富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-06-10

六月十日(土)まだ雨歇まず。昨晩はW杯のドイツ対コスタリカの試合前半だけ見て二時半すぎに臥床。だが今朝は七時には起きてしまう。ドイツの勝ちは安心していたがエクアドルポーランド破り「二串一」で的中でそれなりの配当あり。幸先よし。日本では小学校の通知表に「愛国心」評価が公立190校(朝日)。通知表に愛国心評価は福岡県が有名だが実は非難轟々ですでに愛国心評価中止。そういった学校が122校。三年前の調査では172校で若干の増加。目立つのは茨城31校、埼玉48校、愛知63校。愛知県が「愛知教育大学で健全な教員養成し全県で健全な教育実施し、そして自動車を生産する」のは今更説明も要らぬ話で愛国心評価などに疑問もなきことも驚くに値せず。埼玉と茨城も首都圏の思考力空白地帯であるが埼玉でもさいたま市や茨城でも水戸や日立、筑波といった都市部(ということにしておこう)ではなく鴻巣、行田、深谷、熊谷、騎西、居寄(以上、埼玉)や龍ケ崎常陸大宮、牛久、阿見といった「何処、それ」みたいな、もっとわかり易く言えば岩井俊二の『リリイ・シュシュのすべて』や中島哲也下妻物語』といった映画の舞台になりそうな、ほんと何もないところで「我が国の歴史や政治、国際社会における役割に関心をもち、意欲的に調べることを通して、国を愛する心情や世界の人々と生きていくことが大切であるということの自覚を持とうとする。」なんてことで小学校5、6年生相手に評価されている。滑稽。昼前にジムで一時間の有酸素運動。この新しいジムの入る建物は階上がかなり濃い雑居ビル。フロア案内見ているだけで目がくらくら。昼すぎからも一時間の筋力運動。FCCのバーでハイボール飲みながら新聞、雑誌を読む。信報月刊七月号読む。信報で曾て編集長務めた沈鑒治氏が「日本懐舊之旅」という随筆載せており一読せば沈氏が二十年前に東京の祐天寺に居住とあり。信報が東京に特派員遣るとは思えず。いずれにせよ沈氏が日本に戻りまず訪れるのは銀座は並木通りの鳥銀。此処で焼き鳥。そして天ぷらは新宿のつな八本店だと言う。つな八は何処にでもあるが三越裏の本店で、天ぷらは当然としてつな八は刺身、それも鰤の刺身が美味かった、と。鰤かどうかは別にしてつな八の刺身は納得。我が先考も今にして思えばつな八で天ぷらにはあまり目もくれず旬なら鰹のたたきで日本酒を冷酒できゅっと飲み「どんな寿司屋より生魚が美味い」と感心していたが祖母に言わせれば一言「昔は魚屋だったんだから当たり前じゃないのよ」。四谷からね、歩いてくるとちょうどお腹が空いてさ、と。新宿の常圓寺で墓参り済ませ昼につな八でそんな話ももう昔のこと。沈鑒治氏の今回の旅は京都でのMiho Museum参観が主。私は一昨年行き損ね残念。話は飛ぶが帰宅して沈鑒治氏の経歴調べると(http://zh.wikipedia.org/wiki/沈鑒治)「ああ、またしても!」と感嘆するばかりだがこの人も上海の聖約翰大學(http://zh.wikipedia.org/wiki/上海聖約翰大學)の出。誰か気になった人の経歴見るとこの大学であることばかり。この大学について山口昌男氏あたりならすごい著作が書ける筈。卒業生がもう高齢に達しているのでもう時間の問題で取材しておくべきなのだろう。で沈氏は信報の編集長という肩書きしか知らず、てっきり記者あがりと思っていたが、実は香港の長城電影公司總經理袁仰安の女婿で長城で映画業界に入り、後に新新影業や鳳凰で映画監督。だが最も有名なのは映画化された『紅樓夢』で歌詞を英文に翻訳した字幕で、その水準は絶賛された、と言う。その後、多才活かしてアジア生産性機構(APO)の東京にある本部にて要職につき18年では確かに東京は熟知であろう。