富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-04-18

四月十八日(火)早晩にFCCに寄りハイボール二杯、貝柱とバシルのパスタペンネ。中環の市大会堂にてハンガリー映画“Black Brush”観るつもりが太古UA映画館でIsabella Rosselliniの監督作品“My Dad is 100 years old”上映と知りIsabella RosselliniはRoberto Rosselliniの娘で父の百歳を祝しての16分の作品に続きRoberto Rossellini監督の“Viaggio in Italia”(イタリア旅行)上映だそうで、これを観ることにする。主演はIngrid BergmanとGeorge SandersでIngrid BergmanはIsabella Rosselliniの母。で父の百歳祝賀の作品は彼女がヒッチコックフェリーニに扮して父のネオリアリズム映画について巨匠らに語らせる、似ていないが茶プリンの扮装まで。けっこう可笑しい。これに続き『イタリア旅行』初めて観る。個人的にはあまり楽しめず。倦怠期の英国の有閑階級の夫婦がイタリア旅行通して離婚寸前の危機からまた愛を取り戻す、と。それもイタリアの古い町でのマリア像御輿に担ぐ祭りの行列の中でなぜかまたお互いを愛するようになる、というお話。ネオリアリズムだから何かここから読み取らねばならぬの鴨しれぬが、強いていえば「情事のない渡辺淳一」。だからつまり面白くない。帰宅してずっと読みかけてになっていた海野弘の通史本読了。文春のTitle誌の4月号「デザイン全開なエアライン選び。」など読む。
▼小学校での英語教育導入について。我もかつて文科省の提唱が「英語が使える日本人の育成」という発送に「英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし」と述べたがホンマノオトといお受験関係のブログで「教育と経済」という視点から大切なことが語られている(こちら)。そしてこの英語教育導入については東京都知事首都大学東京の入学式で「日本で一番バカな役所は文部(科学)省。あれはまったくナンセンスだ」と批判とか。「日本人がものごとを考えるのは、やっぱり日本語で考えざるをえない。日本語のもたらす語感、日本人独特の感性、情緒を皆さんが持たなければいけない」などと吠えた。これについてもこちらの「教育のヒント」というブログに的確な指摘あり(こちら)。明治の先達らがあそこまで外語駆使して我が国の産業文化の発展に寄与したことを考えれば「日本人は日本語で」などと吠える都知事らのチャチなナショナリズムを嗤うばかり。凡その日本人は英語に限らず外語苦手が現状で、つまりは思考は日本語だけのはず。ならば日本語だけでものごと考えていて果たして現実にキョービの日本人の日本語に美しい語感や感性、情緒があろう、などと誇れるだろうか。ない。ならばそういった美徳と日本語の徹底や英語導入の可否など関係のないことは明らか。ただ頼るべき母なるものの不在に脅え国旗だ国歌だ、日本語だ、と騒ぐばかり。最も大切なことは精神的な自立、独自の思考力、そして母語でも外語でもいいから豊かな語力、それだけ。そこから自然に風土だの、社会や文化、言葉などへの愛おしさが現われればよし。それが故郷だろうが異郷だろうが。

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