富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月十四日(水)今朝多少宿酔あり。連日蹴球W杯のことばかり綴るが昨晩は韓国隊の試合の前に利休にて生麦酒(大)に日本酒二合で韓国戦の間に麦酒三缶、帰宅してウィスキーを少し飲んぢゃいけない。仏蘭西瑞西はホームの勝ちに賭け結果、引き分け。この引き分け、と想定することの難儀。1:0の伯西のクロアチア戦も朝三時の試合開始ではいくら早起きでも見られぬ。再放送を見る暇もなし。スポーツ観戦に興味なし、と、言いつつ賭けている所為もあるがやはり。だが午後九時からの試合もテレビで流してはいるが画面に貼り付け……否、釘付けにはならず新聞雑誌など読みながら、の観戦なのだが。W杯蹴球といへば(しつこいが)畏友William?達智君がファッションデザイナーの立場から蹴球ほどセクシーさのないユニフォームはない、と指摘(昨日の信報の連載随筆)。確かに。考えてみれば蹴球という球技は服装もそうだが道具などハード面で球一つあれば何処でも出来る点での気軽さ。そういった意味で最も手軽か……いや、足軽か。貧乏でもできる点が、野球がよく昔の漫画で「お父ちゃん、俺にも野球のグローブ買ってくれよ」と子がせがみ「うるせーっ」と父は怒りつつ父はお手製のグローブ縫って翌朝には「ほら、これ使え!」に子は「こんなの恥ずかしくて使えねーよ」「なにをっ!、このガキがっ」とステレオタイプな筋だが、野球がクリケットだの英国のお坊ちゃまスポーツの流れで、それに比べると貧乏でも出来るところが蹴球の世界的普及の要因なのであろう。ところで今日の朝日(社会面)に「独メディア、日本に厳しい目」というW杯関連記事あり。ドイツ各紙は豪州代表の粘り強さと歴史的初勝利をたたえ、敗れた日本代表については「先取点はファウル」などと辛口の批評が目立った。としてこの先制点への疑問や「日本はもっと早い段階でゴールを決められるチャンスがあったのに、最後まで粘り通せなかった」「豪州は先制されて必死になったが、日本は勝てると油断してしまった」という記事を紹介。ここで指摘されていることは全う。寧ろ、こんな当たり前に指摘されるべきことを自らの紙面で自らの筆では評せず、明治の洋行帰りぢゃありまいしドイツの新聞「では」と、この紹介が狡すい。この「何処何処では」は出羽守と呼ばれ学者やジャーナリストが最も避けるべき言い回し。燈刻にジム。有酸素運動と筋力運動各一時間。徹底的に鍛練して帰宅して鮪の中落ち丼食しながらW杯西班牙対ウクライナ戦観戦しつつFar Eastern Economic Review誌06年6月号に掲載された東郷和彦君の論文“A Moratorium on Yasukuni Visit”を読む。東郷和彦君といえばFEER誌の紹介は元オランダ大使でプリンストン大学の客員研究員だが言わずと知れた外務省元欧亜局長で鈴木宗男君絡みでオランダ大使更迭命令受けたが前代未聞の帰国拒否。佐藤優氏の著作にも詳しい。その東郷氏が更迭後に「海外で療養」のまま行方不明は衆議院でも岩國哲人君より質疑がなされ(こちら)それに対して小泉三世が「東郷前大使は、既に外務省を退職し、公務員ではなくなっており、政府はその所在等を把握する立場にない」「公務員ではなくなった者について、政府はその所在等を把握する立場にない」と答弁(こちら)。その東郷氏のプリンストンでの学究生活での靖国問題に関する一考察。東郷氏といえば祖父が東郷茂徳元外相で父の文彦が駐米大使歴任。鹿児島の田舎者がここまで出世し一国の外交担うに至るが明治維新の凄さ、は余談だが、東郷和彦氏の靖国論は内容はかなり興味深いもの。ただし靖国に関して、殊にA級戦犯について今日の日本人がどこまで国家的ディベートができるか疑問。
▼朝日(衛星版)に青木保君(文化人類学・阪大が長く東大を経て現在は早大)の「文化が競い合う東アジア、普遍性・個別性が課題に」を読む。青木教授の文章は異文化理解、東アジア共存みたいなところが落とし所で、その政治性のなさが何処にでもウケる原因で、東大への栄転もそのへんに理由もありやなしや、いずれにせよ、この朝日でも
自文化中心主義に陥らず、異文化を尊重し自文化を高めるという困難な課題に、開かれた文化の国として日本がどんな東アジアモデルを提唱できるか。これこそ国と社会と個人の「品格」が問われることである。
ってまとめ方が、いかにも小泉三世が好きそうな言い回し。実際に小泉三世の「文化外交の推進に関する懇談会」座長も青木君。それじゃ具体的に何をどうすればいいの?がわからないのがこの先生の特徴。異文化理解といっても実は朝日新聞に「東アジア共同体は可能か」というテーマの論文で(05年12月)
中国の映画監督チャン・イーモウ高倉健が参加し、中国の女優チャ ン・ツィイーが鈴木清順監督の映画に出る。これほどまで相互乗り入れ的な文化交流が見られるのは、地域の歴史上、初めてではないか。
なんて発言は大それているが、実は李香蘭宝田明、六十年代に香港や台湾の映画制作に携わった映画人もいることなど、アジア専門の文化人類学の先生なら当然押えておいてほしいのだが、ちょっと昔なら中曽根大勲位のまわりに群がった文化人のように構想は大きいのだが実際には具体策がない、そのノリを継承する無形文化財的な存在が青木先生かも知れない。
▼ジェルジ=リゲティ氏逝去。匈牙利人。1956年の匈牙利動乱に際し墺太利に亡命。『2001年宇宙の旅モノリスのシーンで流れる曲がこの人。オーストリア前衛音楽の系譜の作曲家がまた一人逝き、前衛という言葉が風化してきました、とG氏よりリゲティの死を知らされる。

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