富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦五月初五。端午節。珍しく朝寝貪り七時半起床。端午節の日は恒例の龍舟競賽(Dragon Boat Race)が盛ん。だがうんざりする雨空に知人らのチームも参加するが赤柱(Stanley)まで山を越え走ってゆくにも能わず。朝食に一昨日C嬢よりいただいたお手製の粽を食す。昼にかけて秘密基地にて明日の高座の準備。かつて高座といえば話だけの一本勝負で、せいぜい幽霊話など灯りだの鐘や太鼓の多少の演出もあったが、キョービはヰンドウズOutlookなど用いてプロジェクターで資料投影してのプレゼンテーション形式で準備も必要。午後、九龍に渡り知る風呂屋にて擦背と按摩。香港島に戻り今晩はお粥で済まそうか、とQuarry Bayは祐民街のお粥屋(名前失念)に寄るが端午の節句で休み。当然であろう。五節句は畏友村上湛君も書いていたが(後述)もともとは厄日で休むべき日。そういう戒めが無視される世になってきたが香港でも古い肆は年中無休でも五節句と暮と正月は休む。端午節は中国、台湾そして韓国も祝日。東アジアで日本だけが太陽暦の5月5日に「こどもの日」などとしている。夕方遅く帰宅。溜まっていた雑誌などずいぶんと目を通す。香港競馬の『賽馬天下』(Racing World)誌の創刊30周年記念誌。古い記事の復刻があり読んでいれば、1976年4月号は見習騎手特集で(香港競馬のプロ化で地元騎手養成が目的だが現実には鳴かず飛ばずの地元騎手で今では見習修了してもハンディキャップもらう始末だが)この第一期生にはTony Cruz(現・調教師、89年には欧州巡業でフランスのThe Prix de Diane Hermesに勝利納め香港の地場騎手がヨーロピアンクラシックで勝利納め話題、地元騎手で唯一の年間最多勝記録あり)の他に今では調教師の羅国洲と姚本輝もいたと知る。村上湛君にいただいていた『東京文花座』の創刊号から6冊じっくりと読む。村上君の花にまつわる巻頭エッセイが素敵。ここで湛君が五節句がもともとは厄日であることに触れている。今年の1、2月号の水仙香の文章はとくに秀逸だが、この号は片岡仁左衛門夫人インタビューもあれば斎藤道三のような風采で復活の團十郎のインタビューもあり(團十郎の「国語」教育についてのコメントなどさすが)、竹本葵太夫さんも登場し、かなり濃い号であった。今日は九龍でふと「酔いたい」と発作で、だがビールは飲みたくないのでコンビニで安いウオツカの小瓶(350ml)購い、さすがに路上でウオツカのぐい飲みは憚れたが隠れて一杯引っかける。ほとんど酒屋の立ち飲みモードのオヤジ。これが残っていたので、そのまま飲むにはさすがに安酒なので、柚子を搾ってウオツカにいれるとこれが絶妙な美味さ。結局、この小瓶を空けてしまった。それでそれなりに泥酔していれば可愛いが、寧ろ「しゃっき」と読書続けるなどはむしろアル中的ですらある鴨。築地のH君からいただいた朝日新聞司馬遼太郎街道をゆく』仙台の巻も読む。昭和55年の仙台は対橋楼春風亭での司馬遼太郎井上ひさし樋口陽一という対談の写真あり。大人の集会。司馬遼太郎が仙台を沃土の地と呼んだことは、さすがお目高。沃土であることがむしろ仙台が「伊達」であっても、それ以上何か秀でるようなところにはいかない、その風土らしさ。魯迅の碑のことにも言及あり。高橋剛彦氏らの尽力で郭沫若の揮毫ある碑。樋口陽一先生の司馬遼太郎と仙台にまつわる話もいい。樋口先生のご自宅(当時、米ヶ袋の閑静な住宅地にあり、魯迅の「藤野先生」にある下宿も近い)訪れた司馬遼太郎がのちの私信で「絵のようにおぼえています。御門のそばの暗がり、玄関、そのあたりの灯が地面にうつって黄色い果物のような道でした」と。すでにこの佇まいは残っていない。樋口先生が司馬遼太郎について語る、能にたとえての話も面白い。ワキ僧(司馬遼太郎)が呼び出す人影(さまざまな人の姿)、と。
司馬さんは、「街道をゆく」ことによって歴史のみちをゆく。そして、能の諸国行脚の僧がそうするように、無名有名の人影を呼びよせる。ワキツレも、時としてさりげなくだが、登場する。能とちがうのは、中入り後の場でも、このワキ僧はシテとの対話をくり返し続けるということだ。「仙台・石巻」街道のシテ役として呼び出されているのは伊達政宗である。
ほろ酔い加減でじっくりと雑誌読み続け夜も更ける。
産経新聞の「「君が代」替え歌流布、ネット上「慰安婦」主題?」という記事がスタンスとしては産経的なのだが逆にこの替え歌をまるで流布するが如き態。記者が巧みだったのか産経の脇が甘いのか。この替え歌は Kiss Me Girl で、この英語で歌うと発音も原詞に近く口の動きはきちんと国家斉唱しているように見える、という。
Kiss me, girl, your old one. 
