富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-04-15

四月十五日(土)昨日気温下がり薄ら寒さに簡単に悪寒。今朝から怠さ。気温も今朝は摂氏17度と冬に戻る。日刊ベリタに『蟻の兵隊』香港で上映の記事送稿。昼から科学館にてビデオ映画作品『頼小子』観る。監督は韓傑でプロデュースは賈樟柯。今春のロッテルダム国際映画祭で金虎賞受賞。九十年代初と思われる時代の田舎の炭坑の集落。ふらふらする若者三人。三人の言葉の訛りから山西省らしい(と思ったが上映後に映画資料見たらその通りだった、と多少自慢)。気に入らぬ同世代の中学生をば成敗と学校に押し込み傷害事件起こし三人で集落を逃げ出し都市の黒社会(ヤクザ)に身を寄せようとするが街道筋にていくつかの窃盗や傷害、はたまた三人の間で仲間割れ、結局、主人公の少年一人が集落に戻ってくるのだが今さら身を寄せる場所もなし。監督の韓傑が山西省の生まれで故郷で同級生三人の故事を映画化とか。主人公の喜平演じる白培将なる若者の演技が白眉。これから芸人として多くの映画だのに出演するのかもしれぬが、恐らくこの人にとってこの映画が最良であろうと断言しても良い。それほど役にハマっている、というかこの喜平になりきっており、ニンもある。それが、この白培将君はなんと撮影開始三日前にようやく見つけた若者だそうな。その凡そ素人がこの作品のなかで喜平になり切る見事。ふらふらしてはいるが、せいぜい隣家の若妻相手に亭主の居ぬ間にほんの数分の性事済ますくらいが悪さの、あどけない表情の少年が悪業続けることで、その人相に険が出てくるのは、これが芸道の極み。科学館隣りの香港歴史館で開催中の鄭和「揚帆萬里」の特別展参観。鄭和の1405〜1433年の七次に渡る大航海は南京より南はインドネシア、西は驚くなかれインドからアラビア半島、果てはアフリカのケニアに及ぶ。而も船の規模は当時の欧州船の数倍の大きさで一艘に千人の乗組員すら搭艦の巨大船舶まであり。鄭和の興味深き点は先日も某博物館の副館長のW君と語ったが鄭和の出自。朱元璋が明朝を建てるが元朝の強き影響下にありし雲南は明軍の討伐を受ける。鄭和は原名を馬三保と云い、馬哈只の子。イスラム教徒。馬なる姓は預言者ムハンマドの子孫と云われ、父の名・哈只はイスラム教の聖地メッカへの巡礼者に与えられる尊称ハッジに由来。先祖はチンギス=ハーンの中央アジア遠征でモンゴルに帰順し元の世祖クビライの世に雲南開発に尽力せし色目人政治家サイイド=アジャッル(賽典赤)と云う。これほどの雲南モスレムの名家に生まれたは少年は明軍に捕らえられて去勢され宦官として当時の燕王・朱棣(のちの永楽帝)に献上される。朱元璋の死後、永楽帝が帝位奪取し靖難の変において功績挙げた馬三保、永楽帝より鄭の姓を下賜され宦官の最高職である太監となる。この鄭和が明朝の大航海の主役となるのだがW君との話で興味深いこといくつか。まず鄭和の艦隊の統率ぶり。よくある話は大航海時代の欧州艦隊など野蛮の極みの仲間割れだの「野蛮」から略奪の財宝の取り合いだの、長い航海に欲求不満で野獣の如き態などなど。それが鄭和の艦隊にあってはそういった野蛮が記録に殆ど残っておらず七次にも渡り統率のとれた艦隊での大航海。その原因の一つに鄭和自身が子どもの頃に虚勢された宦官であり鄭和の率いた軍隊だの艦隊には同じ雲南省出の兵隊や乗組員多く、而も明朝の雲南征伐において元朝の復興恐れられ果敢なる雲南の若者の多くが子孫残さぬよう虚勢されたと云う。その若者らが鄭和に従う。宦官というと女性化したヲカマの印象強く宦官多き艦隊などQueer船だが鄭和の軍隊が所謂「女々しい」どころか功績挙げたり寧ろ猛者であった不思議。いずれにせよ性欲処理が水と食料に勝るとも劣らず大問題の大航海において「宦官の船」の意味合いは興味深いもの。