富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-04-26

四月廿六日(水)小雨。早晩にジム。一時間半の有酸素運動。帰宅してカレーライスなど食す。競馬中継あり。春風化雨(Rain in Spring)という、この季節に風流な名前の馬が参戦し今晩はこれに賭けようと思っていたら退出。第6、7レースのDT(2レースの三連複連勝)は二頭ずつ当っても「あと一頭」当らず(たられば、だが当っていればHK$10が1,000倍くらいになるのだが)。二日も続け平日の晩に運動したせいか身体が慣れず睡魔に苛められる。
▼信報で曹仁超氏の連載に「四萬赴日?大奨」と見出しあり何かと思えば陳四萬(元政務長官陳方安生女史)が創価学会から何だか表彰受け訪日中と曹氏昼飯の雑談で耳にしたそうな。まだ創価学会サイトでもアンソン陳女史訪池は確認できず(英語サイトのほうが何かとこういった情報早い)。池田先生来港の時には政務長官官邸で夕食、歓談するほどでアンソン女史の学会訪問も今更驚かぬし世界中のVIPにとって創価学会から受勲も珍しい話でなし。ただアンソン女史が香港の民主化につき発言も増えておりポストSir Donaldでの行政長官選挙に民主派統一候補で出馬?などという噂すらあるなかで、この受勲はそれなりに注目される話。創価学会側も親中姿勢堅持するなかで敢えて「香港のオバサン」に授勲することは多少なりとも徒に北京刺激しないものだろうか
朝日新聞でイタリアのMarco Bellocchio監督の“Buongiorno, Notte”を紹介。今月末より渋谷ユーロスペースで上映。邦題は素直に「夜よ、こんにちは」。78年の「赤い旅団」事件を題材に監督曰く「思想に縛られて身動きがとれなくなった悪しき左翼の姿」を描く。中道左派聯合から伊下院選挙に出馬のBellocchio監督は「今の政治には思想がない。思想があるところには人間性と愛がない。でも私は、思想と愛は両立すると信じている」と恰好いい。映画にはピンクフロイドの“Shine on Your Crazy Diamond”、“The Great Gig In The Sky”などが劇中歌に。香港国際映画祭で掛からなかったのが残念なところ。
▼25日のSCMP紙Life面に一面大で“A cry from the dark”という記事あり子どもの性的虐待について。Kelvinという二十歳だかの青年の悪夢は七歳の時にピクニック先の郊外で年上の従兄に「レイプ」された時から始まった、と。これがトラウマになりずっと精神に毀傷を生じ青年時にカウンセリング受け慈善団体の指導で同じような被害にあった者と痛みを分かち合うことでようやく立ち直りの兆しあり、子どもの性的虐待の実態を広めようと今回そのキリスト教慈善団体のCaritasから手記とか。一瞬、子どもの心の傷、立ち直り、社会的正義など想像するが、言葉ばかり格調されるキョービの世界では何処までが異常なのか、何処からが寧ろ異常なのか、いろいろ慎重にならざるを得ず。まずこの「レイプ」がどれほどのものか。レイプというとレイプだが、例えば我々がまだ子どもの頃の「お医者さんごっこ」、年上の近所の子や親戚などに教わった性的な悪さ、けっこう際どいところ迄もありやなしや。今でこそ言葉の氾濫で性的虐待から「プレイ」の戯さまでレイプ、レイプと言われるが。昔であれば言葉の氾濫もなく、年相応で経験する様々なことが言葉と情報の横行の結果、例えばキョービの二十歳の青年が七歳の頃といえば僅か十三年前。かなり慎重に見るべき。中上健次なら小説の物語のエピソードにすぎず、ミシェル=フーコーならむしろ慈善団体のまなざしに視点を当てるはず。この手記を読んでおらぬので断定は避けるべきだろうが、不幸な環境の子どもが売春強要させられるなら大事だが、かりに昔からあった自然な性的な悪戯の類いまで性的虐待と判断されるようなことがままあるのがキョービの世界。「……なことして」だの「……なことされて」が昔なら親に言っても「何をバカなことやってんだろうね」で「さっさと勉強しなさいよ!」で終わっていたであろうし、教会で懺悔などしてしまったら聞いた神父様が悪い人で……という更なる危険に晒されたり(は冗談にしても)、今はむしろ慈善団体だのマスコミだの公共広告機構だのが「こんなひどいメに遭っていませんか?、大丈夫ですか?」と質すことで「あ、ある、ある」で事態が「発覚」し問題視され社会不安を煽る、という社会が此処に。で煽られたところで世の中など、そう簡単に健全になり不安が解消される筈もなく、ただただ不安増大し脅え続け、さらに社会の健全化への徹底した管理など厳しくなるばかりか。