富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-04-29

四月廿九日(土)昨日の折口先生(釈迢空)の色紙は所有者のT君によれば
いにしへゆ やまに傳へしかはいかり このこゑを われきくことなかりき
と書かれているそうで、漢字を当てれば
昔ゆ山に傳へし河怒りこの聲を我聽くことなかりき
となり、太古以来の本邦山岳河川の荒れぶりを詠んだか、と。本日昼まで諸事済ませ昼にHappy Valleyの上海弄堂にて菜肉饂飩(雲呑)。秀逸。雲呑の本来の飴の旨味。午後ジムにて一時間余徹底して有酸素運動尖沙咀。スターフェリー埠頭のXTCにてチョコのジェラート食す。中国の労働節の大型連休の始まりで香港に大陸からの旅行者多いと期待してか法輪功の反中共政府の抗議アッピール活動尖沙咀にて徹底した盛ん。香港芸術館。Mark Rothokoの展覧会(米国華盛頓国立芸術ギャラリーからの作品提供)見るつもりが見逃して三月で終わっているはずの05年香港アートビエンナーレ未だ開催中で先ずは参観。勝手に「面白くないだろう」とタカをくくっていた自分が恥ずかしいかぎり。香港の都市生活モチーフにした実に香港らしい作品多くかなり楽しめる。でMark Rothokoの正直言ってアタシには「さっぱりわからない」。大画面を二つ三つの箱形に区切りに区切って彩色の抽象画が不思議な詩情と崇高さを湛えていると言われても感性乏しくそれが感じられず。今回の個展では寧ろ四十年代からの抽象主義に至る以前のヘタウタなシュールレアリズムのほうが「パンに生えた緑やピンクの黴」のような淡い色彩で印象的。夕方、ペニンスラホテルのバー。ドライマティーニハイボール一杯ずつ。尖沙咀の地下道の大道芸人っぽい物乞いがハモニカ二胡中島みゆきの「ひとり上手」演奏。上手。Z嬢と待ち合せLangham Hotel地下のMain St. Deliというデリ。いぜんから一度来よう、来ようと思っていても紐育のデリなんて銘打つかぎり一人前のポーションもかなりのもの、と二の足踏んでいたがZ嬢と二人ならシェアしていけるか、と。室内はちょっとツメが甘いが紐育のアールデコな内装。予想通り前菜からかなりの量でコンビーフのパテとパンは手をつけずにお持ち帰りにしてもらいメインのビーフバーガーも二人でシェア。それでも老人には十分な量。これまで香港でのバーガーはDan Ryan'sが一番美味いかと思っていたが此処のバーガーの瑞々しさ、あっさりとした味付けはかなりイケる。MTRで葵芳。葵青戯院。ccdc(城市当代舞踏団)の舞台で《風・水》参観。一ヶ月前の舞台《剛柔流》Iron and Silkは正直言って落胆したが今回の《風・水》のうち《風》は余が香港の舞踏家のなかで最も期待のDaniel楊春江君の演出(本人が舞台に出ず演出に徹するを観るも初めて)。《風》は何よりも照明(Billy陳?華)秀逸。奇を衒わず基本的なライティングなのだがこの劇場の照明設備の充実を見事に使う。奈落の使い方も面白く、敢えて不便なこの劇場使う意図に納得(葵青戯院は九十年香港バブルと今はなき市政局の徒花的公共施設)。ccdcのいつも見慣れた踊り手らも総監であるWilly曹誠淵氏やHelen黎海寧女史の演出を離れDaniel楊の(楊君本人は否定するだろうが)かなり台湾の雲門舞集を意識したような気功の世界で活き活きと舞う姿が新鮮。但し雲門舞集の踊り手らがもはや一つの有機体の如き態に比べればまだまだ個々に動いている感は否めぬが。照明と映像の使い方もピンクフロイド的な幻想の世界。残念なのは途中から、気功の世界がなんだか「未知との遭遇」みたいになってしまったこと。いずれにせよさすがDaniel楊と思わせる見事な演出。すでに年齢的にも本人が跳んで刎ねてではないであろうし香港で舞踏演出家としてWilly曹誠淵を越えていってもらいたいところ。後半は梅卓燕演出の《水》。この劇場は間口も20m近くあるばかりか奥行もバックステージまで舞台として使えて同じくらいの深度ありこの《水》は舞台の奥行上手に用いたことは評価できるが道具や装置、収音などの効果に凝りすぎダンスというよかドラマの如し。それならそれで《水》というテーマであるから映画でいえば「雨」に拘る蔡明亮的なこれでもか、の「本水」期待したが実際の水の用い方も洗面桶でちゃぷちゃぷで中途半端。あれなら本水にせず水の見立てでよかった筈。本日朝から合間合間で松葉一清の『帝都復興せり!』文庫版を読み深更に読了。1935年に発行された『建築の東京』なる震災復興後の帝都の建築紹介した本を松葉氏が八十年代に再び歩き、それをもとにした都市論。97年に発行の文庫本読んだがすでにその新刊から文庫への十年でいくつもの帝都の建物がこの世から消える。