話は戻るがこの信報月刊に陳婉瑩女史(香港大学新聞&媒体研究センター教授)がスタンフォード大学新聞学部の故・呉惠連(William F. Woo)という教授の追悼を書いているのだが、この呉教授の父親、呉嘉棠氏が上海聖約翰大學の新聞学部長、でここもまた聖約翰大學へと話は辿りつく。文藝春秋七月号で「愛国心大論争」なるもの読む。朝日で樋口先生&山室教授が「対談」にならなかったように櫻井よし子、平沼赳夫鳩山由紀夫、保坂正康、池内恵(若造ながら文春文化人仲間入り)、寺脇研文化庁文化部長で映画評論もする)という「所詮、文春文化人&政治家」の鳩まりであるから「大論争」になる術もなく櫻井よし子の勇み足を保坂正康が諌めるのは目に見えていたが予想通り。櫻井よし子は勇み足どころか暴走。男性の保守反動右翼というのは単に「乳離れできぬ赤ちゃん」的だが女性の場合、曾野綾子上坂冬子を例に出すまでもなくカルト的な方少なからず。櫻井女史の発言をいくつか引用すれば
日本は本来、世界に稀なる「全き国」でした。しかし、高い道徳心や自分を律する心、さまざまな美徳を備えていた日本国のあり方は、戦後の占領体制によって根底から変えられました。占領は七年弱ですが、その後も六十年ずっと占領政策を基本にしてきた結果、物質的には豊かなのに、精神文明は荒廃しきった。悲しいことですが、だからこそ、教育基本法には「愛国心」が必要なのです。
櫻井様は広島で民間から登用の学校長の自殺が続いたことも
せっかく校長先生が意欲をもっていても、日教組の先生たちがまったく言うことをきかない。法律では、校長に人事権が与えられてないからです。寺脇さんはリーガルマインドとおっしゃるけど、文部官僚がつくったつまらない法律のおかげで、問題教師がいても校長が辞めさせることもできません。
とかなり憤る。あの自殺が校長という立場の制度的な問題に起因したことなど(意図的にか)考慮せず、たんに非協力的な日教組の教員が悪い、となる(もうそんな組合教員なんて強くないのに、扱いはアルカイダ的)。このなかで寺脇氏についての言及があるが、それは寺脇研氏の
私が二十年前に福岡県の教育委員会に出向していたときも、日教組と激しく対立していました。たとえば教員は研修が義務づけられていますが、教育委員会のおこなう研修には一切参加しない。これは法律違反なので、処分せざるを得ません。ところが校長はそちらをうやむやにする一方で、新人教員に組合不加入を勧告する。これは不当労働行為です。組合も校長も、リーガルマインドが欠如しています。
とごくごく全うな発言なのだが櫻井様には通じない。櫻井様の独演会が続く。
今年、皇室典範改正について武道館で決起集会をひらいたときに『拒否できない日本』を書かれた関岡英之さんが、こんな話をされた。(略)小学五年生に歴代天皇系図を見せたら、神武天皇以来、百二十五代も続いていると知った男の子たちが「すげえ、すげえ」と大興奮した。「その紙をください」と職員室までついてきたというんですね。本来、歴史のロマンを感じれば、子どもは貪欲に吸収するんです。
子どもはポケモンでも昆虫でもなんでも関心をもつ。それだけのことも櫻井様にかかると壮大な民族のロマンに映ってしまうからカルトは怖い。イチロー選手も取り上げて
日本ではクールな印象だったイチロー選手が、WBCの日本代表チームでは、あからさまに熱いところを見せました。あの変化は、アメリカに行って初めて、自分が日本人だということを意識せざるをえなかったからではないでしょうか。
