富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-04-17

四月十七日(月)昨晩深更に雑誌『世界』五月号読む。Bernard Stieglerなるフランスの哲学者の「『象徴的貧困』というポピュリズムの土壌」という話とても興味深。「象徴的貧困」とは「過剰な情報やイメージを消費しきれない人間が貧しい判断力や想像力しか手にできなくなった現代の心的生活の悲惨」のことで「テレビやインターネットが大衆の欲望を生み出そうとすればするほど人々は逆に欲望や想像を自己のものとする契機を失い」「社会現象は衝動のレベルへ退行し、理念的なものや理性的な判断はなし崩しにされシニシズムニヒリズムが瀰漫し」てゆくとする(石田英敬氏による)。ゴーマニズムや2ちゃんねる現象、バッシングや小泉三世に象徴されるポピュリズム、等々。Stiegler教授によれば19世紀はプロレタリアの誕生、作る知であった産業が人が機械に仕えるようになり、20世紀は生産性の向上で社会が生産物を消費しきれなくなりプロレタリアが生産者から消費者になり、「生きる知」ですら本人の経験や思考ではなくマニュアルや産業社会のマーケティングに支配され、それから逸脱する個にはもはや「衝動」しか手段なき社会。そういった意味では昨晩の映画『疾走』などいいテクストかも知れない。本日久々に快晴。排ガスも普段よかマシなようでトラムで中環へ。昼から市大会堂にて匈牙利のPeter Gardos監督作品“A porcel?nbaba (The Porcelain Doll)”観る。ハンガリーの村の人々の間の生活史のような伝承のような物語。出演するのは全て村人。現実と超現実や自然など折り重なり、ふとガルシア=マルケスの『百年の孤独』彷彿。そう、あの世界。いくつも今回の映画祭でも現実と空想の世界の「ごちゃまぜ」は見たが(ことに安易なる制作の邦画!)マルケスやこの映画の物語のもつ超現実性よ。午後遅い次の映画まで少し時間あり久々にFCCのバーで少憩。ドイツのHolsten麦酒。FCCへの道すがらIce House街の坂道にあるClub Lusitanoの建物の礎石を眺める。現存のビルは2000年に新築の重厚なる石棺の如き建築であるが一番古い礎石は1920年の建築の際のものでマカオ総督来港にて建築披露。当時の香港総督はStubbs氏。Club Lusitanoがマカオポルトガル政府の香港に置いたクラブハウスであることがわかる。尖沙咀に渡りZ嬢と『スクールデイズ(School Daze)』(守屋健太郎監督、主演は森山未来)観る。他愛なき学園コメディかと思いきや金八先生パロディの学園ドラマの制作現場と、それに出演する元天才子役の若者(森山未来)の役者としてのプレッシャーや現実の学校生活(いじめに遭っている)との心理的混乱など実にうまく一つの物語にする。金八ドラマのパロディも笑えるし、主人公の若者の起こした事件までドラマの筋でどう片づけるかまで展開が可笑しい。主人公の父母が金八先生出身の鶴見辰吾と「高校聖夫婦」のいとうまい子というキャスティングまでパロディか、と。中環に戻り晩の映画に間に合わせるべく市大会堂のレトロ調マキシムにて早めの晩飯。美味くはない。晩の映画は園子温監督の『紀子の食卓』で、これは宮台真司が試写を見てご本人の05年邦画ベスト10の1位にした上で彼の戦後邦画ベスト5に入る」とまで絶賛しているのだが今回の映画祭で「家族崩壊」はいったい何本観たのだろうか(『スクールデイズ』もやはり同じ主題あり)、もうちょっと精神的に家族崩壊はいい加減にしてくれ!で165分の長編に耐える自信もなくZ嬢に観劇談だけ聞こう、と帰宅。ハイボール何杯か飲みジャズなど聴きながら机上の雑事片づけ。今日出かけがてらずっと途中途中読んでいた長谷川恒男『山に向かいて』読了。先日、山歩き仲間のY氏が「読む?」と貸してくれた文庫本。長谷川恒男氏は生前の、まだ二十代の氏の講演を聞いたことあり。当時我が地元では中学二年の冬「自己を見つめる月間」だかというのがあり、よーは数えの15歳で昔なら元服、もう大人ということで「自己を見つめなさい」と講演の拝聴だの教育関係者の訓話、自己との対話という作文だの続くのだが、そのなかで長谷川氏が市民会館で市の全中学2年生集めての講演。けして話上手でなく、ぼそぼそと、自分が何故に山に登るか、と話された記憶。