富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-08-13

八月十三日(日)晴。早朝に目覚め今日の予定をぼんやりと思い起こすと香港に戻るのはいつも最終便のCX505便であるが今日は台北経由。台北経由は18時30分発なんてある筈もなし。起きて時刻表で確かめれば16時丁度発。完ぺきな勘違い。いつもCX505便に合わせ東京駅発15時の成田エクスプレスに乗車のところ英米テロ対策警備強化で昨晩のうちに30分早い列車に昨日乗変。16時発ぢゃこれでも無理。慌てて朝食も取らず新橋駅までジョギング。みどりの窓口乗変はもう一度したので一旦払い戻しで正午の列車を取ろうとするがG車1席のみ、で11時発か14時発しか2枚お取りできません。機転の利く女性職員が(どうも「みどりの窓口」というと旧国鉄時代に導入された「マルス」のシステム扱うのが昭和四十年代当時、非常に訓練された専門職員であったため今でも彼らの険しい表情が印象にあり。で女性職員や客に「うん」と答える(それは「いいえ」だろうがっ!)若い男性が端末の画面にピッピッと触れながら業務する姿にどうも「大丈夫?」と思ってしまふ)すでに購入&乗変の切符の払い戻ししている最中に「あ、12時の列車の普通席が1枚出ました。G車と普通車で1枚ずつ、で宜しいですか?」「はい、それで結構です」でどうにか英米によるテロで厳重警戒で混乱と新聞の朝刊にも出ている成田への列車の切符を確保する。ホテルに戻り部屋でコンビニおにぎりの朝食。Z嬢は銀ブラに出かけるが余は部屋に戻り雑事済ます。本当は昼に新宿に墓参りして「いしかわ」で鮨のはずが。正午の成田エクスプレス。Z嬢に「鉄ちゃんだから」といわれ鉄道好きはG車譲られる。車内に防弾チョッキに拳銃携えた、見た目にはほとんど武装の鉄道警察官二名。やめてよ。成田への車中、中島京子ツアー1989』なる小説(新刊書)読む。朝日新聞でも「すばる」でも好意的な書評あり、の香港へのツアー舞台にした小説。榎戸ケイスケという登場人物が榎本大輔氏に思えて、同じ吉田超人という怪しい人物が吉田一郎氏に思えてしまって可笑しい、が、それは作品ぢたいとは全く関係ないこと、で小説ぢたいはあたくしにはあまり面白くもない。成田空港着。米国便は預け荷物の検査に長蛇の列。不憫。というか米国に行かなければ面倒な検査、審査もなければ、ワケのわからない新型旅券も要らず。というか米国が存在しなければ世界はもっと平和。二人で70kgの荷物預け(今回も本屋の買い出しの如し)登場手続き済ませ手荷物と身体検査に向うが予想に反して順調。米国行きの搭乗客だけが修験道の山伏の如く心頭滅却と唱えながら裸足で火の上を歩く火渡大護摩供養あり。これもいい加減で「どちらまでですか?」と尋ねられ「香港」と答えると搭乗券もろくろく見ないまま裸足の火渡りは不要。米国行きでも適当に「バンコク」とか答えれば裸足での火渡り不要か。いい加減といえば搭乗手続き前の預け荷物の検査とて長蛇の列だがファースト&ビジネス客は優先、で職員は航空券も見ないのでエコ客でもファースト&ビジネスで通り抜けられる杜撰さ。で出国審査もこれまでの成田空港で経験したことなき3、4人待ち。どうも周囲の搭乗者の会話聞いていると午後3時の便なのに9時に成田に到着してた、とかアルカイダ名乗る米英の自作自演テロ対策強化とマスコミの「成田は混乱」報道により搭乗客があたくしも含めかなり早め、早めの移動となった所為で成田はむしろ混雑せず。やはり「テロの脅威」の社会的効用計り知れず。誰かが「テロの脅威」を利用している証左なり。出国審査のところに法務省の「北朝鮮への渡航自粛のお願い」の掲示あり。(こちら
北朝鮮による今回の弾道ミサイル又は飛翔体の発射は、我が国の安全保障や国際社会の平和と安定、さらには大量破壊兵器の不拡散という観点から重大な問題であり、船舶・航空機の航行の安全に関する国際法上の問題であること等極めて憂慮すべき事態です。つきましては、北朝鮮への渡航・滞在を予定されている方は、目的の如何を問わず、渡航を自粛してください。
と。北朝鮮が本気で日本攻撃する意図なきことなど常識。「北朝鮮の脅威」を北朝鮮自身も日米も上手に利用しているだけの話。なぜ日本の安全保障や国際社会の平和と安定、さらには大量破壊兵器の不拡散という観点から個人が渡航自粛せねばならぬのか、全く理論的な根拠なし。寧ろ「米国への渡航自粛」のほうが「国際社会の平和と安定」のためには重要かねぇ、とZ嬢と話していると、あたしらの後ろに並んでいたオジサンが「この人たち過激派か」という心配そうな目線(笑)。第1ターミナルの南翼に出来た「成田仲見世」なる商店街の免税店で従兄弟のK君が勤務しておりちょっと顔見せ。普通の小売店なら「ちょっと、これお土産に」「いや、そんな気をつかわないで」と酒の一瓶でもいただけるところだが免税店なのでそういうわけにもいかぬ。全日空とStar Allianceの占有する南翼をK君に案内され見学して(ANAのラウンジはかなり快適そう)競馬関係の友人らのブログでかなり噂になっていた第5サテライトから第4同への地下通路を歩く。本当に人っ子一人おらず。350mだか地下通路延々と歩かせるよか、その「成田仲見世」歩くほうがまだ精神衛生上も空港としての収益上もいいのではなかろうか。キャセイパシフィック航空のラウンジで(ここを使うのも今回が最後?)昼飯がわりにカップラーメン。CX451便に搭乗。2階席の一番前の81Aと81Cで快適。台北への機中、小熊英二著『日本という国』読む。理想社の中学生でも読める社会科副読本的な小熊氏の国家論。慶応大学の先生であるから小熊氏は福沢諭吉の『学問のすすめ』から話をば始めるのだが「天は天の上に人を造らず人の下に人を造らず」という書き出しばかりが実際に同書をば読んでおらぬ人ほど「平等主義」などと誤解しているが実際には者会はそう甘くないわけで、というところから小熊氏は語り始め、西洋文明を吸収することが「勝ち組」への道と
