富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-04-27

四月廿七日(木)晩にA氏のお誘い受けS女史と三人で銅鑼湾のまだ開店早々の湖舟といふ日本料理屋に食す。Quarry Bayの太古坊にあった料理屋Sの親方がこちらに。美味い海鞘のつきだしに始まり馬刺しなど頬張り届いたばかりの鰹の刺身。美味。三人で吉兆宝山という焼酎を一升ぺろり。バーSに寄るがいきなり足にキテバーのカウンターの椅子に坐ろうとして思いっきりコケる失態。
▼小泉三世メールマガジンにて首相就任五年振り返り景気回復や不良債権などにつきさんざん自画自賛。その上で今日日問題の「社会的格差」につき
最近、格差についての議論をよく耳にしますが、格差というのはどの時代でもどの国にもあるものです。かつては、悪平等という批判もかなり言われていました。努力しても努力しなくても同じというのでは、悪平等になってしまいます。一人ひとりが持てる力を発揮できる社会、努力が報われる社会というのは、世界中どの国でも好ましい社会と言われているのではないでしょうか。力のある人には、努力して、もっとその力を伸ばし、思う存分発揮してもらう。それが社会の活力になるのだと思います。
と宣う。不思議はこの社会的格差につき「力があり努力すれば報われる」層と「報われない」層で、この報われる層は首相など誰でも報われているわけでいちいち小泉三世だからと支持しまい、どうも報われる層より報われない層に小泉支持があること。この五年で生活が厳しくなった人たちが素直に小泉三世支持というのは、まさに「痛みを分かち合おう」の結果か。とても嗤えぬ。怖さ。
▼外務省がこの春から導入の新型IC旅券。Z嬢の新規発給のものを見せてもらったが、ひとこと結論を言えば「きわめて使いづらい」。問題はICチップと恐ろしや「通信を行うためのアンテナ」埋め込んだプラスチック製の頁が「こともあろうに」「誰が考えたのか」旅券の中央頁に。折り曲げ厳禁の厚い頁のため、何が不便かといえば「旅券の頁を捲れない」こと。入出境の手続きの時にイミグレ職員が入境スタンプや渡航ビザ確認のためパラパラと旅券の頁を捲る機会は多々あり、かなりの不便。ICチップや恐ろしいことだが通信アンテナなど「我が国の高い技術力」からすればかなり小型薄型化できるわけで、例えば曲げても平気とか、旅券の表紙の裏の片隅にでも埋め込むとか、出来よう筈。それをまぁ何が悲しくて旅券中央に厚さ1mm近い一頁大なのか。「どうぞ、この頁が大切ですから複製できるならしてください」と言わんがばかり。しかも重く、嵩張る頁が旅券本体に糸綴じされているだけのため旅券が何年も酷使されれば頁ぢたい?げることも明らか。もうズボンのポケットにいれることもできぬ。拙策としか言いようなし。かりにズボンのポケットにいれて坐った拍子にプラスチック頁が割れて破損した場合、やはり再発行は利用者自己負担なのだろうか。……と不審なる点多く外務省のQ&A読めば更に、この旅券のくだらなさ明らか。
Q IC旅券になると空港などの審査が速くなるのですか。
A IC旅券をどのように活用して本人確認するかは各国の入国管理当局の判断によりますが、IC旅券の利用方法としては以下のことが考えられます。
(1)これまでと同じように、入国審査官が旅券の顔写真と本人を見比べて同一人であることを確認する。
(2)ICチップの画像を読み出してディスプレーに表示するとともに、本人及び旅券面の写真とを入国審査官が目視により比較し、同一人であることを確認する。
(3)本人の顔をカメラで撮影しICチップの画像と機械により照合することで、入国審査官の目視確認を支援する。
(4)IC旅券を利用して出国・帰国審査を自動化する。
(2)〜(4)の利用方法については機器の開発や設置などの準備を必要とするため、直ちに入国審査を迅速化することは困難でしょうが、少なくとも(2)の機器が設置されることにより、旅券の真正性の判断(偽造や改ざんがなされていないことの確認)が容易になり、その点に関しては審査がスピードアップする可能性はあるでしょう。
と全て「想定」での話なのだが、外務省は(2)だけは明らかに審査円滑化として挙げているが、これは明らかに間違い。だいいち空港のイミグレなどで担当官が旅券ぢたいの偽造の有無などこれまでもきちんと確認しておらず。これまでの旅券でも旅券番号や氏名、生年月日など基本データは旅券表紙裏の顔写真頁の下部にある数字化されたデータ情報で機械読み取り可であり広く実施されており、寧ろ旅券の印字記載情報とICデータ情報と本人確認で審査が複雑になるのも明らか。
Q ほかにIC旅券を持つことのメリットは何かありますか。
A 偽造や改ざんが困難なIC旅券を持つことにより、万一、旅券が盗難にあっても、貴方の身分を装った不正使用に対する抑止効果が期待されるのです。その結果、日本国旅券の信頼性が向上し、出入国手続がスムーズになるとともに、我が国に対する査証免除の維持や拡大につながることが期待されます。
これも「座布団一枚!」くらい大笑い。かりに自分の旅券データが複製され自分本人を語るテロリストが活動し自分が国際氏名手配か、米軍の射殺指令対象とでもなっていれば別だが、不正使用の被害に遭う確率など0に近いほど低い。その結果「日本国旅券の信頼性が向上し」「我が国に対する査証免除の維持や拡大につながることが期待され」など雲をつかむが如き空論(我ながら「雲をつかむが如き空論」の比喩はきれいだ)。