子どもながらに明らかにこの人は話したいから、よりも寧ろ登山のための資金稼ぎにこうして講演しているのだ、と思われ、その「目標のためには嫌なこともやならければならない」のだ、というようなことを勝手に学んだつもりで、とてもそれを講演会後の感想文には書けなかったが(書いたらどうせまた「なんだこれは!」と教師に罵声浴びることも明白)このエベレストに登った長谷川恒男という人の講演会あった話を親にすると「きっとMさんのところにも寄るんだろうね」と。Mさんは『山に向かいて』にも名前が出てくるマッターホルン北壁日本人初登攀のY氏。我が先学はY氏のマンションで一緒に痛飲するほど酒仲間でもあった。「煙草の火なんかテーブルの端で揉み消しちまうんだから」と先学笑ってY氏の真似などしていたのも懐かしき話。で長谷川恒男氏は講演の朴訥なる話を聞きながら、この人も山で命をおとすのが宿命なのか……などと幾許か不安が脳裏過りもしたが、氏はこの講演会の数年後にマッターホルン北壁、アイガー北壁の冬期単独登撃を成し遂げる。そしてこの『山に向かいて』の文庫本後書き(91年正月)に90年9月パキスタンのウルタルII峰(7,388m、当時7千米級の未踏峰としては世界第三位)の頂上直下300mにまで達したが遭難寸前で下山し「私はこの秋、この山にもう一度、新たに加わる隊員とともに出かけることになっている。心が躍る山登りを、私はいつまでも続けたいと思っている」と結ぶ。そしてこの文庫本(初版本)の発行がその年の2月。長谷川恒男氏はこの年の10月10日ウルタルII峰登山中に雪崩により遭難。享年43歳。余が香港に住い一ヶ月半ほどの時のこと。当時この遭難知らずだいぶ後になって訃報知る。この本では79年冬のグランドジョラス北壁の単独初登攀での食の話がいい。
登りはじめて三日目に、壁の途中のわずかなスペースでビバーグした。夕食の支度をしようと、お湯を沸かしていると、その暖かい蒸気が、冷えきった私の顔にあたった。さきほどまでの登攀も忘れて、私はこのとき、本当にわが家に帰ったような安堵感を初めて味わうことができたような気がした。そして、スープをそのなかに放り込み、スプーンでかきまわし、すくったスープを口もとまで運んだとき、私は、食事を全身で楽しんでいることに気づいたのだ。湯の沸く音を耳で楽しみ、湯気で暖をとり、においを鼻で楽しみ、そして舌で味わい、のどや胃で楽しむというように、私はグランドジョラスの北壁のなかで本当に生涯忘れられない素晴らしい食事を楽しむことができたのだった。私たちはときとして、義務のように感じながら食事をすることがある。日に三度の食事もそうである。時間がくれば食事をすることに、何の疑問も感じていない。それに、私たちは食べることの本当の意味での楽しさを忘れてしまっている。(略)しかし、わずかなスペースのなかで、ひとりで、あるいは仲間と身を寄せ合うようにして、お湯を沸かし、紅茶を作るとき、そしてわずかな食料がのどを通るときの、からだ全体が受けとめるあの幸福感、満足感だけは、日常、決して味わえないものである。
長谷川恒男は高い山で聴くバッハやバロックがいい、と本に書いていたがキース=ジャレットの演奏でハイドンのピアノ組曲を聴く。ウィスキーを何杯か飲む。
IHT紙に紐育タイムス紙の記事で日本社会の経済的格差の記事あり。かつて一億総中流と言われた日本がキョービの社会的格差。「一億総中流」は経済大国なのに中流生活に甘んじる、という自嘲的意味もあったが今に思えば皆が中流であるだけ真っ当だった鴨。で現実の数字を見れば90年くらいまで日本の世帯で貯蓄0(つまり収入で食いつなぎがせいぜい)は全世帯数に対して凡そ5%であったものが90年代のバブル崩壊と不況で貯蓄0世帯が増大し2000年には12%ほどにまでなっていたが注目すべきはこの5年でそれが25%にまで上昇(日銀の調査)。四分の一の世帯が貯蓄0。常識的には時の内閣は総辞職で政権交替、デモにストライキ、最悪な状況が克服できない場合クーデターなどあっても不思議ぢゃないが、何が摩訶不思議かといえば、この未曾有の社会経済の深刻な状況変化に小泉三世の政権は長期化し支持高きこと。亀井静香チャンなら開き直って「国民がバカだから」と言うであろう。

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