「日本という国」の近代化は、こうして始まった。西洋の文明を吸収し、国内では「学問」をして競走に勝ちぬき、国際的には「侵略される側」から「侵略する側」にまわる。そのために、国民全員を義務(強制)教育によって、勉強させなければならない。だから明治政府はおおくの学校を建て、福沢も慶応義塾をつくった。そうやってできあがった学校制度の流れのはてのなかに、現在のわれわれはいるわけだ。
と、これじゃ「学校図書館には置いてくれないかしら」か。その義務教育も実際に徹底されたのは、噂の「明治二十年代」であることを小熊氏も指摘。日清戦争で得た賠償金が教育基金となり、明治政府も財政が豊かになり教育への国庫補助も増大し明治33年(1900年)に義務教育の無償化など国民教育の徹底がなされるのだが、これも「国民に教育を広めることがどんなに戦争に役立つかが、じっさいに戦争をやってみてよくわかった」からで、近代が戦争でも産業でも読み書きのできる国民をば必要としたこと(歴史的に、の話だが)。このような強制なのであるから、小熊氏は「不登校やいじめなんて、あってあたりまえ。全国の子どもほぼ全員が受験戦争にまきこまれて、子どもたちに何らかのストレスや問題が生じなかったら、そのほうがかえって不思議なくらい」と言い放つ。しかも、その国民教育には「貧にして知ある者」という国家にとってはマイナスとなる貧しさに不満や疑問をもつ国民も生まれてしまうから、国に対する忠誠心、愛国心、そして誇りある歴史の教育などが始まる。今年の3月に上梓された本だが、靖国問題にも当然触れており、昭和天皇A級戦犯合祀に不快感、という話がすでに盛り込まれており、そういう意味ではタイミングよかった鴨。7月で第五版であるからかなり売れている由。ただ、一つ思うことは、<近代国家のしくみ>という意味では小熊氏のいう通り、だが、そういった事実は自分なりにみなさん思考的に右往左往して自分なりに勉強もして切磋琢磨してわかった事の筈、で、それを中学生に簡単に「こういうものですよ」と教示してしまうことが果たしていいのかどうか、多少疑問。台北到着。夕陽がきれい。キャセイのラウンジでお決まりの南京牛肉麺と肉饅に台湾麦酒。ラウンジの麺コーナーのおばちゃんも愛想よく台湾らしさ。小一時間で香港に向け出発。機中、樋口陽一先生の『「日本国憲法」まっとうに議論するために』(みすず書房)読む。内容は樋口先生の持論で、それをみすず書房の「理想の教室」という入門書シリーズ(という意味では理想社の前述書が「よりみちパン!セ」というシリーズで中学生以上向け、なのに対して、こちらは勉強好きな高校生以上から大学生向け、といった感じで、そういう意味では内容は樋口先生の持論をわかり易く書いたものだが、樋口先生であるから独特の理論展開は、いくらご本人が簡単に書いた、といっても平易に書き下した分、難しいところがあり
性(sex)による差別の解消を主張する立場から、男女の別をジェンダー(gender)と呼ぶならわしが、英語圏からはじまって、他の言語圏にもひろがっています。genderは、もともとジャンル(genre)を意味します。この言葉の内包する論理からすると、男女というジャンルを論ずる場を越えて、およそジャンルによる不均等取扱を否定して「本質的平等」を推進する起爆剤となる可能性と危険性が含まれているのではないでしょうか。あえて「危険性」と言うのは、その論理をおしつめると、個人の結合ではなくジャンルの連結からなる社会が構成されるからです。
と言われても、その「ジャンルの連結からなる社会」が具体的に何か100字以内で述べよ、と言われると難しい。例えば「マイノリティにとって差別に対抗するような形で、同じジャンルに属するものが集団となることで、平等を推進するはずの思想が、例えば「同性愛者が異性愛者をむしろ異常者と見る、排除するような発想」を育み、genderによる対立が生じること」が解答例なのかしら。樋口先生はこの本の最後で、『近代の超克』で一人だけラリっておらず冷静に近代についての疑問を呈す中村光夫と、西欧の中心にあって西欧中心主義の脱構築を訴え続けたジャック=デリタの敢えてのヨーロッパ主義の主張を紹介する。そういう意味では樋口先生もいい意味で非常に近代や憲法について保守主義なのであり、伝統にこだわる原理主義者である、と思う。香港に到着し飛行機がゲートに接岸してから一時間で入国審査、荷物受け取り、エアポートエクスプレスとタクシーで自宅に到着。深夜まで荷物片づけ。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/