富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月廿九日(火)晩に帰宅してドライマティーニ二杯。鯖魚焼いて食す。NHKのNW9眺めれば番組冒頭で山口県で二十歳の女学生殺害。事件は新たな展開。19歳の少年逮捕。被疑者につき警察の発表がなく事件は依然真相つかめず、としつつまぁ10数分にわたり「そーなんです、川崎さん」と主婦相手のバラエティ番組の如き「報道」。学校でこんな事件が起きたことが「やるせない」のかも知れぬが「激増する少年犯罪」というのま丸っきりの嘘、未成年の殺傷事件、少年犯罪がけして増えていない、むしろ減少していることはかつて日剰で述べた通り。被害者の知人らが「こんなことになるなんて信じられません」「とても優しい人だった」と、なんでこんな痛ましい悲劇が、と、そりゃ被害者の家族や知人にとって不幸は事実。だが、その悲しみだのセンセーショナルに報道する低俗さ。人が人を殺すことなど映画『2001年宇宙の旅』で獲物めぐる争いで猿人が動物の骨を握り仲間を殺すところで象徴的に描かれ、その殺人の道具が放り投げられ宇宙船になる、あの印象的な場面の通り、殺人こそ人類の歴史そのもの。それをまぁまるで昨日、今日、人類史上初の悲劇の如し。続いて稚内で16歳の少年が友だちに30万円払って母殺害。子どもが親を殺す「悲しい」出来事で「世の中が荒んでいる」そうで、キャスターの会津出身の柳澤秀夫君、国際紛争取材の猛者のはずが、かつてのNews10の今井環君ですら口にするのが恥ずかしいであろう「少年の心の変化を丁寧に解き明かす必要がある」と宣う。金八先生か。親殺し。しかも息子が友人に金子を握らせての親殺しなど黙阿弥の世界。江戸の頃の話なら、それを今だって歌舞伎座で芝居として楽しんでいるだろうに。福岡で幼児三名の命奪った21歳の青年の両親も弁護し通じて謝罪。成人した息子の過ちを親が謝るのは被害者に対してあるならあっていいがマスコミにが報道すること。その加害者の父が消防団に所属し、この事故の救援活動に従事していた、とは事実は小説より奇なり、だが、これも「ドラマ」である点に着目すべきか。落ち着いて考えるべきことは歌舞伎の芝居など、こういった話の積み重ねで話が出来て、それを芝居として楽しんでいる我々が現実の「事件」となると「信じられない」と驚いてみせること。テレビを見ていると本当にバカになりそう。新聞も(翌日の話だが)卅日の朝日新聞社説がこの飲酒運転のひき逃げ事件取り上げ「罪の意識が低すぎる」とこの事件論じるが「「逃げ得」を画策するほど運転者のモラルが崩壊しているのなら」などと言うけれど「ひき逃げ」など今に始まったことぢゃないし「モラルの崩壊」なんて「ない」のだ。言葉だけが浮いて拡張してゆく怖さ。こんな「報道」が廿数分も続き時間の浪費とテレビを消してRTHKの第4台をつけると倫敦の夏恒例のBBC Promsから演奏の中継が流れる。ネット上(こちら)でもこの夏の一大古典音楽会の全てが聴ける幸せ。
▼二人組の女性歌手の一人、マレーシアでの舞台にて着替え盗撮され雑誌壱本便利に盗撮写真掲載される。涙流し健気にその侮辱訴える姿共感を得、ジャッキー=チェンら芸人及び婦人団体も盗撮などマスコミの人権無視に抗議、行政長官「自称政治家」Sir Donaldも報道の自由とプライバシーにつき懸念述べるに到る。盗撮もひどい話だが「見られてなんぼ」の芸人。歌舞音曲の芸道選びし事でもはや通常の「人権」超越すべき、とは言い過ぎか。芸人であればコカイン、大麻程度吸おうが色に溺れようが裸体曝そうが曝すまいが芸が秀でてば好し、の世界であってもらいたいもの。それの体現が勝新。今回のこの女芸人、盗撮の侮辱に強く耐える女性、とすでに印象の昇華。これも「見られてなんぼ」の世界。涙の記者会見にて「わたしのことを応援してくれる子どもたちに今回のこのひどい出来事がどんなに悪い印象を与えるかと思うと……」と自らの屈辱より「子どもたち」「子どもたちに」と多く言及も興味深いところ。この芸人、今回は見事に災い転じて、だが数年前には中国だかどさ回りのなか宿泊先のホテルにてチェックアウト後に散らかした部屋に出歯亀雑誌の記者に侵入され煙草の吸殻だの麦酒の空き缶写され清純派アイドルの化けの皮剥がれる、と報道されたのも今や昔のことか。歌舞音曲の世界、そう簡単に人権だの考えて何になろうか。

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