富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-08-01

八月朔日(火)。朝から小雨続き。涼しさ。部屋のベランダからの眺めも緑映えて風情あり。雨中にプールサイドに傘立ててデッキチェアにタオルかけ、しっかり場所確保の御仁あり。リゾートに対する精進ぶり。雨のなかスプリンクラーで芝生の水撒きも可笑し。タイ国内で鳥インフルエンザのヒトへの感染あったそうで家禽三千羽だか処分される。NHKの海外安全情報で鳥インフルエンザの確認された地域に渡航、居住する人は鳥との接触を避けて、と言われても庭に朝早く賑やかな鳥を追い払うことはできまい。昨日読了の田中直毅本で一つ思い出せし事。田中君のいう55年体制の崩壊と2005年体制の誕生に位置づけられしは昨年八月八日の参院郵政法案否決での衆院解散。あの日ふと思い出せば余はバンコクにあり。恭しくも滑稽なる衆議院解散を生中継で眺め、万歳三唱で笑顔で握手しながら退場する国会議員諸君の姿。あれが田中直毅の言う2005年体制の始まりか、と思えばただただ呆れるばかりなり。毎朝部屋に届くBangkok Postがタイ語読めぬ我には唯一の新聞だが(丁抹語や瑞典、諾威といった北欧の新聞ならタブロイド版で届く)今朝の八月一日がこの新聞の創刊(1946年)の60周年の特版。戦時中の在盤邦字紙印刷所施設を使い1946年8月1日に創刊。長年資金調達の困難続くがタイの経済成長にともない英字紙の需要高まり70年代にタイの財閥Central Groupに買収され1999年には香港でSCMP紙の大株主となっていた郭鶴年がこのBangkok Postも資本参加し経営に参画。確かかなり政府よりの保守紙であるが近年はタクシンの横暴ぶりには不快感も顕わ。タクシンといえば一時は失脚に向いていたが情勢挽回。今日の新聞でも10月15日の国政選挙につき王室より王宣を賜った(院宣という言葉はあるが王宣はないのだろうか)として野党に対して参選棄権などの策に出ぬよう牽制。国王陛下にとっては道化師の如き首相に何をばお感じになるか。ところでプミポン国王陛下(正式には????????????????????????? ?????????????? ????????????????????? ??????????????????????????? ???????????と言う)におわせられては在位60周年の際に足腰痛められ入院治療中。79歳と高齢のこともあり国民の間には国王の快方に向うを願い黄色の服纏う者かなり多し。かりに国王に万が一のことあり崩御ともなればタイという国がどれほどの喪に服すか、昭和帝どころではあるまい。この王室敬愛の念、それにともなう愛国心、タイはよく「王室はタイ仏教の象徴でもあり、伝統的に国民の敬愛を受け」などと言われるが実際にはラーマ5世(チュラロンコン大王)こそ日本でいえば明治帝の如き近代国家建設で位置こそ占めるが現国王の兄君暗殺された頃などは王室の地位はかなり不安定であり、まさに現国王になりタイの近代化のなかで王の果たした役割に対して国民が敬愛の念を育み、そればかりか「物語」と「伝統」をば生んだところが、キッシンジャーだったかの言葉「現実が歴史を作る」のまさに適例であろう。ところでプミポン国王の兄君(ラーマ8世)の突然の死去、王宮で眉間に銃弾当って、で拳銃の暴発とされているが他殺説濃厚という話、日本陸軍の参謀将校であった辻政信http://ja.wikipedia.org/wiki/辻政信)が絡んでいる、 という話、六月に天皇陛下が新嘉坡でお言葉述べた日本軍による新嘉坡占領での華人虐殺もこの人が主犯格だと言われており、今回の天皇陛下の南アジア訪問、すべて辻政信が絡む、と余も六月に日剰に綴ったが、戦時中の傀儡ぶりが民族派などから戦後糾弾されるならまだしも、その傀儡として操った側(日本)はむしろ国王をば庇護すべき立場のはずで、それが参謀将校が殺害に絡んだのだとしたら、よっぽど暴露されては困るような事実でもあったのか、かりにそうだとしても第三国、某機関による元首暗殺など考えられぬ話で、それが「赦された」としたらよっぽどの事情が、それもタイ側にも、あったのだろうか。憶測の域から出はせぬのだが。村上陽一郎科学史からキリスト教をみる』読了。いつも何冊も本をかかえリゾートに参り一冊とて読めぬこと幾度もあり。今回は比較的読みやすい本、そのままホテルに置き去ってもいい本にかぎり五冊持参。そのうち四冊も読んでしまい、このままでは盤谷に戻る車中に読む本もなくなるは必至で読了の本をホテルの図書室に寄贈し佐藤隆介著『池波正太郎の食卓』と山本周五郎『生きている元源』の二冊借りる。山本周五郎は実は『さぶ』とて読んだことないが村上陽一郎氏が漱石とならび絶賛。香港に書類に署名して送るなどいくつか用事済ませ池波本少し読めば昼。プールサイドのダインにてナシゴレンなど食す。プールに米国人数組あり。プールサイドよりフリスビー投げ海豚か海驢の如くゲットする水芸は見事ながらプールの周囲に寛ぐ北欧からの客らの迷惑顧みず。睨まれていることも気づかず他人に迷惑かけ楽しみまくり、はまさに米国らしさ。規矩というものが欠ける。午後、この数日ずっと中庭の木陰での読書続きでさすがにからだも鈍りデブ気味、せめてもの運動とカオタキアップと呼ばれる海岸の岩山に向かいホワヒン海岸の砂浜を一時間半、7kmほど南に散歩。海岸に面して瀟洒なホテルと高級別荘が点在しまるで大磯、吉田茂閣下でも散歩していそう。浜辺に遊ぶ犬二匹が盛りか交尾にじゃれつく。二匹かわるがわる相手に乗りかかり腰を振り、よくみれば確かにいずれもオス犬なり。「さすが、タイ」とZ嬢。御意。カオタキアップの岩山に至り金色の仏像も見事ながら通りすぎ漁村歩けば潮くさい泥川の向こうの林に突然、象が数頭現われ何かと思えば観光象園。このあたり観光開発の無惨なる残骸多し。ゴーカート場、シーフードBBQなどの施設が草木に覆われる。アジアの観光地に多い話で、キャパが50とした時に規矩というものなく必要以上に突然のリゾート契機に乗じて分譲マンション建設から観光地開発。それがコケるも必至。キャパが50なら50で身分相応弁えたところで50のキャパに心地よさ感じ毎年の如く再来する上客をもてなしてこそ、なのだが。ダットサンのタクシー?で市街に戻る。ホテル近くのマッサージ屋で一時間の按摩。見事な腕前。ホテルに戻り晩までいくつかお仕事片づけ。晩に市街のLa Villaなる伊太利料理屋に食す。同じ伊太利飯なら一昨晩のCurusoのほうが「ウチは何を食べさせたいのか」が明確でグッド。北欧人多きこの il sole e mare の観光地で「美味いもの」といえば、やはり伊太利料理なのかしら。とにかく客筋は彼らであるから物売りでもオカマバーのホステスさんの客寄せもまったく私らなど無視されたまま。四晩続けて、でジェラート食す。山本周五郎『生きている元源』少し読む。早寝。

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