富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-03-01

三月朔日(水)春雨。先学一周忌。親族と先学生前に親しき方ら四拾余名お招きしての真言宗豊山派神崎寺での法要。正午から芸術館内のレストランにて斎戒の食。この芸術館設計せし磯崎新もまさか館内のレストランが地元民の法事にて使われようとは思わなかったはず。雨止まず。地元の国立大学にて人文学部長まで勤められた先学旧知のK名誉教授による献杯の辞。あえて手短に感情抑えられさらさらと「この雨もまた故人への贐けになろう」と。我が中学の恩師にて父とはそれを縁に親しくされたK先生をご自宅まで送る。香港の銀行口座からマスターカード系のCirrusにて出勤しようと三菱東京UFJ銀行に寄れば当支店の機械ではご出金できませんので中央郵便局をご利用ください、と。市内に旧都市銀行の支店はこの三菱東京UFJと旧富士のみずほのみ。海外カードとの提携くらいしてほしいもの。だがT/Cの両替に寄れば「ご旅行だったんですか?」と世間話されるほど呑気な田舎町ゆゑ、海外カード提携など必要ないのかも。帰宅。Amazonなどから半年の間に届いた注文書籍の整理。数千円以上は郵送料無料のサービスありがたいが、こちらが「一括送付にてよろし」としているのにサービスで雑誌一冊でも過剰包装の段ボールに入れての送り出しは無駄。水戸を離れて東に三里、晩に茨城の大洗海岸は?松亭に宿す。那珂川の河口の断崖に建つ。露天風呂にて遠くの灯台の灯など眺め浪の音など聞きながらの一浴。殊更風情あり。
▼畏兄N医師からのメールに余の「ゑぶ」など「ヱブ」なる旧字表記がいい、と讃められる。N兄になると「ヰンドウズ」だの若い芸人もウエンツが「ヱ”ンツ」となる。おそらく余が幼き頃に「ヰ」の時に最初に出会ったのは「ニッカヰスキー」にて「ヰ」の字をまさかカナとは思わず漢字の「斗」の崩し字か何かと信じ「ニッカウィスキー」だがサントリーが寿屋のようにニッカは「ヰ屋」という屋号で(とここでサントリー=寿屋を開高健の若い頃のエッセイで知っていた小学生は後世、かなり酒呑みだろうが)それで図案的に「ニッカヰスキー」と使っているのだ、と信じていたこと。それにしても西兄には教えられること多し。このメールにも中国人の患者との話のなかでN兄の「長年の疑問」として「ちんちんもがもが」(チンチンカモカモ、とも)の語源について。今ではあまり使われぬ花街言葉で、まるで「男性器がカモになる」とでも思われそうだが、これは、「あんぽんたん」が王八蛋(ワンパータン)を語源とする如く、親親我我チンチンヲォヲォ(いちゃいちゃする)ではないか、と。ただただこのセンスに敬服。ちなみにN兄、エイズ検査で陰性なのに陽性じゃないか、と悩む神経性の中国人患者にひと言「杞人憂天」と書いて渡すほどの才人。