八月廿六日(土)日の出に雨音で目覚める。朝食後にぼんやりと新聞読んでいるとApple社でノートブックでソニー製造の電池交換という記事あり余の用いるPowerBook G4の12インチ型その対象で電池番号確認せば「当たり〜!」で指示に従いApple社に電話。すると土曜日の朝の九時というのに電話に出た職員が流暢な英語で「もういい加減疲れたよ」と言いたげにぶっきらぼうに香港のサービスセンターの場所教えてくれたが「土曜日も開いてるのかしら?」と尋ねると「サービスセンターに電話して聞け」と言う。なんでそんなことも知らない!と思ったが、ふと、この電話番号は香港の、だが電話すると米国のApple社に転送されていたのだ、と思う。世界中から問い合わせの電話受け、自動的に画面か何かにHong Kongと出て、手順説明した上で現地のセンターの場所を教える、という仕事で。北朝鮮とか南極の観測隊員だったりしたらどうするのかしら。いずれにせよ電池の交換対象であれ実際には昨年五月から利用していて何ら電池に不具合もなく寧ろこの時期に電池交換はちょうど電池も疲労ある頃だろうし幸い。早速午前10時に銅鑼湾はTimes Squareにあるサービスセンターに参る。現物確認され番号控え数週間後に電池届き次第お取り換えします、と。天気回復に向い昼過ぎにかねての約束通り余の主宰でZ嬢除くと八名の知人と将軍澳は坑口の地下鉄駅に待ち合せ午後ハイキング&海鮮。ミニバスで西貢。バスで北潭涌。上窰にある、客家の住居跡が保存され文物館となっているのをちょいと見学し上窰郊遊徑(Sheung Yiu Country Trail)を歩く。この新界の今では人も住まぬ鬱蒼とした緑のなかの辺鄙な集落である、客家の在郷の襲封なる家とはいえ、子弟をせいぜい市街の学校に通わせる、くらいが教育と思えるのだが事実、勉強よくする子らは英国の寄宿学校からオックスブリッジにまで留学している。当時の彼ら客家家庭の世界観の面白さ。今朝の雨であちこちに渓流あり風も心地よし。暑いは暑いが初秋の予感。萬宜水庫(High Island Reservoir)の西ダムの下、今は公共の水上活動センターとしてすっかり整備された処、かつて越南からのボートピープルの収容所あり。その収容施設もすっかり解体され緑の芝地広がるが此処にいた難民ら今は何処に。MacLehoseトレイルを歩き糧船湾より沙橋頭の小さな漁村へ。此処まで途中何度も休憩してゆっくりで約三時間。歩きの途中、N氏よりとらやの羊羹いただく。沙橋頭には何軒か海鮮料理屋あり週末だけ営業。予め予約の永利漁村という店で海鮮料理堪能。日没の頃に予め手配の船でゆっくりと一時間かかり島々を眺めつ西貢に戻る。今日はバスの中などで少しずつ中井英夫『薔薇への供物』の短編をいくつか読む。「薔薇の獄」という物語で副題に「もしくは鳥の匂いのする少年」とあり物語中に「まだあまりにも稚い少年の躯は、小鳥の胸毛に鼻をおし当てたときのような、かすかに焦げくさい匂いがした」という表現を読んで、ふと確か数年前に読んだ誰だったかの随筆にこの一文が引用されていたこと思い出したのだが「小鳥の胸毛」なんて言われても感性乏しき余には、何より鳥がちょいと怖いので小鳥とはいえ胸毛に鼻をおし当てる、なんてことは余には想像もできず。この「薔薇の獄」に続く短編「薔薇の縛め」には(この文庫本には中井の薔薇に紆る短編ばかり収める)主人公の男が「足の指の間の垢」、それも奴隷扱いすべき相手のそれをいい匂いとして嗅ぐ場面あり。この「足の指の間の垢」も、それがいい匂いかどうかという好事家的な判断以前の問題として足の指の間にたまった垢というものぢたい想像もできぬのだが、これは先日、東京で映画『ゲルマニウムの夜』を見た時に映画の終わりのころに、やはり「足の指の間の垢」がいい匂いとして大切に用いられていたこと。何十年も生きてきてまったく偶然に一月の間に「足の指の間の垢」というモチーフに映画と小説で遭遇するとは……。これまで「いい匂い」どころか存在すら意識したこともあき「足の指の間の垢」ゆゑに逆に意識にこってりと貼りついて離れず。そういえば、こういう偶然といえば昨晩見た映画『嫌われ松子の一生』で足立区の荒川河川敷が松子が故郷の筑後川思い出す重要な場所。今月は北千住を偶然訪れていたし、松子の旅行鞄につけられたキーホルダーが大阪万博の太陽の塔のミニチュアで、これも今月偶然に水戸芸術館のショップで岡本太郎の「太陽の塔」のオーナメントをば購入してきたばかりであったので(事実、机の上にこれがある)偶然とはたんなる偶然なのだが、そういう偶然のことが映画や音楽によけいに引き込まれる一因となることだけは確か。なんか、寝たら夢に「足の指の間の垢」が出てきそう。
▼来月廿二日に廿日の自民党総裁選受け臨時国会召集され安倍三世(これまで安倍二世(岸三世)と綴っていたが安倍家の祖父も衆議院議員のため安倍三世の間違いであった)首相就任。民主党の小沢一郎君が対立候補だろうが野党がかりに共産党まで首班指名で小沢君に投票しても先の郵政選挙で自民党に国民が全てを委ねてしまった結果、安倍三世の優位は動くはずもなし。たとえば総裁選出馬辞退の福田君や党内で壊滅的打撃受けているハト派の加藤紘一君ら自民党非主流派が反安倍で小沢君に投票し公明党が日和れば「あっと驚く」だが有り得まい。加藤君、近々上梓の著書『小沢主義』で教育は「最終責任を国家に持たせる」としつつ「親が子どもに何よりも教えなければいけないのは『自立せよ』というメッセージ」で「愛国心は、幼いころから適切な教育やしつけをしていれば、自然と生まれてくる」として愛国心教育に否定的な考え示す。安倍三世の「教育の再興は国家の任」という考えへの対抗。だが、安倍で決まり。保坂正康氏が今日の朝日新聞(私の視点)で述べているが今年の終戦記念日の靖国で、七八年前だったかに八月十五日、靖国で戦場体験者らの名前を呼び合い語りかけるような光景とは全く異なる、若者の目立つ無機質な風景と、その晩のNHKの番組で小泉靖国参拝賛成が7割超えたこと、若者の支持多きことへの保坂氏の驚きと警戒心。安倍三世は教育改革など訴えるが、実は安倍三世らの嫌う戦後教育こそ小泉・安倍を支持する無機質な思考力乏しき国民を養成してくれた事実に恩義忘れるべからず。ダグラス=スミス『憲法は、政府に対する命令である』平凡社より刊行、日本国憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」のに総理大臣自ら憲法違反が許されるこの国に対して。だが戦後、その憲法すら咀嚼し自らのものに出来ずにいるのなら、いっそのこと改憲して、実際に改憲されれば自らに竹篦返しのくることすらわからぬ邪拙なヒトビトが不幸になるのは致し方ないことか。だがあたくしは被害被りたくない……などと語ると築地のH君に言われたのは「それじゃ荷風先生でしょう」と。そうかもしれない。