松葉一清であるから当然、この本は単なる懐古主義や帝都万歳、アールデコへの耽美主義に終わるはずもない。都内の小学校の建築に完全なまでに近代の思想が反映したこと、四谷第五尋常小学校(現在の新宿区立花園小学校、現存)の建物に象徴されるインターナショナルスタイルが「インター」ゆゑ赤化思想の建築様式として弾圧されたこと、帝国主義と「自由」と「倫理」の鬩ぎ合い、その復興建築の自由が収斂されてゆく態、建築での国粋主義の登場までを見事に紹介する。結局、その自由闊達なる帝都の建築が最後は新古典主義(例えば安井武雄、満鉄東京支社ビル)や帝冠様式(渡辺仁、東京帝室博物館、満州新京(長春)の旧満州国務院などまさにこれだろう)に陥ったことをファシズムの思惟の現われ、と結ぶ。月刊『東京人』での巻頭エッセイで松葉一清という人の筆致に憧れ氏の連載中断とともに長年購読の同誌をば購読断ったほどの「松葉好き」には勉強になる一冊。アントニン=レーモンドという建築家の存在はフランク=ロイド=ライトの弟子ということで知ってはいたが聖路加病院の旧舎が実はレーモンドの原案が他の外国人建築家バーガミニーによって奪われた経緯や帝都の戦前の米国とソ連の大使館がいずれもレーモンドの設計であったことなど興味深く読む。都市論として一級の教科書。
▼アンソン陳方安生女史の創価学会訪問という話。畏友より聖教新聞の切り抜きいただき子細知る。創価大学での名誉博士号授与がそれ。創価学会とは彼女の母である方召リン女史の個展開催したりの親密さだが、もともとは96年に池田大作君が香港大学で名よ博士号授与の折にアンソン陳方安生と母の方召リン女史も一緒に名誉博士号授かったようで、それ以来の仲か。今年二月の方召リン女史の逝去でアンソン女史が絵画や遺品など池田先生に贈られ、今回は創価大学での名誉博士号授与と「新しい時代の女性の生き方」だとか記念講演したそうな。創価学会のサイトばかりチェックしていたが創価大学のサイトにこの記事あり(こちら)。
▼日本政府は教育基本法改正案閣議決定し国会に提出。小泉三世国会会期延長せぬようでこの法案が果たして会期内に成立するのか、会期延長してまで通すのか、継続審議か微妙。いずれにせよ自民党にとって「戦後憲法に沿った教育基本法が行き過ぎた個人主義横行させ教育を歪めてきた」わけで、若者や子どもによる凶悪犯罪、学級崩壊からいじめまですべて行き過ぎた個人主義に原因があり公共性軽視のつけ、と見る。自民党のセンセイ方こそ政治家として公共性無視して行き過ぎた個人主義で勝手気儘のやりたい放題で利権特権の横暴少なからず。若者の心の荒廃どころか寧ろ戦後のその行き過ぎた個人主義(=自分勝手)の恩恵をば得たのが誰か胸に手を当てよく考えてみるべき。教育基本法改正して社会の若者とりまく問題が解決できるとはちゃんちゃら可笑しい話。それにしても改正に賛成の日本会議など会長(三好達)は元最高裁長官。最高裁長官が不偏不党どころかここまで偏っているのだから日本など三権分立などありゃせぬ。
朝日新聞の「私の視点」に渡部謙一という元都立高校校長が東京都の命令で都立校の職員会議での「挙手や採決を禁止」について「現場の校長の深いため息」が実感であり「自由な議論を深め、互いに学び合い、より質の高い合意形成を図っていく」ものが職員会議であり「意向が反映されないで誰が意見を言うでしょうか、意見を言えないでものを考えるでしょうか。これは、ものを言うな、ものを考えるな、黙って従えというに等しいこと」と指摘し「特定の教育観をおしつけるために、異論を排除するものとしか考えられない」と主張。この元校長は戦後すぐの文部省の通達を引き合いに出す。
学校の経営において、校長や二三の職員のひとりぎめで事をはこばないこと、すべての職員がこれに参加して、自由に十分に意見を述べ協議した上で事を決めること、そして全職員がこの共同の決定にしたがひ、各々の受け持つべき責任を進んではなすこと。(1946年「新教育指針」)
真の指導性は、外的な権威によって生ずるものではなく、人々の尊敬と信頼に基づいて、おのずから現われることが、その本質をなすものである。(1949年「小学校経営の手引き」)
この元校長がすでに二年前に引退し自由の身であるから、ここまで言えたのは事実。現役で新聞に、しかも産経新聞に都教委の命令に理解示す論調ならまだしも、朝日新聞に反対の主張では、まず現役校長なら「指導性に疑問あり」で自殺行為。ではこの校長が「都立校でもこんなアカ先生が校長になれたのか!」と思うのも間違い。この校長先生自身、「職員会議での採決決定」については学校に馴染まない、と一定のところには理解示す。だが良心の呵責に耐えかね、の今回の主張であろうし、現役校長のなかには溜飲が下がる思いの方も多かろう。

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