富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-04-05

農暦三月初四。清明節。掃墓に向かう家族連れ多し。尖沙咀では民主諸派が合同で天安門事件慰霊。今年は周恩来逝去に始まる第一次天安門事件三十周年。お若い人はご存知なかろうが文革に続く四人組の時代に周恩来逝去惜しむ市民らが清明節に合わせ天安門広場の人民英雄記念碑に周恩来追悼をして四人組これを弾圧。?小平三度目の失脚(79年の三中全会で復活)。当時、まだ若き我も短波ラジオで北京放送のニュースに耳を澄ませたのも懐かしいこと。で第30回香港国際映画祭、実は昨日開幕。トラウマか開幕上映作品=山田洋次という印象強烈。今年は香港映画の「黒社会2」と「伊沙貝拉(Isabella)」だそうで開幕式典に赤いカーペットなど敷いてスターが来場なんて野暮な開幕につき合う気もさらさらなく当然のように同じ文化中心のコンサートホールで(映画祭はシアターホール)キーシンのピアノ独奏会をば聴いた次第。で本日から十九日迄毎年恒例の如く映画漬け。で午前十時半からシティホールでの“One Day in Europe”観ようと出かければ会場閑散としており「ん?」と思えば上映取り消し。すでにだいぶ前から告知あったらしく知らずに出かけたのは数名のみ。出ばな挫かれる。取りあえずスターフェリーで尖沙咀に渡るが香港太空館では1968年の張徹監督の武侠映画『金燕子』上映されているものの武侠映画の古典秀作ながら武侠物ぢたい興味なく、もう一つは科学館に行けば『黒社会』上映しているがわざわざ行く気にもなれず、でジム。昼からシティホールに戻りFred Kelemen監督の“Krisana”(2005)観る。ラトヴィア舞台に都市の「個人の存在」について。監督や出演者来ているわけでもないのに上映後に拍手あり。午後遅く文化中心で昨日の開幕上映作品の“Isabella(伊沙貝拉”を観る。彭浩翔(Pang Ho Cheung)監督、主演は杜?澤と梁洛施。1999年のポルトガルから中国への回帰直前のマカオ舞台に杜?澤演じるダメ刑事と突然表れた私生児の娘の物語。杜?澤がすっかりお父さん役で好演。黄秋生が相変わらず助演でさすがこの人、の筋に直接関係ないのだが、絶対にいてほしい存在。あの刑事事件をこう題材にしたか、で余りにも「マカオらしすぎる」演出だがベルリン映画祭でも好評であったのも頷ける。香港映画の一つの可能性でもあり。晩に旺角UAにてシンガポール映画“4:30”観る。二年前のこの映画祭に“15”が上映され、我自身にかなり衝撃的であったRoyston Tan監督の新作(この監督のサイトは必見)。15ではシンガポールの怒れる十代が主人公であったのが今回は11歳。母が北京に仕事で孤独な存在。咳止め薬でどうにか毎日を生きている。これ以上、何も語れぬ。ただ絶望的ななかでRoyston Tan監督の主人公への愛おしさだけが救いか。晩遅く文化中心に戻りホラー映画“Black Night”観る。香港、日本、タイの三本のホラーのオムニバス映画で日本から瀬戸朝香柏原崇なる二人の俳優が来港し舞台挨拶あり。ホラーはどうも興味持てず。ただ香港のホラーが三級ホラーに徹しており、日本作品(秋山貴彦監督)が心理物なのもお国柄か。映画五本のはずが四本で意外と疲れ知らず帰宅。
▼タイのタクシン首相が退陣表明。国会下院選挙にて野党ボイコットで事実上の信任投票となりタクシン率いる与党過半数を得てタクシン続投表明していたが「国の団結のため」と退陣表明す。タクシン氏4日午後プミポン国王滞在されるホアヒンの離宮を訪れており「何らかの形で辞任を促された可能性もある」(朝日)。退陣も6月のプミポン国王戴冠60周年記念式典を平穏の実施するため、と言う。確かに王室中心に動く政局なのは事実。だがこれが朝日が3月下旬に社説で述べた「国王に頼る切なさ」なのか、「民主主義の成熟覚束ぬ」と言い切れるものなのか。まず何といっても下院選挙で出身地のチェンマイ中心に北部で田中角栄的に圧倒的支持の高いタクシンの与党がかなりの得票を得ると確信されていたものが野党ボイコットのなか都市部を中心に反タクシンの世論が選挙で積極的に白票投じた結果、白票が与党得票を上回った事実。この国民の政治への関心と積極的な動きのどこが「民主主義の成熟覚束ぬ」なのだろうか。日本のほうがよっぽど民主主義は成熟などしておらず。で、その世論の意思表示に対してタクシンは選挙結果での与党の勝利(そりゃそうである、野党がボイコットしたのだから)を理由に首相続投と居座り決める。こうなると反タクシン世論は何ができるか。選挙での意志表示反古されたのだから次はデモやストライキ、反政府抗議運動か。となると世情不安定となる。ここで国王に謁見のタクシン氏に国王が退陣を示唆。タクシンもメンツもあろうし選挙で与党が議席占めた「事実」もあるが「6月のプミポン国王戴冠60周年記念式典を平穏の実施するため」に譲歩。タクシン派も反タクシン派も「国王戴冠60周年記念式典を平穏の実施するため」で居り合いがつき実際に6月のこの記念式典を盛大に、厳かに開催することでタイがタイらしく平和な時となる。これでいいのではなかろうか。このタイの動きが見えもせずに、勝手に「国王に頼る切なさ」だの「民主主義の成熟覚束ぬ」などと言ってみてしまう我が「民主主義国家」の誤謬甚だし。ちなみに朝日は今日の社説でこのタクシン退陣を受け退陣に至る事実経過を述べタイの政治安定の東南アジアにおける重要性を説き「20世紀の初め、タイの近代化を担ったダムロン親王は「独立を愛する心」「寛容の精神」「和解する力」の三つの大切を説いてやまなかった。タクシン首相の退陣で、その教えが実現できるかどうか。見守っていきたい」と社説を結んだ。あれほど「国王に頼る切なさ」を説きながら日本でいえば明治帝の如き親王の言葉を用いてタイのその大切が実現できるか、と問うことの矛盾。しかも最後は「見守っていきたい」と、これは記者が記事を書くときに絶対にこれで〆てはいけない、と教えられる、誰でも使える陳腐な表現であることは言うまでもなし。

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