み香港政庁で住宅部門に働く。政庁退職後は英国系Hongkong Land社に在職。香港の退役軍人協会の重鎮として退役軍人の福利、植民地徴用の軍人の英国居留権取得などに尽力。日本は戦時の敵国なれど軍人として戦後は日本軍兵士の遺骨収集にも協力するなど気骨ある20世紀の人がまた一人逝く。

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