富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-08-27

八月廿七日(日)拙宅の建付けの修理だの食料品の買い出しなどしているうちに昼となる。中井英夫『薔薇の供物』読了。そういえば、幸い、夢に「足の指の間の垢」出て来ず。午前、驟雨通り抜けたが雨も降らぬ様子に昼すぎから裏山より大潭を一時間半ほど走る。空の雲も高く秋の気配あり。海岸に出て浜辺の木陰で海野弘アールデコの時代』中公文庫読む。博覧強記の著者であるから1920年代のアールデコの時代を、女優、芸術家さらに自動車や腕時計といった生活のアイテムに注目までして徹底的にアールデコを語る。実際に知ったからといってタメにならぬ点では「トレヴィアの泉」どころぢゃない。そこがいい。この時代でグレタ=ガルボ、アンナ=パブロアについては知ったつもりでいたが著者が多くの頁をモダンダンスの「裸足のイサドラ」イサドラ=ダンカンに費やしたのが印象的。彼女が革命後のロシアに渡った時の手記
私はロシアへ行く。私の人生の夢を実現するために。それは、私の劇場、私のオーケストラ、そして座席を売買しなくてもいい観客と、授業料を払わなくてもいい生徒たちを持つことである。(略)ロシア人はずっと誤って伝えられてきた。彼らは十分な食料が足りないかもしれない。しかし彼らは、芸術や教育や音楽を、すべての人が自由に近づけるものであるべきだと決定したのだ。私は、子どもたちの精神的、身体的教育をコマーシャリズムより高く評価する、世界で唯一の国が存在するかどうかをぜひ見とどけたい。きっと私はポルシェヴィキになるだろう。しかし私は生涯、子どもたちを教え、自由な学校と自由な劇場を待ちたいと望んできたのだ。アメリカはこれを拒否した。あそこではまだ未成年労働者がいる。そして金持だけがオペラを見ることができる。美は劇場の支配人と映画界のボスによって商業化されている。彼らの望むのは、金、金、金なのだ。
嗚呼、革命万歳!(と谷譲次的に『踊る地平線』っぽく感動してしまうのだけど)このイサドラのソ連共産主義革命に対する理想、期待。そして見事に裏切られる。そのイサドラは1927年8月、巴里のモガドール劇場でシューベルトアヴェマリアを踊る。その一ヶ月後、彼女はニースの海岸通りで乗っていたスポーツカーの車輪に赤いショールを巻き込まれ、それに首を絞められて劇的な最期を遂げる。アールデコとは著者に言わせれば、世界の国際化の中でフォーヴィズムキュビズム未来派といった芸術がエジプトでのツタンカーメン王墓の発掘で注目されたエジプト芸術や、中南米のマヤやインカといった古代文明の発見、さらに黒人彫刻やジャズ、それにジャポニズム(日本趣味)といった世界各地の美から大きな影響を受け、その結集がアールデコとして花開いた、という。ジムに寄り帰宅して、〆鯖と秋刀魚。秋刀魚はもう秋口だからいいか、と今朝、ジャスコで半冷凍が3本でHK$13とお買い得のもの。美味。魚といえば昨日、永利漁村という海鮮料理屋で清蒸石班が供され、それの骨を外していたら、店の亭主に「骨を外すのが上手い!」と讃められた。魚の食べ方が上手いと讃められて嬉しくないわけがない。『アールデコの時代』読了。この本に巴里で『日はまた昇る』で成功しリッツホテルに出入りできるようになったヘミングウェイのお気に入りはスコッチウイスキーにライム半個搾る、とレシピあり、想像しただけで不味そう。それでも酒飲みゆゑ性懲りも無く、ただ無難なところでスコッチも無難にFamous Gooseでライム半個のジュースで割って飲む。酸味強い胃液の如き味。中井英夫『戦中日記』続き詠む。
▼香港の四川坦々麺の老舗、詠藜園が東京銀座に支店開業の由。それほど格別に美味かしら。香港で食す、から、まだ美味い。それも小汚い店が再開発の立ち退きで一旦潰れかかったのが蔡瀾美食坊で復活して好評の店でなく、その小汚い店であったから美味だったのだろう。この店の坦々麺、もともと上海風で、麻辣のパンチは効いておらず。そういう意味では湾仔にあった「Q麥」のほうがずっとマシだった。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/