き み が あ よ お わ 
Till you're near, it is years till you're near. 
てぃ よ う に い い や てぃ よう にい 
Sounds of the dead will she know ? 
さ    ざ で  うぃ し の 
She wants all told, now retained, 
し わ  お と  な りて 
for, cold caves know the moon's seeing the mad and dead. 
  こ  け  の    むう すぃ   ま  あ で 
(訳)私にキスしておくれ、少女よ、このおばあちゃんに。 
おまえがそばに来てくれるまで、何年もかかったよ、そばに来て くれるまで。 
死者たちの声を知ってくれるのかい。 
すべてが語られ、心にとどめておくことを、今、望んでくれるんだね。 
だって、そうだよね、冷たい洞窟は知っているんだからね。 
お月さまは、気がふれて死んでいった者たちのことをずっと見てるってことを。 
と。対抗勢力にとっては、キリスト者の間にも、まるで隠れキリシタン的な良心、で
きみがこは きよき おしろに たたれ ちちの いさおとなりて こえの みつまで 
(意味)あなたの御子は、きよい御城(御国)に発たれ、父の栄光を現された。御声が(世界に)満ちるまで。
といったものもあり。
▼朝日(衛星版)に「最高裁、変化の兆し」という記事あり。行政訴訟で一審での住民勝訴が高裁で逆転され「消極主義」と思われていた最高裁が再逆転するケースが目立つようになり「そのことを端的に示すのが東京地裁藤山雅行裁判長(53)の一連の判決をどう受け止めているか……という点だ」と記事は始まるのだが「へぇ日本の司法も少しは風通しがよくなったか」と記事を読み進むと最後の最後で「藤山判決は、高裁で覆され続けるとともにその「特異性」が喧伝された。藤山氏は04年、東京地裁医療集中部に異動し、現在も同じ部署にいる」って(これは降格?、左遷?)、おいおい、記事ぢゃこの藤山氏がすでに東京地裁の裁判長じゃない、なんてことはずっとわからず、リードの「そのことを端的に示すのが東京地裁藤山雅行裁判長(53)の」って書き方で年齢まで入れられたら、誰が読んでも現役。せめて元・裁判長にすべきだろう。
▼映画監督の今村昌平氏逝去。あらためて作品一覧見ると寡作。今村昌平が最後に助監督している1957年の川島雄三監督の『幕末太陽傳』が作風といい一連の出演者のカラーといいい、その後の今村映画の源流。香港では数年前に今村昌平特集があり凡その作品が上映された幸運。日本では『復讐するは我にあり』、『ええじゃないか』と『楢山節考』しか観ていなかったが長門裕之の『豚と軍艦』、左幸子小沢昭一の『にっぽん昆虫記』、男性陣だけでも小沢昭一殿山泰司中村鴈治郎の見事な演技ぶり発揮の『エロ事師たちより』など観る機会を得て、他作品も再見、『女衒』は前半が開闢まもない香港で興味深し。楢山節考といえば深沢七郎の原作とこの映画で、日本社会の社会思想的縮図をこの楢山節考に見る某先生が日本研究業界におり、十数年前に近くにいた時には昼食での雑談など何かにつけ話しているとすぐ「楢山節考は……」と始まり閉口したもの。

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