富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-03-10

三月十日(金)薄曇。一つ大きなご公務もどうにか山場を越え一つ大きな行事にも参加して一段落。早晩にふと時間が空きバーYにハイボール二杯。薮用済ませ帰宅。常温の菊正宗を、海苔と麩の汁物、胡瓜一夜漬け、それに親子丼の具、を肴に飲む。蕎麦屋での天ぷら蕎麦の「ぬき」はあれのどこがいいのかわからぬが(高橋義孝先生が何故にあのようなもので酒が飲めたのかが不思議)出来立ての熱々の親子丼で鳥肉のあの卵とじで酒を飲み、具の汁のしみたご飯だけをさっと最後に〆で食すのもなかなか。カツ丼でこれもいいかも。食後、ふと白百合を葉書に描く。絵筆などとったの何十年ぶりか。岩波『世界』四月号読む。
▼『世界』四月号で、起訴休職外務事務官の佐藤優氏の「民族の罠」なる我にはいささか難読な連載終了。最終回は圧巻。四年前の宗男議員と佐藤氏の逮捕が、小泉政権ポピュリズムをば権力基盤とするため地方や社会的弱者に泣いてもらうと公言できぬため、政治権力をカネに換える汚職政治家(宗男)という表象が必要となり宗男議員をば放逐することで中央財源の地方への分配が削減されたのが、この逮捕が国策捜査れあったとすれば、今回のホリエモンの逮捕も新自由主義の行き過ぎが勝ち組と負け組の格差拡大で硬直化し流動性がなくなる=経済の停滞があるための行き過ぎ抑制のための意図的な逮捕、と。佐藤氏は山川均のファシズム論を引用し、現状では新自由主義的な小泉自民党と前原民主党が一つの巨大ファッショ政党となることで、むしろこれに与せぬ小さな政治的諸派が国会や地方、学界や企業、農家にまで生まれ、それが連帯することで対抗勢力になることに期待する。さらに愛国心が近代以降の社会の産業化の中で生じた現象であり、その愛国心の前提として人間は近代においては民族となるエトノスをば生み出す連係、関数を有しており、日本人を含め人々はその関数態としての民族というウイルスに感染し、イスラム原理主義アナーキズム民族主義と同じく普遍的理念を追求する別のウイルスであるとする。そこで重要なことは「自民族がもつウイルスが周囲に危害を与えることを避けることを真剣に考えるべきこと」と。そして国家については国家は産業社会においては必要悪であるが「小さな政府」こそ警戒すべきで、それは小さな政府こそ政府の機能が警察、軍事、外交など国家の暴力的側面に集約されるため。総じて、産業化、ナショナリズム、近代国家、資本主義が京成する一つのシステムの中で大切なことは、国家や貨幣といった悪と距離を置きながらそこそこの付き合いをすることの大切さ、としてルカによる福音書(第20章20〜26節)を引くのだ。
かくて彼ら機を窺ひイエスを司の支配と權威との下に付さんとて、その言を捉ふるために、義人の樣したる問謀どもを遣はしたれば、其の者どもイエスに問ひて言ふ『師よ、我らは汝の正しく語り、かつ教へ、外貌を取らず、眞をもて神の道を教へ給ふを知る。われら貢をカイザルに納むるは、善きか、惡しきか』イエスその惡巧を知りて言ひ給ふ、『デナリ(デナリオン銀貨)を我に見せよ。これは誰の像、たれの號なるか』『カイザルのなり』と答ふ。イエス言ひ給ふ『さらばカイザルの物はカイザルに、神の物は神に納めよ』かれら民の前にて其の言をとらへ得ず、且その答を怪しみて默したり。
で筆者は敢えて最後に日本国憲法の擁護から北畠親房神皇正統記まで話が進むのだから、すごいこった。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/