富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-05-14

五月十四日(日)晴。朝、気温摂氏21度、湿度50%台と心地よし。フィリピン沖の台風が香港に向かうらしく風強し。久々に所属のランニングクラブのトレイルあり午前九時に太古のMTR站に六名で集合。Wilson Trailに入り一時間で標高400m登り小馬山、Jardine's Lookout(433m)から陽明山荘(200m)まで一時間。Violet Hill(ここも同じ標高433mでJardine's Lookoutと全く同じと初めて知る)を越えリパルスベイの峠(標高150m)まで一時間。ここからThe Twins(385m)に登るのがWilson Trailの逆行コースであるが、もう三時間歩きだいぶ陽射しもきつくThe Twinsは引水路に沿いぐるりと巻き昨日の交通事故現場近くに降りて馬坑の団地から赤柱へ抜ける。今朝の新聞に昨日、そのThe Twinsにて日本人の五十代後半の男性が心臓発作で死亡、と報道あり。仲間と陽明山荘発ちViolet HillからThe Twinsに登り疲れたので仲間に先に行っていてくれ、で待っても下山せぬので引き返せば倒れておりヘリコプターで救助されたが晩に逝去される。昨日、午後、海岸で読書中にヘリコプターが大潭のほうに向かうのを眺めたが、それがこれだったとは。昨日は気温も三十度越えかなりの酷暑。我々もフルマラソンのランナーに香港の山の達人のようなメンバー揃いだが「勇気ある撤退」だのと悪戯てはみるが実際に怖いから無理をしているようでしない。StanleyのMurray Bldg.にあるKing Ludwigというドイツ風料理出す料理屋にて麦酒飲み肉詰など食す。気温は摂氏27度くらい迄上がるが台風の影響か強風。昼頃にいっとき曇るが復た快晴。Y氏とミニバスで柴湾。Y氏と別れ柴湾を散策。香港島最東のかつての工業団地で新興住宅地。下町らしさあり。柴湾街市の孰食中心に「泉記」という評判の料理屋あり覗いてみるが午後三時で昼の営業終わり。ぶらぶら歩いて小西湾に近い柴湾の公共プール。水着ないがランニングパンツのまま少し泳いで「今どき身体に悪い」甲羅干しで少し寝る。夕方の柴湾をまた歩く。柴湾が残念なことは何本もの幹線道路で市街分断され殺風景。旧中華バスのバス車庫のビル(画像)。今どきもう珍しくなった旧型の公共団地は漁湾邨。洗濯物を竿にさし部屋から外ににょきにょきと伸ばす風景もだんだん珍しくなってきた。団地は外向きは殺伐としているが、一歩中に入れば中庭で多くの子供らが遊び老人がベンチで新聞読みうとうとと昼寝も涼しげ。ここに真好味焼臘という評判の焼臘店あり。柴湾までなかなか来る機会もないので行列のできるこの焼臘店にて叉焼購う。ジムに寄り自宅に帰りウオツカ一杯。晩に自宅で平野レミのレシピによる韮と豚の鍋を食す。叉焼を肴に芋焼酎「花てんじゅ」少し飲む。NHKスペシャル小泉改革5年を問う?聖域なき構造改革は国と地方に何をもたらしたか」見る。島根での取材。地方で国からの公共事業投資が4割削減され、実際に土建政治の弊害もあっただろうが、集落まわる零細路線バスや医療福祉などにも影響あり。厳しい現実に、それでも自民党に頼らざるを得ぬ、「小泉さんのやり方には不満もあるが地元の先生にここはひとつ頑張ってもらって」の現実。格差社会での被害者の如き若い世代に小泉支持だの改憲賛成多いのと同じ不可思議なる現実。
秋葉原(アキバ)の交通博物館の閉館に続き、北京在住の畏友O氏のブログで、北京の旧・永定門站、今の北京南駅が営業最終と知る(こちら)。1958年に開業。1988年に北京南駅と改称され現在に至る。ローカル列車の始発駅だったが今後は高速鉄道のターミナルに生まれるため駅舎の取り壊し。八十年代初頭にバックパッカーで大陸縦断の旅で、北京に一週間ほど滞在し永定門站に近い外国人宿泊化の国営旅社があり投宿。北京でも当時は郊外のこの駅のあたりに外国人、とくにバックパッカーふらふらしており不思議な光景。当時は駱駝やロバが夏の夕方、西瓜とかトウモロコシとか積んでのんびり運河沿いをとぼとぼと。今日まで駅舎が昔のままで驚く。北京のこの旅社では、ちょっと楽しいことがあり、英国人のG君と「ちょっと高いなぁ」と言いつつ永定門站前の売店で3元の中国産ブランデー購いホテルの部屋でちょっと楽しいことしながら乾杯し多いに酔いバカ話に興じたのも懐かしい日々。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/