民族意識の高揚を指摘する。イチローが日本人であることを意識して熱くなったのは大リーグ入りの時なのかWBCで日本代表として戦った時なのか。対談は、途中から平沼、鳩山、寺脇研がほとんど加わらなくなり(もうお手上げだったのであろう)櫻井様の発言を保坂正康がどうにか「諸君!じゃなくて文藝春秋本誌なんだから」で軌道修正しようと試みる展開が続く。これはこれで面白いのだが何より引っ繰返るほど抱腹絶倒だったのは若造・池内恵君の(恵は「めぐみ」じゃなくて「さとし」で男子である)高名なる先生方を前に最後に池内君がまとめに入り、
つまり、教育にできることは、「これが愛国心だ」というものを教えるのではなく、「愛国心というものが存在する」ということを教えることではないでしょうか。
と結んだ。よく言った(笑)、天晴れ! 池内君本人は文春的に纏めたつもりだろうが、この発言は近代国家による教育の根本的な幻想に言及。そう、愛国心などというものはそもそもこの世に存在しておらぬ。近代国家が成立し国家経営する上で、そこで誕生した「国民」なるものに国家存続を命題とさせるために近代国家において「愛国心」なるものが生まれ、近代の教育はまさに「国民の養成」で、愛国心なんてもともとないのだから「ほら、こういうものがあるのですよ」と教えることが近代の教育に義務づけられたわけ。池内君はそこまでわかっていないのだろうが、ちゃんとその真理をこの場で発言して「大論争」を締めくくってしまったのだから殊勲賞モノ。あまりに抱腹絶倒で思わず珍しく赤ワインを注文して飲んでしまった。それにしても文藝春秋の編集部も大論争なら人選を考えるべきであるし、かりにこういう展開で論争?が続いたにせよ、もう少し工夫して原稿におこす器量が求められる。この大論争に続き石原慎太郎「若者がこの国を愛するために」や上坂冬子「北城さん、靖国は商売の邪魔ですか」も目を通すが櫻井暴走、保坂火消し、池内殊勲賞の大論争に比べるとぜんぜん面白みに欠ける。中環の三聯書店に寄る。信報月刊で紹介されいたチベット族の唯色という作家がまとめた文革期のチベットルポルタージュ『殺刧』(写真は澤仁多吉)とこの人の文集『西蔵記憶』の二冊にかなり興味抱き、その書籍があるやなしやと訪れれば入口すぐに平積み。台湾の大槐文化出版刊。文化大革命チベットにどう波及したのか、この1966年生まれの唯色というペンネームの著者(四川省成都の西南民族学院漢語文系卒業しラサで文芸誌『西蔵文学』の編集にあたる傍ら詩作や小説を発表するが政府に目をつけられ『西蔵文学』の編集の職を失い現在は北京で著作に専念)が『西蔵記憶』の序文に綴っている通り、なぜチベット族の人々が毛沢東の写真を掲げチベットの伝統文化や社会の破壊に暴走したのか、その理由が知りたい、と。金鐘のPacific Placeに寄りスポーツ用品店で買い物。大陸からのすごい買い物客発見。HermesLouis Vuittonの大荷物。それがすごく似合わない若手実業家(ってちょっと当てた中小企業の社長だが)。よく見ると社長のシャツもBurberryかしら。すべてが似合わないから。売れればいい、か。帰宅途中に豆乳を買いに寄ったスーパーでレモンが多少傷みありで7個4ドルとお買い得で帰宅してレモン全部搾り、平たくパックして冷凍庫に仕舞い(こうするとレモン汁必要な時に割って溶かして使える)、レモンでウオツカ割って飲む。晩にキムチ鍋とうどん。W杯はイングランドパラグアイ破る。今夜はこれでスウェーデンとC組でアルゼンチンが勝てば「三串一」でマカオの賭場の「大小」よかずっと確実な賭けとなるのだが。サッカーといえば信報がスポーツのうちなぜかサッカーだけは半年くらい前からだろうか、一頁割いての報道、解説あり。そこに昨日からトロツキストの立法会議員・梁國雄君(長毛)のサッカー日記連載始まる。チェ=ゲバラに心髄する彼ゆゑキューバ革命の情熱がサッカーに結びついたのか(それなら野球でもいいか)いずれにせよかなりのサッカー好きで、二日分の日記読んだ限りでは七十年代からのワールドカップの名試合など、この人の筆致はなかなかのもので、読んでいて面白い。それにしても日本のサムライブルーはやはり、どうも芳しからず。ブルーな侍、で山田洋次『隠し剣鬼の爪』の永瀬正敏演じる陰鬱な侍のイメージ。そりゃこの片桐宗蔵は最後の最後で秘伝隠し剣鬼の爪で敵を討つのだが、つまり無得点で最後の最後で1点入れて、がこの筋で、先取点など挙げてしまってはいけない。
