富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-05-13

五月十三日(土)晴れ。朝六時半にはいつも通り目覚めてしまい雑用など片づけ九時半すぎに家を出て裏山をのぼり大潭抜け10kmほど走り海岸に至る。快晴であるが陽射しは先週の土曜日ほど厳しくもなく、木陰で川本三郎『雑踏の社会学』再読。何より驚いたのはこの文庫本(ちくま文庫)の親本(TBSブリタニカ版)は1984年刊で川本三郎は40歳。しかもサントリークォータリーでの連載まとめたものであるから実際に東京の街中をぶらぶらと散歩して夕暮れに居酒屋でひっそりと麦酒に焼き鳥でぼんやりとする川本三郎は三十代であったとは。取材で始めて訪れたという銀座のクラブでどうも居座りが悪いと思っていたらママに「銀座のクラブで三十代の男が飲んでいるなんて場違いで……」と言ってくれて安心した、とあり「えっ?」と思って奥付を見たら当時の年齢が判明。驚く。読んでいて、いろいろ思い出したり。ひとつは川本三郎が八十年代に月刊誌『月光』でまつざきあけみの漫画「北千住哀歌」愛読しており、その連載で千住のお化け煙突に触れたので川本氏も懐かしく感じたことなど書いているが川本氏自身『月光』に連載していたような気もする。もう一つ。和泉聖治監督の『沙耶のいる風景』についても触れている。久々にこの映画のこと思い出したが(まだ見ておらぬ)DVDが発売になっていることにもっと驚いた。この『雑踏の社会学』は一冊まるごと東京の地味な居酒屋にまつわる随筆なのだが、余にとっての居酒屋の原体験は七歳くらいだったか、父に映画の帰りに連れていかれた確か「河合」という居酒屋。これよりずっとまえから「よしむら」という小料理屋は祖父母に連れていかれ馴染であったが、ここはおそらく生まれた頃、いや生まれる前からの原体験で話にならない。で「河合」は小学校から帰ると父が珍しく休日に「映画、見にいくぞ」と京王グランドという町では一番大きな映画館にショーン=コネリー主演の007の映画に連れてゆかれ、濡場などもあり目のやり場に困ったが、映画跳ねて父親が「ちょっと焼き鳥でも食べていくか」と料亭や検番などある花街を抜けて、ひっそりとした路地裏のこの居酒屋で父と一緒に焼き鳥を食す。おそらく生まれて初めての焼き鳥。「よしむら」はおにぎりとおでんか田楽で、焼き鳥はなかった。そんな昔のこと思いだしながら、この本、読了。居酒屋といえば放送作家の村上さんがブログで
最後の会議終わりで作家Yくんとサラリーマンの聖地ともいうべき新橋烏森口の居酒屋で遅い夕食。上司のグチを叫ぶ中年のオッサンにヒソヒソと話し合うOL……まるでコントの設定のようにイメージに忠実な人々に囲まれて落ち着かず、早々に退散。
……と書いている。さすが放送作家。「まるでコントの設定のようにイメージに忠実な人々」というのが新橋の烏森口でとても想像できる光景。川本三郎が本のなかでずっと飲んでいるので、こっちまで麦酒を三缶も飲んでしまった。もはや走ったり歩いて帰るわけにもいかずリパルスベイのコンビニで月刊信報の当月号買い赤柱(スタンレー)行きのミニバスに乗る。乗る直前に白バイが走り抜け(その時点で察するべきだったが)乗って少し走ると渋滞でバスは寸とも動かず。のろのろ三十分くらいかけて1kmほど進むが、冷房も寒いしミニバス降りて歩き始める。かなりの渋滞で、向こうから知己の英国人H君が歩いてくるぢゃないか。少し先でトラックと乗用車の事故で道が塞がっている、と言う。彼は赤柱から中環に戻るのに仕方なく歩き始めた、そうな。もう少し歩けば中環方向に引き返すバスに乗れるよ、と教えて、暫く歩くと、これは見事に対面交通の狭いリパルスベイロードで中型トラックと自家用車が接触し自家用車は前面大破でしっかりと山側の岩崖と谷側の歩道に乗り上げたトラックの間で道を塞いでしまっている。これぢゃ片道通行で上下線の車を行かせるわけにもいかず。大型のクレーン車が来るまでにっちもさっちもいかず(携帯のデジカメの電池切れで撮影できず)。峠を越えて谷をおりる山道を抜け赤柱まで歩く。すっかり麦酒のアルコールも抜けてしまった。午後三時すぎとはいえ炎天下歩いたのでまた喉が渇きサンミゲルのロング缶買い赤柱から始発の西湾河行きのバスに上手い具合に乗車できる。当然、島東を廻るこの西湾河に抜けるダブルデッカーと柴湾に向かうミニバス以外、赤柱にはバスはまったくやって来ず、かなりの人たちが立ち往生。晩の報道によれば結局、この道路封鎖は三時間に及ぶ。ジムでサウナに浴し帰宅。かなり夕凪の風があり涼しくて気持ち良し。Z嬢宛に司法院からの手紙で何かと開封すれば高等裁判所司法常務官よりZ嬢を陪審員に任命いたしますと手紙届く。日本でも陪審員制度始まるらしいが、香港ではずっと前から。それにしても自分が陪審員になる、とは想定外。日本ではたとえ永住権あっても外国籍の市民に裁判所が陪審員をば命じるなど考えもつかぬだろう。