富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-01-26

一月廿六日(木)薄曇。未だ旧暦では年の瀬師走廿七日だというのに香港ではすでに某所に植えらし日本の桜は開花。入院中の知人の見舞いと治療費などのことで某私立綜合病院訪れる。行きがけに花屋に寄れば旧正月前のかき入れ時で草花も価格暴騰。病人の見舞いと言ってあっても正月祝賀の飾りつけられるもご愛嬌。見舞い終えて帰途、急患あり引き返して応急処置済まし八時半頃に帰宅。この三日、交通費を除くと支出は毎日の新聞購入だけ、という慎ましさ。自宅でその日の新聞を読み雑誌に目を通し枕元の本の続き読む。
▼先日、立花隆橘孝三郎のことを少し綴ったが畏友J君より期待通り「貴重な余談」を聞く。立花隆田中角栄の研究の発端と取材ルートに深くかかわる話。そのメールでJ君より黄瀛の中国での評価などについて尋ねられる。黄瀛については王敏女史が昨年7月の朝日新聞に随筆で紹介し偶然にも黄瀛氏自身がその直後の8月に98歳だったか天寿全う。母が日本人で宮沢賢治に直接会ったことのある詩人で草野心平の親友でありながら、日本の陸士出身、国民党軍の将校、解放軍に転じ文革で十年以上投獄など数奇な運命。80年代から四川外語学院の日本語学科の教授となり日本語教育に尽力(こちら)。この「開放」後の第一期生に王敏女史。「日本的には」関心高まる人物だろうが「中国的には」あまり関心を擽られる対象ではないのかも。余の知るかぎり四川外語日語系での共学以外の部分であまり中国国内での評価など聞かず。
▼県立高校の男女共学化に「汚点」とまで頑なに反対を唱える仙台市の市長梅原某。今度は市民施設統廃合でも個性発揮。この施設は「エルパーク仙台」と云う。仙台市役所に近い定禅寺通り一番町角の商業ビル141に同居の市民生活や社会活動での男女共同参画推進を目的とした施設。で確か80年代に余がまだ仙台に住まいし頃に開館。仙台市側はこれと仙台駅前にある男女共同参画の姉妹施設「エルソーラ仙台」との一本化に向け検討。年間の維持管理費はエルパーク約2.5億円、エルソーラ約3.1億円。これだけ見れば「統合は当然」だがエルパークは一般開放された市民活動スペースや小型の設備充実のホールあり演劇公演など盛ん。確か大野一雄先生の舞踏公演も此処であったか。香港の芸術活動の貴重な一拠点。河北新報によると04年の利用者はパークが約19万人、ソーラが約20万人でほぼ同数だがホール施設など有料部分に限ればパークは16万人でソーラの3倍強。つまり同じ市民施設でも性格が全く異なるもの。ソーラに一本化されると当然、このホール施設がなくなる。市長梅原某は「全事業を点検しており今のままの運営が必要か吟味する。文化も大切だが財源は有限。優先順位をつけて判断しなければならない」とニベもなし。リトル石原の梅原某にしてみれば「エル(Lady)パーク」に象徴されるジェンダーフリーなど男子校という伝統文化の破壊と同じく「中国」「人権」「市民運動」などお嫌いであろう。それにしても「首長が嫌いなものはやめる」という単純な手法が通るようになったのが石原以後。民主主義も官僚や有能な公務員主導の行政も退いての首相や首長専制独裁。それに甘んじる大衆。さすが革命を経ておらぬ非近代の、といったら江戸時代に失礼、野蛮なる社会か。ところで仙台には仙台市戦災復興記念館という施設もあり。「仙台市の戦災と復興の全容を伝え二度とこのような悲劇を繰り返すことのないよう平和を祈念する場として位置づけられた資料展示室」と此処もまた音楽会開催できる小型の音響もそれなりのホールあり。もう20年以上前に森田童子のコンサートを此処で聞く。ここも梅原的には不愉快で将来的には発展的解消だろうか。
▼小泉三世のメールマガジン。いきなり「小泉純一郎です。」で始まるのが、どこか「ひろしです。」みたいで薄ら寒し。国会での姿勢方針演説について語る。相変わらず「改革なくして成長なし」だか「成長なくして改革なし」だかの禅問答。ご本人は「改革なくして成長なし」でこの論争は決着がついた、とするが、単に景気回復が小泉改革期に合わさっただけのように思えるが如何に。当然、先の総選挙にて小泉自民党が推した堀江貴文候補には触れず。それどころか突然、チャップリンを引き合いに出して映画『ライムライト』での名言 “All it needs is courage, imagination, and a little dough” を引き合いに出し、小泉三世はこれを「人生において大事なことは、夢と勇気とサム・マネー」と紹介し「いい言葉だと思います。みんな、夢と希望を持って、あとはビッグ・マネーでなくてもよい、生活できて時々少しは楽しみの持てるサム・マネーがあればよい。そういうことが大切だという気持ちで(所信表明)演説の想を練りました」と小泉首相ライブドアに象徴されるマネー錬金術が非難浴び小泉改革が実はこの俄成金の成長をば扶けたのでは?と思われる中で、意図的なのか小泉改革の求めるのは「生活できて時々少しは楽しみの持てるサム・マネーがあればよい」という慎ましやかさ、だなどと、よくもまぁしゃーしゃーと宣えるもの。ただただ呆れるばかり。そもそも多少、映画を識るものならわかることだがチャップリンの政治思想的な背景、映画『ライムライト』が撮影された時代(1952年)とその時代背景(マッカーシズム)、そしてチャップリンの後世など思えば、この“All it needs is courage, imagination, and a little dough”はとても小泉がホリエモン育てた投資市場改革の言い逃れに用いられるような言葉でないことは明らか。追いつめられ、夢も希望も風前の灯のなかで僅かな望みをこの言葉にかける。……そういう意味では小泉賛成はこの心境か?、否、大きな誤解による自信に満ちあふれていよう。“a little dough” も小泉賛成は「サムマネー」と言ったが、確かに dough は米俗語で「お金」のことだが原意が「練り粉、生パン」であるように、日本語でいえば生きていくための僅かの最低限のおカネ、まさに「糊口を凌ぐ」さま。どうすれば「ビッグ・マネーでなくてもよい」意味でのサムマネーと理解できようか。この程度の感性が我が国の首相だと思うと悲しみに咽ぶばかり。
チャップリンで突然、おそらく三十年以上前のことをふと思い出したが、この小泉三世の安易なチャップリンの引用と対照的なのが萩本欽一であった。余は萩本欽一君についてはコント55号の過激さに比べ「欽どこ」の素人多用が今ひとつ好きになれずにいたが、何だったか萩本欽一がコメディアンとして尊敬するチャップリンの人生を辿る、というテレビ特番あり。確か米国に渡りチャップリンの映画一本、一本、当時のチャップリンの住家だのスタジオだのまわって歩くのだが、チャップリンの面白さでなく萩本氏がしきりにチャップリンの孤独、追いつめられた生涯など紹介していたのがとても印象的。その悲しみを乗り越えるためにチャップリンは映画で笑いや希望を求め続けた、と。

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