富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月七日(火)曇。どんよりと雲たち込め湿気に「地滑小心」、暑くはないが湿気にじんわりと汗、シャツがすぐよれよれに、の香港らしい、春というのは陰鬱なる春。先日W君にいただいた神戸の津曲のプルーンパイを朝食に。幸せ。諸事に忙殺され晩に至る。Glenfiddichを少しの水で割って一飲。帰宅。タンカレーのドライマティーニを一杯。夕飯がビビンバ、で真露を少し。そのビビンバのまえに茄子の味噌汁。その味噌汁には日本橋みかわの天かす。汁物で酒を飲むのが、池波正太郎の梅安なら浅蜊汁であろう、いちばんの贅沢。食後に久が原のT君にいただいた人形町水天宮の寿堂の小金芋で薄茶。四月の香港国際電影節の映画パンフレットながめ作品の吟味。すでに通し券購入し今年も三十本余の映画鑑賞か。映画といえば第78回アカデミー賞にて最優秀作品賞の有力候補といわれた“Brokeback Mountain”の李安監督が最優秀監督賞受賞。邦題は「ブロークバック・マウンテン」だがどれだけの人が意味を理解しようか。ちなみに中題はずばり『断背山』とわかり易い。日本語なら「絶望の山なみ」だろうか(ダサい)。でこの映画「若いカウボーイの同性愛を正面から取り上げた」そうだが(朝日新聞)、同性愛物で最優秀作品賞候補まで残れたのは、ひとえに「監督が普通の人」だったこと。これが同じ同性愛物でも『藍宇』の關錦鵬との違い。で作品賞まで期待されたのだが、やはり「ホモの壁」か(養老先生の『バカの壁』が売れたが『ホモの壁』という新書もいい鴨)。だが、思うに、最優秀作品賞の最有力候補といわれたのが落選は、「ホモの壁」というより、この作品が「若いカウボーイの同性愛を正面から取り上げた」ことよか「米国の(マールボーロに象徴される)男性像のホモフォビアの内面を取り上げた」ことではないかしら。ここを見せてしまうと米国がいちおう保っているはずのもの(それがなんだかはよくわからないけど)が崩壊してしまうこと。で「ホモじゃない監督」にホモ映画での監督賞を授けることで、いちおう解決、と。
▼日本人初の宇宙旅行者の榎本さん。元IT会社役員の若手投資家。ほんと10年どころか7、8年前は、まだ香港で地元在住の日本人相手にインターネットのプロバイダーしていらっしゃったはず。地味な仕事で我がオフィスにもネットのメンテでご本人と、ある意味当時有名になったT君とで来訪もあり。その事業は「香港テレコム(当時)や、日系ならKDDIだのソニーに食われるだろう」と言われていたのが某IT会社、ってこの時期、話題はアソコしかないが、に取り入りあっという間にIT長者。堀右衛門の香港でのマネーゲームに榎本氏も深く関わっているといった噂もあり(こちら)だが、ご本人は宇宙へ。お見事。
▼晩のNHKでニュース眺めておれば天皇皇后両陛下が三宅島訪問。明るい島民が両陛下が「こちらに来るとは思ってみませんでした」と語っているのに字幕には「こちらに来られるとは思ってみませんでした」となぜ故意に言い換えるのか。敬語使わねば敬意ないわけぢゃなし、寧ろこの島民の場合かなり親しみある言いっぷりであったのに。
▼中国全人代。副首相の小泉靖国参拝批判に対し小泉三世「靖国外交カードになりませんね!」と。この一言の潔さに「すかっ!」とする国民のどれだけ多いことか。これに対して例えば憲法学の樋口陽一先生が、小泉三世が総裁選挙に立候補する際から靖国参拝公約に掲げ、つまりこの参拝を政治の問題として自ら敢えて提起しながら、参拝すると今度は憲法十九条持ち出し総理大臣にも「心の自由」があるとする点を指摘、この小泉三世の論理の矛盾は「内閣総理大臣という最高権力者にかけられている憲法の制限を取り払う根拠に、もともとは権力者を縛るはずの憲法を持ち出していること」。最高権力者が「心の自由」を持ち出し、良心に基づき行動しようとする個人の意志(教育現場での君が代、日の丸への対応など)は蔑ろにされる。つまり今の日本では、近代が前提してきた「権力を制限して個人の自由を守る立憲主義」と正反対にあること。また公権力を持つ人の「公の私化」を樋口先生は憂う。御意。この考えこそ正論である、と思えるのだが、いまの国民には小泉三世の「靖国外交カードになりませんね!」のほうがスカッとしてわかりやすいのだろう。
朝日新聞丸谷才一の連載「袖のボタン」が「共和国と帝国」という題で米国を取り上げている。バリントンの『アメリカ思想の主な潮流』取り上げ(ところでバリントンを1927〜30って、いくらなんでも三歳では書けない)、で丸谷先生はこの、米国はローマ共和国同様に腐敗した金権国家だが独裁国家ではないから帝国には非ず、今でもまだ立憲民主国であるし、帝国なら暴君の暗殺しか救済なないが米国では悪い大統領は選挙民の判断でやめさせることができる、と。00年の大統領選挙でももしラルフ=ネーターに投じられた300万票をゴアが得ていたらブッシュの当選はなかったのだ、と丸谷先生。思わず失笑。丸谷先生も、この「たられば」に失笑する読者は多いことだろう、とわかっているようで、さらに「現在わが国(米国)の犯している悪はわが国の本性ではない。もともと合衆国は歴史を持っているが本性は持っていない。合衆国は試行錯誤をしながら自己形成をつづけてゆく」という別の学者の言葉を引用し、米国への期待につなげる。お気楽。問題は、その試行錯誤続ける国民の総体的な民度が「ブッシュを大統領に選べる程度」であること。選挙結果で「たられば」は厳禁。結果が全て。不正があっても不正隠蔽されるのなら、それが結果。而も一番の問題は、その試行錯誤を世界に何の影響もない19世紀の開拓国でやっているならいいが(アメリカ原住民にはいい迷惑だが)問題はその試行錯誤が地球をぶっ壊すほどの力をもっていること。そんな試行錯誤につきあわされることなどまっぴら御免、である。だが敢えてそれに付き合おうとする首相を選ぶ同盟国もあり。南無阿弥。

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