富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-07-16

七月十六日(日)未明に嵐となり紅色警報発令。間も無く黒色警報となり一時間の雨量は115.1ミリと香港観測史上最大の雨量を記録。雷鳴轟き大雨続く。日の出ののち雨歇む。午前中ジム。昼にZ嬢と佐敦で待ち合せ数年ぶりにParkes Stの麥文記に雲呑麺食す。余の知る限り香港で最も(ということは中華世界で最も)味の極めて淡泊なスープとコシは大したものだが塩分もかなり控えた麺で、これだけならあまりに無味乾燥、それがなぜそこまで抑えられているかといえば一口齧れば見事な蝦の剥身が微妙な塩辛さと美味い胡麻油で茹で上がり、これを噛みながら淡泊なスープと麺を頬張る醍醐味。至福。今にも雨がザーッと降りそうな空の下、九龍公園散歩してZ嬢とわかれ香港島に戻り午後、ご公務。半ば趣味の如きお仕事に休日も飽きもせぬが極めて貴重なる史料をばずっと大雨になれば窓の隙間から雨水も入ろうかという場所に起きっ放しが気になり今朝の雨も怖かったがどうにか無事。ようやくある程度整理して棚に収める。ネットで音楽聴きながら作業続けておれば、古典の歌劇曲のチャンネルで突然、意味不明のニュースアナウンサーのナレーションに何かと思えばジョン=ケージのIndeterminacy IIIという「楽曲」。戦前に香港にありし貿易商M商店の史料など眺めておれば香港弗軍票払い戻し、しかも昭和29年に横浜正金銀行とあり何ぢゃこりゃ?と驚く。戦後、占領地に於いては地元民に対して日本軍発行の軍票の払い戻しは「ない」こと、しかも戦後すぐに東京銀行の創立で横浜正金は存在せぬ。経緯は、M商店店主が戦前に横浜正銀に預金した42万円相当の軍票(通貨が「軍票」なのも興味深い)、また横浜正銀広東支店で1943年に当座預金にした儲備券(昭和18年に中南支に於いて軍票新規発行廃止し儲備券とした由)963,287円95銭につき昭和29年に閉鎖機関横浜正金特殊清算事務所(日本橋住友銀行内にあり)に対して返還請求したもので、軍票そのまま持っておれば紙屑だが、預金としていたことで横浜正銀に対して債権となり、嘘でも当時の大蔵省告示の換算率10分の1で新円で還付あり。もう一つは台湾銀行の香港支店に昭和18年に預けた香港弗軍票127,455円60銭で、これは三和銀行(東京日本橋呉服橋)内の台湾銀行精算事務所が請負う。香港で地元民の蓄えた軍票が戦後、補償されなかったことが問題になっているが、かりに彼らが日本の銀行に預金していた場合、戦後このM商店の店主の得たような還付があったのかどうか気になるところ。晩に湾仔で一つ薮用あり、早晩に鷹君中心の韓日料理屋「純子屋」に食さむと訪れれば日曜で休み。湾景中心に「三里屯」なる飲食街あるが三里屯は北京の洒落た飲食街の名をば借りたもので、粗呆地区(Soho)の如く見た目ばかり。このビルのG階には小汚い商店街あり、安い飲食店何軒かあるが、此処も日曜日で壊滅状態。新鴻基中心のSuper SandwichでBLTサンド食すが数年ぶりで、なんだか麺麭は薄くなり、ボリュームはない、レタスまで微塵切りするなよ、の出来で、なんか食べた気がせず湾仔の繁華街に戻りStewart Rdの泉記で魚蛋河と思えば此処も日曜休み。同じ通りの喜喜焼臘で叉焼飯食す。食べ過ぎ。諸用の最中に中岡望氏の「政治家フランシス・フクヤマネオコンフクヤマネオコン批判の論理」を読む。中央公論誌六月号に掲載された氏の論文の原本で氏のブログにて閲覧可フクヤマ氏の「歴史の終焉」はフクヤマ君本人にすれば「近代化のプロセスで体制が変化していくことが理論のポイント」なのに対して(あたくしはそうは読めないが)、多くの人が「国益に沿って世界の秩序を形成するために実際にパワーを行使してアメリカが他の国に対してヘゲモニーを確立することを意味すると受け取った」そうで(あたくしもそう受け取った)、これが間違いの由。