▼リベラル派弁護士ら45絛關注組の立法議員により組織された公民党、その中道穏健左派の姿勢が財界からの支持集め陳方安生も公民党より行政長官選挙出馬か?などと取り沙汰される。公民党の結党は香港の政治環境活性化に良薬、と公民党に500万ドルの支援しようとした財界人が政府高官から「公民党支持は反曽(反Sir Donald)」と同じこと、と圧力かけられ寄付取りやめた話などあり。政府の教育統籌局局長(アーサー王)李國章は一昨日の信報に「教育與政治不能混為一談」を寄稿し公民党支持を表明した香港嶺南大学の陳坤耀学長を非難。この新聞に突然寄稿しての圧力かけなど、まるで文化大革命。教育と政治を一緒くたにしているのはKing Arthurあなた自身でしょう、とただただ嗤うばかり。
▼母からファクスで送られた、すでに逝去した詩人M氏の百歳になるお母様よりの手紙を読む。母が奈良の明日香の寺にて亡父といっしょにM氏の供養の読経を授かり、その寺よりの土産をもって老人ホーム訪れたことへの返礼の手紙。柔らかな優しい字で「お名前を中々思い出しませんで失礼いたしました。やっぱり百の年には勝てません。つくづく年老いたと思いました。」と俄然ご健勝。素晴らしい。
シンドラー社のエレベーター。香港ではとても普及しており世界2位の規模ながら日本ではシェア1%ということに驚く。数日前の朝日の記事に「世界最大級の商業施設、ドバイ・モールや香港の国際商業センターのエレベータを手がけた」とあり、この香港の「国際商業センター」が固有名詞なのか普通名詞なのかわからぬが、その後のNHKテレビのNW9の報道で四年前だったか香港のマンションで子どもがやはり開扉中に動き出したエレベータに挟まれ死亡した事件、あれがシンドラー社製。香港ではいつも閉ボタンの早押しでドアに挿まれてはいるがエレベータが昇降し始めるのは怖い。
▼そのNHKテレビのNW9のニュースで突然思い出したが、岩手県産婦人科医の不足補うため中国から産婦人科医招聘し研修ということで実際には治療にあたり、と紹介。厚生省の小役人の「やはり日本の医療制度を理解していない医師が治療に当ることは……」などという無意味な発言はどうでもいいが、気になったのは、この中国人医師が日本語も巧みなのは遼寧省瀋陽にある中国医科大学で日本語で医学学んだため。この中国医科大学は日本の満州統治時代から90年に渡りずっと日本語でも医学の講義が行われている、と。本当だろうか? 確かにこの大学の前身は満州医科大学(1911年8月に満鉄が奉天に南?医学堂設立し1924年医科大学となる)。当時の満州の医学水準の高さから解放後も東北に中国医科大学(この組織の前身は延安にあった医学院)が置かれたことも理解できるが「90年に渡りずっと」は眉唾もの。反右派闘争や文革の最中も日本語で講義が行われていたとは思えず。満州医科大学からの経緯があるにせよ、この岩手県に遣られた医師が日本語堪能なのは、そんな過去の歴史より寧ろ、JICA(国際協力機構)による中国医科大学基礎医学教育を主とする技術協力プロジェクト「日中医学教育センタープロジェクト」があってこそ。その今日の話をせずに満州の話はNHKの片手落ち。

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