八月廿七日(日)拙宅の建付けの修理だの食料品の買い出しなどしているうちに昼となる。中井英夫『薔薇の供物』読了。そういえば、幸い、夢に「足の指の間の垢」出て来ず。午前、驟雨通り抜けたが雨も降らぬ様子に昼すぎから裏山より大潭を一時間半ほど走る。空の雲も高く秋の気配あり。海岸に出て浜辺の木陰で海野弘アールデコの時代』中公文庫読む。博覧強記の著者であるから1920年代のアールデコの時代を、女優、芸術家さらに自動車や腕時計といった生活のアイテムに注目までして徹底的にアールデコを語る。実際に知ったからといってタメにならぬ点では「トレヴィアの泉」どころぢゃない。そこがいい。この時代でグレタ=ガルボ、アンナ=パブロアについては知ったつもりでいたが著者が多くの頁をモダンダンスの「裸足のイサドラ」イサドラ=ダンカンに費やしたのが印象的。彼女が革命後のロシアに渡った時の手記
私はロシアへ行く。私の人生の夢を実現するために。それは、私の劇場、私のオーケストラ、そして座席を売買しなくてもいい観客と、授業料を払わなくてもいい生徒たちを持つことである。(略)ロシア人はずっと誤って伝えられてきた。彼らは十分な食料が足りないかもしれない。しかし彼らは、芸術や教育や音楽を、すべての人が自由に近づけるものであるべきだと決定したのだ。私は、子どもたちの精神的、身体的教育をコマーシャリズムより高く評価する、世界で唯一の国が存在するかどうかをぜひ見とどけたい。きっと私はポルシェヴィキになるだろう。しかし私は生涯、子どもたちを教え、自由な学校と自由な劇場を待ちたいと望んできたのだ。アメリカはこれを拒否した。あそこではまだ未成年労働者がいる。そして金持だけがオペラを見ることができる。美は劇場の支配人と映画界のボスによって商業化されている。彼らの望むのは、金、金、金なのだ。
嗚呼、革命万歳!(と谷譲次的に『踊る地平線』っぽく感動してしまうのだけど)このイサドラのソ連共産主義革命に対する理想、期待。そして見事に裏切られる。そのイサドラは1927年8月、巴里のモガドール劇場でシューベルトアヴェマリアを踊る。その一ヶ月後、彼女はニースの海岸通りで乗っていたスポーツカーの車輪に赤いショールを巻き込まれ、それに首を絞められて劇的な最期を遂げる。アールデコとは著者に言わせれば、世界の国際化の中でフォーヴィズムキュビズム未来派といった芸術がエジプトでのツタンカーメン王墓の発掘で注目されたエジプト芸術や、中南米のマヤやインカといった古代文明の発見、さらに黒人彫刻やジャズ、それにジャポニズム(日本趣味)といった世界各地の美から大きな影響を受け、その結集がアールデコとして花開いた、という。ジムに寄り帰宅して、〆鯖と秋刀魚。秋刀魚はもう秋口だからいいか、と今朝、ジャスコで半冷凍が3本でHK$13とお買い得のもの。美味。魚といえば昨日、永利漁村という海鮮料理屋で清蒸石班が供され、それの骨を外していたら、店の亭主に「骨を外すのが上手い!」と讃められた。魚の食べ方が上手いと讃められて嬉しくないわけがない。『アールデコの時代』読了。この本に巴里で『日はまた昇る』で成功しリッツホテルに出入りできるようになったヘミングウェイのお気に入りはスコッチウイスキーにライム半個搾る、とレシピあり、想像しただけで不味そう。それでも酒飲みゆゑ性懲りも無く、ただ無難なところでスコッチも無難にFamous Gooseでライム半個のジュースで割って飲む。酸味強い胃液の如き味。中井英夫『戦中日記』続き詠む。
▼香港の四川坦々麺の老舗、詠藜園が東京銀座に支店開業の由。それほど格別に美味かしら。香港で食す、から、まだ美味い。それも小汚い店が再開発の立ち退きで一旦潰れかかったのが蔡瀾美食坊で復活して好評の店でなく、その小汚い店であったから美味だったのだろう。この店の坦々麺、もともと上海風で、麻辣のパンチは効いておらず。そういう意味では湾仔にあった「Q麥」のほうがずっとマシだった。

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