富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-08-02

八月初二。水曜日。曇。朝六時すぎ起床。朝食とりながら読んだBangkok Postに昨日に引き続き創刊60周年の記念記事あり水曜日はテクノロジー頁のようでタイのコンピューター普及について。これも記事は1960年にプミポン国王が訪米の際にカリフォルニアのSan JoseにあるIBM訪れたことをタイのコンピューター化の黎明期として紹介し、そこから記事が始まる。歴史、物語とはこういうもの。端から見ると一瞬、首を傾げたくなりもするが、この王様がいて国がまとまっているのなら、それにこしたことない。朝日新聞など、タイが国王に頼っていては民主主義が育たない、などと言っていたが、昭和天皇A級戦犯合祀についての発言など公表されれば「昭和天皇も合祀には不快感示し」としているのだから、困ったもの。タイはこれでいいのだろう。
これでいいのだ〜、これでいいのだ〜、国王プミポンプミポン、ポン
である。朝早い朝食。ホットケーキにベーコンを食す。この組み合わせはちょっと意外なようだが美味。ベーコンに少しシロップがかかったくらいで。午前中、中庭の木陰で読書。『池波正太郎の食卓』読了。そのホットケーキにベーコンが池波正太郎の好んだ朝食である、と知る。池波正太郎という人、食通なのは認めるが、せっかく松茸で湯豆腐を楽しんだあと、〆に、とビーフカツレツ食してしまう、この食欲がとても理解できぬ。そのまま落語のマクラにでも使いたい話も多し。小鰭についての言及など、小鰭といいますと吉原で、唐桟の袷せに吉原かぶりの鯔背なお兄いさんが、盤台に小鰭の握りを並べ「小鰭寿司〜ぃ」なんて廓を流して歩きまして、その格好が実に粋で
坊主だまして還俗させて小鰭の鮨でも売らせたい
などと俗謡にもございますが、坊主といえば……
とか志ん朝師匠の語りでね。ホワヒンの鉄道駅舎まで散歩。バンコクまでのんびりと鉄道で戻ろう、という案もあったが、タイ国有鉄道の斜陽、ホワヒンからバンコクに向う列車の多くはタイ南部からバンコクに早朝に着く夜行列車でホワヒンの通過は深夜から未明にかけて。昼の列車は午後二時すぎにホワヒン発の鈍行一本あるが四時間半かけてバンコクに夜の七時過ぎの到着で、ちょっとこれぢゃバンコクで晩が忙しくなり鉄道は断念。せめて駅舎だけでも、と見に行く。鉄道駅に向う途中、幸四郎、若い頃の染五郎に似た銅像あり。お若い方はご存知なかろうが1962年、ファイティング原田弱冠19歳世界フライ級王座に初挑戦し破った相手の王者こそ「シャムの貴公子」ポーン=キングピッチその人なり。タイの伝説的なボクサー、タイ史上初の世界チャンピョン(戦歴)。蔵前国技館での試合など我が先考などにとっては伝説となった11Rでの原田の連打にチャンピョンが倒れボクシングの試合だが蔵前なので客席から多くの座布団が飛び……。三ヶ月後のリターンマッチでポーンが王座奪回果たし原田はバンタム級に転向(そして再び世界チャンピョンとなる)。そのポーン=キングピッチがホワヒンの出身。1982年3月31日にわずか47歳で逝去。ホテルに戻り読書のあと昼前に荷造りしてホテルの食堂で昼飯済ます。チェックアウトしてトゥクトゥクに乗りバス車站。午後二時半すぎの急行冷房バスで一路、バンコクへ。車中、後藤繁雄編『独特老人』読む。560頁に30人ほどの個性豊かな各界の老爺が現われ、語る。森敦(作家)、埴谷雄高(作家)、伊福部昭(作曲家)、升田幸三棋士)、永田耕衣俳人)、流政之(彫刻家)、山田風太郎(作家)、梯明秀(経済哲学者)、淀川長治(映画評論)、大野一雄(舞踏家)、杉浦明平(作家)、下村寅太郎(哲学者)、杉浦茂(漫画家)、須田剋太(画家)、安東次男(詩人)、亀倉雄策(アートディレクター)、細川護貞(殿様)、水木しげる(漫画家)、久野収(哲学者)まで三時間読んでバンコク市街にバスは到着。日本で何度も舞台を見て1993年には当時87歳で香港にまでいらっしゃり「ラ・アルヘンチーナ頌」など舞われた大野一雄氏。