科学館に戻り先日観た『少年花草黄』改めて観る。先日どうも筋の徹らぬところあり途中微睡んだこともあり。今度は微睡まぬよう観たが居眠りの所為ではなく脚本(ホン)に唐突なところあり、とわかる。姉弟が一卵性双生児であること、別居する母の突然の登場、弟の親友の少年のこの姉弟との位置関係など。ビデオ作品で会話が聞き取り難いこともあり英語の字幕が会話とかなりズレていることで前回誰の科白かで誤解あったことも気づく。いずれにせよ記号論的に見るとかなり面白い作品であると改めて感じ入る。早晩に別の映画観ていたZ嬢と待ち合せ尖沙咀の京笹に食す。毎年この映画祭の期間に必ず一度は訪れるのがこの京笹と尖沙咀東のらーめん一平安だろう。京笹ももう少なくとも15年以上の老舗。今のスタッフももう何年も変わらぬからどこか落ち着く。風邪気味で帰宅後『世界』五月号など読みながら早寝。
▼今日の朝日の社説が東京“ファシス”都が都立学校の職員会議で教員の挙手や採決禁止について語る。都は学校運営の決定権は校長にある、として職員会議は校長の仕事を補助する機関にすぎぬのだから校長が職員会議の意見に影響されないように、というもの。これについて朝日は「あきれる、というよりも、思わず笑ってしまう、こっけいな話ではないだろうか」と述べたが笑ってなどいられぬ話。それでも実態は263校のうち学校行事のやり方などについて職員会議で採決していたのは十数校にすぎず、その「弊害校」粛清徹底のための措置。先日もある人と偶然に教育現場の話になった時に、その人が教員への罵詈雑言の中で「ったくアカどもめ」と口にして余は思わず椅子から扱けそうになったが教員=非常識というその人の見方はそれはそれでいいとして、どうしてそこに教員=非常識=アカがついたか。こういう常識的な人にとっては東京都の決定はそういった非常識なアカ教員に教育が撹乱されぬためには真っ当な判断と映るのかも。勿論、公教育という制度の歴史的な成立過程と意義、その公教育で「式」という学校行事の目的や作用を考えれば、その「式」の運営が教員と生徒が手作りで、であったり「日の丸や君が代に懐疑的な人の意見も汲入れて」なんてなるほうが奇跡。だが、余が幼き頃に小学校で学んだのも、社会や組織の運営に積極的に参加する、自分の意見をもち積極的に発言する、多数決と少数意見の尊重等々のまさに戦後の民主主義。それが今では教える側にこのファッショ徹底、そしてそれを誤解して「正しい措置」と受け取る人々。
▼築地のH君の郵便局での話。郵便局で郵便振替の用紙を出せば局員がすまなそうに4月から振替手数料値上げにてATMなら据え置きだがその局の機械は対応しておらず大きな局なら従来の値段で処理可能、と。30円だか40円のこととはいえH君ふと値上げの理由尋ねればその局員堰を切ったように語るは昨年から「例の騒ぎ」でいろいろ制度変わってのコスト削減。「ええ、サービスは低下させないという話でしたんですが、なにせ致し方ありません。うちの局でも従前は……」と詫びる局員。郵政民営化、民間にさえすればサービスは向上する、という百万遍の空念仏。嘘を百万回唱えても本当にはならなかった、とH君。その嘘をまんまと信じる、あるいは関心がない人々。フランスならデモだのストに突入か。だがこれも「そんなことは社会のためにならない」と思うのが今の日本の常識。そも「国民主権」とは文字通り主権が国民に存することを明らかにするものであって(仮構ではあるが)「主権者である国民は自身の幸福を追求するのが本務であって、政治のような
雑事に時間を割くことができないから、仮に代議員を選出して、これに政治業務を委嘱する」が原理に即したあり方。であれば主権の行使は投票に限るべきなどという主張は暴論珍論に類にすぎず少なくとも民主主義の名において語るべき議論にあらず。