富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-03-04

三月初四(土)快晴。二日続けで三時間ほどの睡眠。自宅にいると何かと古い本だの父の遺品だの見始めると時間経つのも忘れ忽ち深更に至る。朝七時すぎに家を出て妹の車に送られ母とJRの停車場。列車から通りすがり、偕楽園の梅は未だ一分咲き。昨年の先学逝去の頃に満開の梅、今年は開花遅し。「警察のご指導をいただきながら」特別警戒中、と御上には自然に諂う思慮浅き民営のJR特急車中で昨日の日剰綴れば上野に着く。いったん母と別れ東京駅よりタクシーで虎ノ門ホテルオークラ。荷物預け警戒超厳重なる米国大使館眺めながら虎ノ門に下りて銀座に向かう。米国大使館囲む道路の歩道は歩行できぬ規制なのだがホテルオークラの正門前が水道工事中で、それを避けようと大使館側に渡ると、道路の向こう側に警官いるのだから我が渡る前に「こちら側は通行禁止です」と指示すれば宜しかろうに渡って歩き出してから目の前を通せんぼして「通行禁止です!」と。粗忽。虎ノ門にて地下鉄駅一瞬見失い「ここまで田舎者になったか」と一瞬焦るが東都の地下鉄といえば「営団」のはずがメトロ東京となり地下鉄駅入口の意匠が「喪中のマクドナルド」の如きM字になっており遠くから見落とす。銀座。鳩居堂にてにほひ粉など購入。歌舞伎座。母とZ嬢と芝居見物。本日は十三世仁左衛門十三回忌追善。久が原のT君に一階一列目中央の席を手配いただき深謝。まずは曽我物。愛之助が「仁左衛門に似てきた」と母が言っていたが確かに松嶋屋らしいお顔。幕間にT君来臨。高麗屋福助吉野山。道行き。高麗屋が花道のすっぽんから現れると、忠信というよりどうしても石川五右衛門だの妖術使いの如し。この人の踊りの固さも気になるし成駒屋の無表情は神谷町譲りか。どうしてもこの道行きというと、前回は勘九郎で見ているが、これはやはり沢瀉屋のあの踊りの上手さと静を恋う源九郎狐の、最後の花道でのひっこみ、観客のやんやの喝采を思い出す。T君がわざわざ人形町志乃多寿司の稲荷寿司と海苔巻きを「おすもじ」に、と買ってきてくれる。ここの稲荷は甘すぎず好し。これでお昼。松嶋屋の奥様様(仁左衛門夫人)ロビーにいらっしゃり仁左衛門襲名披露以来のご無沙汰でご挨拶。「あら、ちょっと何よ、ちょっと」と余が肥えた、と笑われる。で仁左衛門丈の道明寺(菅原伝授手習鑑より)。仁左衛門が菅丞相。覚寿は病気休演明けの芝翫(神谷町)。判官代輝国に富十郎天王寺屋)。立田の前が秀太郎、刈屋姫に孝太郎と追善らしく松嶋屋。道明寺といえば先代(十三代目)仁左衛門の名演。戦後は東都では十一代目團十郎、先代の幸四郎(白鴎)に十三代目に続く孝夫(十五代目)の菅丞相。余は白鴎の菅丞相を母の話では観ているらしいが本人は全く記憶もない。十三代目の歴史的なる道明寺(覚寿は梅幸)はT君らと昭和の終わり近き頃に歌舞伎座で観られたことは一生の思い出。今回は芝翫が相変わらず感情移入のない芝居で、ただ梅幸よりずっと気配りしながら「ここぞ」とばかりに神谷町らしい熱演。それにしても仁左衛門。正直言って病気がちの片岡孝夫がどこまで芝居が続けられるのか、と心配された時代もあり先代の十三回忌の追善にて菅丞相演じるところまで活躍することの嬉しさ。障子の向こうからの松嶋屋の声をば聞いただけで先代をば思い出した、とT君も咽ぶほど。現れればもはや、俗世の人にあらず、道真公と同じ神仏の世界に達したか、の仁左衛門。この単調といえば単調な、菅丞相にはなんの表情もなきような芝居に「十三代目の名演」と言われても観ておらぬ人にはピンとこない。が、この役の難しさは普通の芝居とは異なり、崇高なるこの道真公の域、また「養女」とされる刈田姫への愛おしみでいえば別れをどう見せるか、その「粋」にどう達するか、ということ。当代の仁左衛門丈であるから、この崇高さと別れを精神世界にて演じきる。それにしても十三代目の再臨か、と思わせる菅丞相での仁左衛門丈の舞台の立ち姿。姫との別れに仁左衛門丈の目から涙が零れ、姫を残し毅然と攫われてゆく姿。一列目から松嶋屋をば拝むばかり。芝居跳ね玄関にて松嶋屋の奥様より十三回忌「偲び」と書かれた京都の、十三代目が生前好きだったそうなお菓子屋さんの焼き菓子を頂く。T君のお誘いで銀座七丁目の資生堂パーラーの喫茶部。さすがエスプレッソも殊更に美味だがT君はいつもシャンペンにプリンだそうで、これがまた美しい。皆さんと資生堂前で別れ一人、まずは一丁目まで上り鞄の銀座谷澤。お散歩用のショルダーの皮に白いクリームついてしまい店できちんとブラシで落とし茶色のクリームで表面鞣してもうう。谷澤の方のお話では皮用の汚れとりクリームは汚れをむしろ皮に浸透させてしまう場合もあり、まずはブラシで汚れ落とし皮と同色のクリームにて汚れや異変の箇所をいい意味でごまかしてゆくような作業。続けて文具の伊東屋ペリカンの万年筆のインクだのホルベインの水彩固形絵具だの香港では入手し難き文具など小物数点購う。続いてトラヤ帽子店。今回もずっと日本でかぶっていたトラヤオリジナルの冬用の帽子で同じ意匠でメッシュ製の夏物出ており購入。いくつか本屋で『世界』別冊の樋口陽一先生、井上ひさし氏監修による憲法特集号をさがすが何処にもなし。新聞広告にも出ていたが売り切れなのか。燈刻ひとり八丁目並木通りのBrickにてハイボール二杯。サントリーの角は角だがソーダ水の円やかさがこの店らしさ。復た資生堂パーラー。偶然にT君に誘われ午後にお茶したが晩は晩で資生堂パーラーの食堂を予約しておいたもの。Z嬢と母と三人で晩餐。コンソメスープとミートクロケット。ドライシェリーと赤葡萄酒いただく。Z嬢の残したハヤシライスも母の残した海鮮リゾットも味見。母と銀座で別れZ嬢と虎ノ門駅から歩いてホテルオークラに戻る。このホテルもあとどれくらいこの形態にて営業するのか。余にとってこのホテル思い出深いのは郷里の親友J君の叔父上がこのホテル常宿で一度お招きいただいたおりJ君と中学生だったろうか部屋のルームサービスのサントリーオールドを、二人で四分の一分だったのだろうか飲んでしまい、すっかり気分よかったこと。今回はもう最後の思い出かも、とオーキッドバー訪れるが紳士的なるバーの印象がすっかり宴会帰りの二次会宴会場と化しておる。これはこれでいいのかも知れぬが。ハイボール一杯のみ。睡眠不足で朦朧としつつとりあえず荷物だけ片づけ寝入る。

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