市民社会でない証左。従兄のS兄より、明日で閉館の交通博物館に行ってきた、とメール届く。我々にとっては子どもの頃の懐かしい思い出の場所。まだ乗ったことのない新幹線の車輌の「輪切り」で椅子に坐り窓の向こうの走り去る風景の映像に興奮したあの頃。幼い頃は何度か父に連れていってもらい(父もだいぶ楽しんでいた)、小学校高学年になると自分で友だちを連れて行っては「ここはね、戦前は万世橋ってね、今の中央線の始発ターミナルでね」などと知ったかぶりで説明(今もこのクセは変わっておらぬ)。交通博物館から鈴本演芸場というのが当時のお気に入りのコース。老いて幼き頃の日々、懐かしいばかり。晩は鮪の赤身で中落ち丼。晩遅くZ嬢と十六夜の月を愛でながら西湾河まで歩き電影資料館にて中川信夫の『思春の泉』観る。昭和28年で石坂洋次郎の原作という、あの時代。主演が左幸子宇津井健(デビュー作)で、脇をかためる役者が凄い。岸輝子と高橋豊子の二人の婆さんの掛け合いの見事さ、トリックスターである行商人役の永井智雄、巡査役の東野英治郎、それに花沢徳衛千田是也……製作は新東宝だが俳優座の役者の総出演。当時の俳優座といえば東山千栄子だが、映画が始まるとタイトルは『草を刈る娘』で配役にも東山千栄子の名前もない。上映後に調べてみれば石坂洋次郎の原作が『草を刈る娘』で映画は『思春の泉』で公開され、その後再上映では短縮版となり『女体の泉』(ちょっと違う……笑)、次が原作と同じ『草を刈る娘』となり、今回上映されたのは国立フィルムライブラリーの所蔵フィルムでこのプリントが『草を刈る娘』で、推測であるが東山千栄子の隠居役というのは短縮版の『草を』ではカットされているのだろう、きっと。で物語は北上山(だと思う)の麓の農村地帯、村総出の草刈りで二つの村が鉢合わせ、左幸子宇津井健が二人の婆さまの引き合わせで出会うのだが、純情恋愛物かと思えば、実は「封建的な村」のようでいて、まるで中共の建国直後のような共産主義的逞しい農村社会に日本の戦後民主主義の理念が明るく反映されていて興味深い。それだけであるなら中川信夫らしくないが、村の旅館の跡取りの祝言の場で巡査(東野英治郎)が左幸子宇津井健をめぐる農民らのイザコザをまとめる場は、その狂気的とすら思えるようなハレの場の「極み」の演出が中川信夫の真骨頂だろう。さすがに今回の中川信夫特集はそりゃ黒澤明や小津、木下恵介などに比べてぐっと客足も落ちるのは当然で(なにせ日本人だって中川信夫を知る人はもう少ない)、晩九時半からの上映は二十人に満たない観客だが、会場には川本三郎氏がいるのぢゃないか?と錯覚。
▼中国のロックバントの雄、かつての「黒豹」のリーダーでボーカリスト、そして人気シンガー王菲と結婚し娘生まれたことでかなり話題にもなった竇唯。王菲と離婚後は音楽活動も今一つで、最近はその悶々とした日々が新聞の芸能欄などによく掲載されていたが北京の新京報なる新聞が面白可笑しくこの竇唯の生活をば報道し、竇唯がキレて編集部に殴り込み。編集者の車に放火して現行犯で逮捕される。
▼倫敦での昨年七月の地下鉄とバス爆破のテロ行為について英国国会と内務省がそれぞれ調査結果発表しアルカイダの関与なし、と発表。これが某国だと無理矢理アルカイダの関与ありとされてしまうかもしれない。ところで昨日の朝だったが、朝のRTHKの英語チャンネルのラジオ聴いていれば、何度も同じニュースが繰り返されるが、米国政府がアルカイダなどテロリスト対策強化するが国民の人権や自由などは保障され、あくまでアルカイダという敵がこの対策強化の目標なのである、などとブッシュが演説しているのだが、あのブッシュの英語で“Al-Qaeda is the enemy”という演説が繰り返されていると、なんだかジョージ=オーウェル的な世界にいる錯覚を覚える。
民主党教育基本法改正案。自民党とほぼ似たり寄ったり。唯一、自民党の「教育は、不当な支配に服することなく……」を削除した程度で(むしろ「教育は政府与党など、不当な支配に服することなく」の意味で、この条項は残してもいいかも……)、「日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術……」だの「宗教的な伝統や文化に関する基本的知識の習得及び宗教の意義の理解は、教育上重視されなければならない」などと、自民党案に勝るとも劣らぬ誤解に基づく復古主義。国家を連想させぬよう「国を愛する」を「日本を愛する」にしたら、どうだ、というのだろう。日本を愛せだの、祖先を敬うだの子孫に想いだの、伝統文化だの、いちいち言葉にしなければならぬ、言葉にしたからといって何もそこから生まれぬことに代議士諸君も少しは頭をつかって気づくべき。見せかけ、形式主義が教育にとって最も無駄なのに。

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