富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

四月十九日(水)ふとマルタン=デュガール『アンドレ=ジイド 1912年より1951年に至る覚え書』福永武彦訳(文藝春秋社、1953年、当然絶版)は「日本の古本屋」で初版本見つけ、ジッド『一粒の麦も死なずは』堀口大學訳(新潮文庫、1969年)はamazon.co.jpにてわずか199円の古本を注文。古本屋巡りもそりゃ楽しいが海外にて立所に欲しい古書入手可能もまた嬉し。マルタン=デュガールは15歳の頃に母に『チボー家の人々』勧められ読んで以来。18歳くらいの時に代々木だったかユースホステル投宿の折、同宿のフランス人青年が文学をやっているというのでデュガール持ち出したら知らぬと言われフランスでも今どき(といっても数十年前の話だが)凡そ読まれてはおらぬのか、と。『チボー家』の面白さは読み方によって青春小説でもあり革命家の物語でもあり禁断の恋愛小説にも読めること。デュガールは寡作な人で初めて日記のあることを知り『ジイド』はその日記からの書き抜きと海野弘氏の著述から知る。晩遅くFCCにてハイボールとドライマティーニ各一杯。Z嬢来て夕食済ます。アイリッシュシチュー。午後九時半よりZ嬢と一緒に市大会堂にて柳町光男監督の『カミュなんて知らない』観る。六年前に愛知で起きた高校生の老婆刺殺で、その少年の「人殺しを経験してみたかった。人を殺したらどうなるか、実験してみたかった」をモチーフに都内の大学の学生がワークショップとして映画制作に取り組む話。この作品のオフィシャルサイトの紹介は学生らが「彼らの<殺人>をめぐる動揺や、<犯人>に対する共感と反撥、そして映画製作と濃密な関係を深めるにつれ、私生活で複雑に錯綜してゆく<愛>のゆくえ。現代を生きる等身大の若者像を鮮烈に刻印した、新しい青春映画の誕生である」とか「映画という集団作業における非日常環境に置かれた学生たちは、一方で、恋愛問題や就職活動といった個人的な現実に苛まれている。ごく平凡な高校生が犯した殺人や暴力について、喧々諤々と口論を繰り返すうちに、彼らの立ち惑う青春の焦燥や奔放な愛のエネルギーが、映画製作の現場に大きな影響を与えてゆく。そして取り返しのつかない決定的な出来事が!青春の無軌道さと生真面目さを同居させた彼らが、<不条理殺人>の向こうに見い出したものとは?」と大袈裟に言うが柏原収史吉川ひなの前田愛田口トモロヲら演じる大学生のキャラに全く映画の登場人物として魅力は微塵もなし。本田博太郎演じる、このワークショップの指導教官である大学教授はそれなりに面白く、タイトルバックからの五分ほどの大学の正門からキャンパスを延々と撮影し様々な情景を見事に繋げる映像(撮影は藤澤順一立教大学で全編ロケ)は見事だし、途中途中にベスコンティの『ベニスに死す」や食事のシーンでの対話は小津的なカット割りで往年の名画の演出などのパロディなど様々な工夫あり。幕末の殺人現場が劇中劇なのかハプニング的に起きた現実なのか錯綜させる演出など見事。だが、そういった玄人好みの技術論としての面白さ除くと映画としてどれほどの面白さか?と問われれば首を傾げざるを得ず。何よりも、これが実際に若い映画製作者らの作品であれば何も言わぬが、柳町光男の作品であると思うと、の話。なにせ我らが世代にとって柳町光男中上健次の短編小説を原作に撮影の『十九歳の地図』の衝撃。当時、情報誌『ぴあ』全盛。『十九歳の地図』は東京都北区を舞台に新聞配達する若者の心の葛藤だの在日など社会の様々な様相をば見事に描く。そして根津甚八秋吉久美子の『さらば愛しき大地』に中上健次の書き下ろしによる『火まつり』。ところでこの『火まつり』の北大路欣也が冒頭のシーンで沖から熊野に裸で対峙するシーンなど先日の三池崇史の『46億年の恋』の導入に(あくまで導入のモチーフだけに)通じるところもあり。共演の太地喜和子も懐かし。その柳町光男監督が寡作で、実に十余年ぶりの作品なのだから期待せぬわけにはいかず。となると、なぜ十余年ぶりがこの作品なのか、この十年、何が柳町監督の生業だったのか、と映画観ながらずっと考え倦めば、本田博太郎演じる大学教授は元映画監督で暫く映画制作から遠のき大学で映画論など教えており、そういえば柳町監督が早稲田だったか客員教授で映画論やっていたような記事新聞で読んだ記憶もあり。映画のロケは古い校舎のミッション系大学で明治学院か?と思ったが(実際には立教)雰囲気的には早稲田、だが映画映像や音楽専攻も同居しているキャンパスから江古田の日芸か?などと映画の筋とは関係ない想像ばかり。はぁ、この映画は柳町光男「監督」であるが監督の存在はワークショップの映画制作に参与する本田博太郎の演じる大学教授と同じような立場であり映画の実際の制作は学生が主体になったものなのか?と思えば敢えてこの映画を『十九歳の地図』『さらば愛しき大地』『火まつり』の柳町監督の続編と考えなければいいのか、ということで一応、個人的に自らを納得させる。帰宅して新潮社の季刊誌『考える人』の1962年特集少し読む。