打ち上げの末席を汚す光栄。それにしても凄い老人たちの思想力。森敦の「一即一切の一は1/nの1で一切一即の1はn/1のほうの1、で1/nとn/1は逆数だから掛け合わせると1になる、だから一即一切、一切一即、一合一となる。これが相即相入で華厳経の言うところ、因明であり、この原因を明らかにするしそうがアリストテレスから来たもので、アレキサンダーの大征服でアリストテレスの論理学が東洋にもたらされ因明となり……」と、この思考の大きさ。この本には堀田善衞氏自身は登場せぬが、杉浦明平の語りのなかに堀田氏が登場し、ふと、二十年以上前に堀田氏の『上海』なる小説を読み堀田氏に葉書を差し上げたら丁寧に返信いただき恐縮したことなど思い出す。バンコクのバス北ターミナル(サーイタイ)に五時半すぎに夕方のラッシュのなか四十分ほど走り(って終日、渋滞だろうが)チッロムのインターコンチネンタルホテルに投宿。遊興で年に数度通ってでさすがにクラブフロアのスタッフも顔なじみ。急ぎ荷物解きスパで一浴しY夫妻と待ち合せKlongtoeyにある紅葉亭なる居酒屋。バンコクの日本料理屋の相場は例えば刺身が500バーツといわれると香港ドルでHK$500の内容なのだが(勿論、日本から高級魚が空輸され、その晩に供される香港であるから質的にはバンコクと比べられないが)500バーツは香港ドルでHK$100だと思うと安すぎ。Iyara(あいやら)なるタイ産の米焼酎を飲む。ホテルでは読売新聞が部屋に届き朝日は?と尋ねると有料です、と申し訳なさそう。
▼新聞といえば読売が1面で将棋の名人戦棋士総会で毎日新聞主催打ち切り朝日に乗り換え、と報道。億の単位の金の応酬で朝日が「毎日に比べ発行部数の多さ」を「売り」に名人戦奪取。読売は1面ばかりか2面、社会面まで報道の熱の入れよう。億のカネまで使ってのほどの将棋の名人戦か、とも思うが、3億数千万円も計算すれば1日あたり900部弱の購読料で、将棋人口考えれば全国でこれくらい将棋関係で毎日から朝日に読者が動くか。それにして読売の執拗な報道が可笑しい。
鶴見和子刀自逝去。享年八十八歳。鶴見祐輔氏の娘で後藤新平の孫。弟が鶴見俊輔氏。津田ッ塾からバッサー、コロンビア大学に学び1942年に捕虜交換船で帰国。コロンビア大学助教授から上智大学教授(社会学)。これに目がとまり、それでふだん殆ど目を通さぬベタ記事扱いの訃報欄を見れば「エイチ・アイ・エス」という社名が目にとまり、見ればHIS常務の五町孝弘氏の名前。脳内出血で現役のまま52歳の急逝。いぜんにも日剰に綴った記憶あり。五町氏はまだ安売り航空券の「怪しい会社」と思われていた頃の80年代後半の香港支社に勤務。余も初めての中国入りは行き先が黒竜江省なのに香港経由でパンナム001便で夜中に香港入りしHIS指定の尖沙咀の「富士ホテル」に投宿。Mr Gochoが現地で連絡をとるから、との説明受けていたが、Mr Gocho(ゴチョ)なるいかにも東南アジア系の怪しい名前、が日本人が深夜、ホテルのロビーに現われ「五町」なる名前だと知り少し安心し珍しい名前は記憶から消えず。深夜に旅券渡し窓もない富士ホテルの部屋でジャックダニエル飲んで寝て翌朝に五町氏現われ、あら不思議、中国の入境ビザが押された旅券を渡される。マイクロバスでいくつかのホテルまわり中国に入るバックパッカーの若者拾いホンハム駅から「最近、電化されて便利になった」というKCRで羅湖へ。車中、五町氏から中国の旅行事情などいろいろお聞きして、まだ三十代前半の溌剌とした、いかにも東南アジアの日本人然とした氏の印象強し。羅湖で「それじゃ、いい旅を」と五町氏に背中押されて深?に入り二ヶ月に渡り中国の一人旅始めた記憶がまるで数年前のように記憶に蘇る。HISはその後、海外旅行ブームで急成長し、五町氏はまさにその原動力。数年前に何かの新聞記事だかで五町氏が常務と知り、驚きながらも「さもありなむ」と納得。ご冥福祈るばかり。

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