でネオコンの論客と思われていたフクヤマ君だが911以降のブッシュ政権の米国の有り様にかなり違和感覚えてらしく、イスラム社会をば「建て直す」ことへの積極性への懐疑など募り、米国の立場をば外交に道徳的目的もつべきだが政策実施にあたっては現実主義的であるべき、の現実的ウィルソン主義の立場をとる(ここに至る、孤立主義、現実主義、リベラル国際主義についての歴史的経緯、定義などは中岡氏の論文を参照のこと)。米国独自でなく国際機関を尊重しイスラム過激派への安易な敵対心を捨て協調にあたれ、とネオコンの体制変革への盲信をいわばレーニン主義に陥ったと非難するそうな。フクヤマ氏はブッシュ政権と一体化してしまったネオコンからネオコンの本来の思想を切り離すことでネオコン思想の救済を図っている、と中岡氏は結ぶ。フランシス=フクヤマという人が今ひとつわからないのは変わりない。がチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官といったネオコンの人たちのなかでは、まだ理性的なのか。このウィルソン的現実主義(Realistic Wilsonianism)とか、リベラル国際主義(Liberal Internationalists)とか、ブッシュと袂を分かつとか何処かで同じようにフクヤマ君の今日の姿を論じる記事読んだ記憶あり、思い出したのはFinancial Timesの4月1日の書評でJohn O'Sullivanという人がフクヤマ君の新著“America at the Crossroads”について長文を寄せていたもの。ところでフランシス=フクヤマ氏のお顔、どこかで見たことある、とかねがね思っていたが、米国の雑誌MADに出てくるキャラクターなのであった。
▼朝日の書評欄に徳富蘇峰終戦直後からの日記(口述筆記)出版近き話あり(講談社より21日刊行)。「今上陛下は、戦争の上に超然として在ました事が(中略)この戦争の中心点を欠いた主なる原因」と語り先帝が周囲の重臣任せで本気がなく宣戦の詔勅も申し訳的とし、畏れ多くも先帝に戦争に対する一貫した統帥力なく明治帝なら満州事変など絶対に起きもせず、とする。蘇峰は東条元首相に全ての責任負わすことに疑問呈し、陛下に「宣戦詔勅の御発表になった前後に於いては、まさか一切御承知ないということでもなく、また必ずしも御反対であらせられたとは、拝察出来ない」とする。山本武利氏(早大教授、情報学)は「皇室中心主義という信念を蘇峰は戦後も変えていないが、彼の考えていた天皇像からすると修業不足に映ったのだろう」と。この蘇峰の痛烈に批判される先帝の像が、まさにこの春に観た映画 “The Sun” にてイッセー尾形演じる先帝に御姿にだぶり奇妙を感じる。
シンガポール訪問中の「自称政治家」Sir Donald、陳太、葉保安官に負けずと2012年の普通選挙実施は可、と表明。陳太が香港に no democracy と発言して一時間後のこと。彼なりの努力しての治世に非難、揶揄絶えずシンガポール見て“This has been very successful in the Singapore bureaucracy, taking people not just from the civil service, from the military, but also from the private sector, into public service...there is a lot that I can learn there,”と述べる。文句ばかり言っておらずに減私奉公せよ、と。
▼歌劇にも詳しい久が原のT君からパルマの小屋は古来極端な「見巧者」群れり有名、と教えられる。鳥渡でも音外そうものなら大罵声が飛び若手など泣きながら降板もある由。ただ、大向こうの定連に鼻薬嗅がせば手の平返したが如く賞賛の嵐も吹くとか。いずれにせよ、スカラの絶対的優位やボローニャヴェネツィアの歴史には敵わず屈折がパルマの「劇通」、といふことでせう、と。