でICデータの破損については
Q IC旅券で外国に入国するとき、その国にICの読み取り装置がなかった場合は、審査に時間を要したり、入国できないということにはなりませんか。
A 読み取り装置がない場合は、入国審査官がIC旅券もその他の旅券も同様に審査を行いますので、IC旅券であるために不利益を被るような扱いを受けることは考えられません。
Q もし、出入国審査時にICチップが壊れていることが分かったときはどうなりますか。
A ICチップに書き込まれた情報は旅券面の情報を電磁的に記録したものです。IC旅券はICチップの情報と券面情報を比較して偽変造の有無を確認することができますが、ICの情報を見なくともこれまでどおりの審査を実施することができます。したがって何らかの事情でICの情報を読み出すことができなくとも、それのみをもって入国を拒否されるということはありません。(略)
と、結局、ICデータなど実はどうでもいい実態。それなら「なぜ、こんな面倒な旅券」と思うが、このIC旅券は宗主国たる米国の旅券対策、ビザ条件に従っただけのもの。情けないことに
Q 米国のほかにIC旅券でないと入国が制限される国はありますか。
A IC旅券でないとビザを要求する旨発表している国は、現在のところ米国以外にはありません。
だそうな。米国のためだけにいったい何億の公金投じてのIC旅券化なのだろうか。私のように「米国へは断固行くまじ」という者にとってはただのいい迷惑。我が国の国民にとって国家への帰属をもっとも強く意識する、菊のご紋章いただく旅券においてこの単なる米国追従の情けない態。保守反動右翼の諸君は何故、外務省に対して「我が国の旅券の米国追従反対!、誇りを持て!」と主張せぬのだろうか不思議。ちなみにEUが確かIC化に応じていないのではなかっただろうか。中国も香港特別行政区も私が調べた範囲ではIC旅券化は想定外。……で最後の猜疑(笑)は
Q ICチップが壊れたときは新しい旅券と交換しなければなりませんか。
なのだが、もう上述の消極的な現状で答えは明白、
A 上記のとおりICチップが作動しなくなっても旅券として無効になるわけではありませんので、新しい旅券に切り替える必要はありません。
というのが結論(笑)。つまり「壊れてしまったら」そのままでよし。米国に行かないのなら尚更のこと。個人情報管理強化に反対の人士であるとか、旅券を意図的に破損してはいけないが、不可抗力で自然に毀れてしまえば、それまで哉。極端な話、上述の、旅券が傷みプラスチック頁が?げてしまった場合、そのままでいいのかも知れぬ。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/passport/pdfs/ic.pdf
▼築地のH君より中井英夫の戦中日記の記述を貰う。(「中井英夫戦中日記 彼方より<完全版>」河出書房新社
(昭和十九年)十月三日
新しい小學校の三階。校庭では體操の時間で二百名くらゐの女の子男の子が騷ぎ立てゝゐる。水色、赤、青、黄、華やかな彩どりのいきものが、この二三日、兵器ばかりいぢくつてゐた眼にいとほしい。
集つて、あしぶみして、歌を唄ひ出す、「豫科練」を「七つ釦は櫻に碇」を。ふいに先生の鋭い聲がする。じつと指さゝれてゐる、一人の子が。
──あの子はうたつてない。
その子よ、わづかにめぐみ出した嫌惡の心を、ひとりしづかにつちかふがよひ。やがて咲く不幸の花にいくたび涙させられることはあつても、そこにこそ詩の故郷はあるのだから。そこにおまへが、詩人の名を得られるのだから。
このさはやかに晴れわたつた秋のひとひ、空には飛行機雲がいくすぢか絲をひゐてゐる。賑かに、邪氣もなく(?)群れてゐるみんなの中でたつたひとり、歌をうたはなかつた子供、萬歳。
あの子はうたつてゐない、その聲にたぢろいではならぬ。
ヘイ、をかしくつてうたへません、ト。
わたしはひとりでゐたいのです、ト。
必要ならばいつでも列を離れてしまへ。
六十年前の懸念が今の世なら独り国旗、国歌に反撥する子や教師の如し。H君曰く今日日の「惨状」をば先の大戦で「負けて目覚めるしかない」と思い託し死んだ臼渕大尉に見せられるかしら、と。『男たちの大和』観て過去に感動し泣いている場合ぢゃない(しかも、かなり脚色された過去だ)。この書籍「完全版」刊行は昨年の六月。今春の卒業式シーズンに、この日記一節紹介のコラムが新聞に載ったかしら。ちなみに中井英夫は「虚無への供物」書いた推理作家で山田風太郎と同年生まれ、終戦時は廿二か廿三歳。昔の青年は大人だ。
▼昨日の朝日外報面の「特派員メモ」で巴里から沢村瓦なる記者が巴里のデモの「共感の輪」かなり好意的に紹介。支局長冨永某とは産経と朝日の如き異説。一方、東京新聞には経済部(久原穏記者)が
「社内では「あの民衆パワーはすごい。日本も少し見習うべき」なんて見方がある。確かに、あの政治的意思表示の行動力は日本にない。でもベクトルが間違っている。改革を阻める状況かと問いたい」「EUで、ひとりグローバル化に背を向けていられるわけがない。なのに内向きの保護主義を進めるばかりだ」「改革をたたきつぶしてばかりの”ノンの国”は衰退する」
と書いているそうで、まるで富永的。それにしても「みんながやってるのに」「世界の流れは」……の論調の思考力の乏しさ也。