富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-08-20

八月廿日(日)昨夜は山口瞳の『江分利満氏の優雅なサヨナラ』を読んだ。夜行寝台での小用に困る話とか高橋義孝先生の話とか、いくつか「これは知ってる」筋がある。きっと週刊文春の「男性自身」の連載で読んだのだろう、と思ったが、元来、記憶力なんてほとんどない。その「これは知ってる」の話が幾つにも及ぶに従い、どうやら、この『江分利満氏の』を一度か、あるいは二度くらい読んだんじゃないか?と疑わしくなってきた。拝借したのは新刊書だったが、文庫で読んでいたのだ。吉行淳之介山口瞳の親友作家らが次々と亡くなり、著者自身の病気の進行が随筆の話題になるのは、寂しい。この随筆の絶筆となるのが高橋義孝先生の逝去だ、ってのも悲しい話。山口瞳が尊敬する高橋義孝の後を追うように他界してしまうんだから。それにしても、酒が好きで、競馬、映画、落語に歌舞伎……とは、まるっきし自分が山口瞳の真似をしているようだ。ちなみに氏の行きつけの店で銀座の「はち巻岡田」と国立は谷保の「文蔵」は、事実、真似している。ただし京都の「山ふく」と「さんぼあ」は違う。これは自分の好きな店が偶然に、山口瞳行きつけだったのだ(……と山口瞳っぽく)。朝五時半起床。昨日の日剰を綴り急ぎの頼まれ事だのメールで返信を済ませ、新聞を三紙読む。朝食をとっても天気が今ひとつはっきりしないので旺角のジムまで遠征。油麻地から旺角に抜ける裏道にスプレー使った落書きが凄い。なかには見事な絵柄も少なからず。ジムで筋力運動と有酸素運動各一時間済ませ昼過ぎに外に出ると毛毛細雨。楽園牛丸大王に食す。午後、擦背、按摩。風呂屋で寛ぎつつ『江分利満氏の』読了。続けて中井英夫http://ja.wikipedia.org/wiki/中井英夫)の戦中日記『彼方より』完全版(河出書房新社)読み始める。中井英夫が学徒動員で市ケ谷の陸軍参謀本部に勤務中の日記。職務柄大本営発表以上に日本軍の負け戦を知りつつ反戦の思想、そして英夫らしい美的な世界。この軍役中に母の死に対峙しての異常なまでの悲しみ。その母の死まで読む。Z嬢と湾仔で落ち合い北京水餃皇に食す。餃子は宇都宮で食して以来だがタレなどつけずに、この、日本でいうところの水餃子の飴と肉汁の美味さ。油ぎっとりの日本の餃子よかやはりこちらのほうがイケる。この夏、香港国際映画祭がSummer Popsと題して夏の夜の夢の如き映画何本も上映企画あり。太古城のUA映画館にてSabu監督の『アンラッキー=モンキー』観る。1998年の映画で堤真一の若さ。Sabuらしい、偶然のことから銀行強盗、殺人、ヤクザの抗争に巻き込まれ、の主人公。だが、まだV6で撮るレンタルビデオ映画よかシビアな世界。面白いが最後、盗んだ八千万円とヤクザの死体が筋的に合わさるところ、でお終いにしてもよかったのでは? Z嬢帰宅し続けて独り青山真治の『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』観る。浅野忠信主演。「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とはイエスが十字架に張りつけられ唱えた最期の言葉「神よ、何故に我を見捨てたもうや」の由。浅野忠信ということで「おそらくわからないだろう」と思っていたが出演者に筒井康隆の名前を見た瞬間、この作家を役者として理解できない我は(ご本人がかつて「噂の真相」での連載で自ら出演の芝居の話読むだけで食傷の感あり)ちょっと「こりゃダメだ」の予感。話の筋は2015年だかの世に地球には自殺願望ウイルス蔓延し日本でも300万人だかが自殺する事態に浅野忠信の創る音楽(若い人たちの間のノイズという類だろうか)を聴いた人たちだけが自殺願望から遠ざかれるそうで筒井康隆演じる財閥の当主が孫娘救うために浅野の許を訪れ……という話で40分ほど我慢して見ていたがあまりの話の拙さ、筒井康隆の下手な役者の真似事に、もう限界、と残り30分くらい前に退場。
▼舞踏家大野一雄先生百一歳の御誕辰の由。N兄より久が原のT君通して聞く。
▼書評家で青山学院の広報室長であった山村修氏逝去。享年56歳。この方に『禁煙の愉しみ』という著作あり。青山学院の図書館で司書だかされていた愛煙家の氏がどう気持ちよく禁煙を愉しんでいるか、の随筆の基本のような文章で、確か禁煙をする事で幼い頃のバニラの如き甘い心地のなかにいる自分、といった事書かれてきたと記憶。その随筆の美しさに感動し思わず青山学院の図書館宛にお手紙を差し上げたら丁寧にご返事をいただく。この本は当時、間質性肺炎という病に罹りヘビースモーカーであった父がきっぱりと煙草を止めた時で父に贈ると喜んで読んでくれたもの。その人が56歳の若さで而も肺癌とは。弔報で、この方が「狐」という署名で日刊ゲンダイに81〜03年までながく書評を書き「狐の書評」など単行本を出されていた、と知る。今年の七月に著書で本名を明らかにされた、というのは生前の最後の証しであったのかしら。著作には『花のほかには松ばかり―謡曲を読む愉しみ』という能の謡曲についてまで書かれていたとは。

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