富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月八日(水)先学命日。掃墓もかなわず。昨晩、自宅にまだ蕾が咲きかけの白百合あり。Z嬢から父の命日に、と。一周忌法要は無事済んだが命日にまたあらためて父のこといろいろ思い出すばかり。せめても、と毎日、父の遺影に線香をあげる日が続いたが鳩居堂の線香のかぐわしさもすっかり書斎に染みて、の一年。帰宅すると十年酷使の冷蔵庫故障。アース関係を直した経緯もあり、これ以上修理も危険かと買い替えの要あり。「あ、ロック用の氷が……」と最初に心配した酒飲みの性。カレーライス。少し溶けかけの氷でマッカランをロックで。連日諸事の忙殺される日が続き食後意識失うが如く就床。
▼従兄弟のS兄より高崎線宇都宮線普通列車に連結のグリーン車好評に気を良くしたJR東日本、来春から常磐線普通列車にもグリーン車2両連結、と知らされる。而も1月からしばらくグリーン料金を取らず。缶チューハイ片手にオジサンたちがくだを巻く常磐線特有の風物詩は消えお行儀の良い線になってしまうのか、とS兄。「赤電」といっても今の若い人にはわからぬだろうが常磐線にはどうも似合わぬ普通列車グリーン車。あれはやはり東海道線横須賀線で鎌倉、藤沢への風情というもの。
▼築地のH君より東京新聞の記事に廿年前に渡部恒三自民党国対委員長務めた当時の自民党の布陣の紹介あり、と。竹下登首班で官房長官小渕恵三、副長官・小沢一郎、副総理・蔵相が宮沢喜一で外相に宇野宗佑。党側は幹事長・安部晋太郎、幹事長代理・橋本龍太郎、総務会長・伊東正義、同代理・森喜朗政調会長渡辺美智雄、同代理・加藤紘一で国対副委員長に小泉純一郎谷垣禎一古賀誠高村正彦亀井静香鈴木宗男という豪華な布陣。国対副委員長が今の自民党などの有力者で「人材養成所」の役割。この廿年で自民党がどうだけダメになったか。
▼作家の辺見庸氏が「小泉時代とは」と語るは(朝日新聞)「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」という後漢の諺をば引用し「私の興味は「一犬」の正体や小泉純一郎という人物の如何にあるのではなく、「万犬」すなわち群衆というものの危うい変わり身と「一犬」と「万犬」をつなぐメディアの功罪である」と述べる。群衆の素早い変わり身、それは変身に政治的な成熟ではなく過剰に情緒的であり、メディアはそれに制動の役割を果たすどころか「感動した」だの「ぶっ壊す」だのとエモーショナルな言葉を重ね(とても幽玄なる哲学の持ち主には見えぬが)群衆にとっては明快で小気味よく支持率8割の首相に批判的な番組づくりは不可能に近い、と寧ろ任期に拍車をかけた現実。現在の出来事が記憶すべき過去(歴史)を塗り替え、あざとい政治劇を観る群衆は分析的思考を失い歓呼や嘲笑が伝染する。辺見氏はさらに小泉憲法解釈の摩訶不思議として03年の自衛隊イラク派兵の閣議決定後の記者会見で小泉三世が派兵の根拠を憲法前文に求め前文を読み上げたこと。また今年の年頭記者会見では靖国参拝の根拠をば憲法19条(精神と心の自由)に求めたが憲法20条の信教の自由と政教分離は何処にいったのか、後世の有り様を大きく左右しかねない憲法の意図的な誤用。一犬が吠えるのはいいが万犬がそれに倣うのか、「ファシズムよりましというだけで民主主義ではない」というフランスの作家レジス=ドブリの言葉。
朝日新聞ばかりの引用になるが丸谷先生の「袖のボタン」について築地のH君より。昨日、余はこれを揶揄したが、H君にしてみればローティの「現在わが国(米国)の犯している悪はわが国の本性ではない。も ともと合衆国は歴史を持っているが本性は持っていない。合衆国は試行錯誤をしながら自己形成をつづけてゆく」は「つくる会的な歴史観」への皮肉ではないか、と。丸谷先生の「ローティ教授は、潔白と思いこんでいた過去がずいぶん汚れていることに気づいたとき、それなら未来を立派なものにすればいいし、またそれしか手はないと考えた。そこで本性などなくて歴史があるという発言になる。つまり歴史観が格段に深まったわけだ」という記述を解釈すれば「つくる会」は「日本人は常に清く正しくたくましい」という本性を仮定するために過去がずいぶん汚れているという現実を直視できず、それ故に過去を直視できないから未来を立派なものにすることができぬ。つくる会歴史観が決定的に浅いこと、そしてそれがなぜ日本社会にとって害毒であるかが実に簡潔に論理的に示された一文だ、とH君。生まれて初めて丸谷先生の記事を切り抜いた、と言う(笑)。

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