富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-01-06

一月六日(金)薄曇。気温摂氏12度と寒し。薮用あり九龍に参り燈刻Sham Shui Poの雑多なる通り歩く。日暮れに帰宅急ぐ人の北河街の街市あたりに食材購ふなど暮らしの賑はい。電化製品や携帯など売る店多き鴨寮街と北河街の角に日旺果汁小食という粗野なる店あり。此処の牛什(牛の臓物の串刺)美味と評判で行列あり。帰宅途中に小腹空けば魚蛋や焼売、この牛什などの一串は小腹満たすには気軽。帰宅して白菜の鍋など。
NHKニュース10にて北朝鮮の米ドル偽札問題で米国が圧力かけ云々の「報道」でマカオでの取材流し記者が「私たちの取材によってマカオでの北朝鮮の活動の実態が明らかになったわけですが」との発言に思わず椅子から転げ落ちる驚き。これをNHKがスクープしたなら世界的な反響だろう(嗤)。マカオでの北朝鮮の活動など衆人知るところ。マカオ空港開港で高麗航空の定期便が飛び始めたころも「貨物は米ドルの偽札か」などと揶揄あり。マカオ北朝鮮系の貿易会社が突然の閉鎖、という「ニュース」も、米国政府がマカオの地場銀行に北朝鮮のマネーローディングに関与していたとして告発した昨秋に、その貿易会社のトンズラなど報道されていたもので、今さら何が「私たちの取材によって」だろうか。呆れるばかり。こういった低レベルな取材をきちんと整理できるデスクというものが存在しないのだろうか。大雪の情報でも「急な斜面には近づかない」とか「つねに降雪に中止する」といったことが大切です、と「ホームでは進入する列車に気をつける」といった類いの幼稚園生でもわかる常識を神妙な顔で「報道」するバカさ加減。「今、津波が押し寄せていますから海岸からはできるだけ離れてください」なら意味があるが。
産経新聞のトップに「反日」出口見えず。要旨は、韓国の対日強硬外交は今年も緩和される見通しはない。日韓間で半年毎の首脳会談も韓国側の「不機嫌」で開催出来ず。「反日外交」を主導の盧武鉉大統領が「日本および小泉純一郎首相に腹を立てている状態」(韓国政府筋)とあっては取りつく島もない、と。なんでも他人の所為にするのは(本来、産経新聞が標榜の)「心の教育が足りず」と築地のH君。今日の日本の、この唯我独尊ぶり。80年代など当時は中曽根さんの登場で「保守化」憂えたりしものも今となれば外相が「日米同盟という言葉を使うな」と抗議辞職し法相の「憲法改正すべき」という発言で(憲法改正自民党の党是でこそあれ)現憲法下の内閣成員としての法相発言としては不適切と辞任の事実など思えば今日の、首相が何等疑問もなく日米同盟だの現状に見合わぬ憲法と発言することの恐ろしさ。1920年代の「大正デモクラシー」から30年代への変化にも匹敵するが、それをそうとは理解せぬ国民の総意。南無阿弥。
▼毎日、新聞読んでおれば連載随筆で何人かの書き手に話題の「共鳴」の日あり。昨日の蘋果日報にて左丁山氏が「酒店情懐」と題してMandarin Oriental Hotelの改築から話し始める。余も晦日バンコクから戻りすでに改築工事始まりしマンダリン眺め、あれこれ昔のことなど思いだし、何より印象は女人禁制の名残りありの「かつての」チナリーバーの風格。そしてクリッパーラウンジでもう十数年前に余もまだ少し若くぶりぶりと時たまディスコティークなどに遊ぶ折にはディスコティーク賑わう深夜を待つに悪友らとクリッパーラウンジでお茶などしておればロビーに玉置浩二先生と交際噂されし当時の(91年に結婚)薬師丸ひろ子女史の姿など見かけたも懐かしい話。左丁山氏によれば立法会議員で弁護士のMargaret Ng女史が2日の明報に連載の随筆でマンダリンの思い出話語り。Ng女史が香港大学の学生であった頃(60年代後半?)にお気に入りはマンダリンのカフェと当時のヒルトンホテルの摩羅街(Mosque St)。では中文大学の当時の学生が中文大学に近い雍雅山房(Yucca de Lac=湖辺の蘭花、05年09月21日日剰に閉業の記述あり)に食したか?と左氏が幾人もの卒業生に質してみたが雍雅山房で下午茶の学生は張敏儀女史(元香港経済貿易代表部駐日代表)か数人程度、と港大出身の左氏にしてみれば中文大学の学生の野暮さ、か。90年頃に我もフェリス女子大から留学していたA嬢などと「あの奇っ怪なる食肆は何だろうか?」と気になり雍雅山房に食してはみたが学生にとってはお値段も厳しいもの。で左氏はマンダリンも全室のバルコニーが恋人どうしロマンティックにヴィクトリアハーバー眺めたのも昔の話で高層ビルに囲まれた今となっては致し方なかろうがバルコニーをば改造し全館ガラス張りへの大工事で曾ての面影もなきホテルへの変身。中環にはFour Seasons Hotelも開業したが左氏の指摘通り遠さを厭う、と(新宿でいえば西口からセンチュリーハイアットや東京ヒルトンどころか京王プラザに行くよか近いのだが「心理的な」遠さ)。で同じ日の随筆でWilliam?達智君がDestinationという北京のディスコをお気に入り、と紹介。いまだディスコティークで消夜とはWilliam Tan君の若さに敬服。この北京のディスコの勢いから往年の香港の(80年代後半から10年)の香港のディスコティークな夜をWilliam君が彷彿。当時はまだガキや家族連れは近づけず、の蘭桂坊に唯一一軒のディスコはDisco Discoで、それがYYや「銅鑼湾の12階」に引き継がれ現在のWords(Worksの誤植であろう)やPPに至るが(いずれもゲイの客多きディスコなり)往時の賑わいとは格段の差、とWilliam君。で北京のディスコDestinationは曾ての香港のDDの如く「尤其那類来自世界各地的雑色少年」集結の国際感覚でディスコで、ランデブーあらばディスコ抜け出して語らう場所は近くの「鹿港小鎮」なるレストランで、これは香港なら曾てのヒルトンの深夜も営業のカフェCat Street(猫街)や今日の「翠華」に当たる、と書いている。香港ヒルトンのCat Streetは記憶にあるが摩羅街は記憶確かでない。当時のヒルトンホテルといえば「ぶりぶり」な客多きCat Street、洋食のヒルトングリル、中華はEagle's Nestで日本料理の源氏。それに花園街に面したサイドウォークにパスタなど美味なダインあり。これがもしや摩羅街という名前だったかどうか。老いて記憶も不確か。ホテルの話といえばマンダリンと同じ昨年末に尖沙咀Hyatt Regency Hotelが閉業。こちらはホテルの建物も解体し商業ビルに変身。HyattGrand HyattからPark Hyattへのホテルの恒久化路線でRegency系列は規模縮小。そういう意味では日本のハイアットが東京(小田急センチュリーハイアット)や大阪、福岡に続き京都までリージェンシーの名前で今春開業なのはどういうことなのか興味深くもあるが。ハイアットといえばこの日の信報で劉健威氏がマカオのハイアットも夏前には閉業と伝えている。建物ぢたいの老朽化は否定できぬがプールサイドでの黄昏がなくなると思うと残念、と劉氏。同感。マカオラソン終わっての恒例の料理屋フラミンゴでの会食も昨年12月が最後となること。

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