富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-12-29

十二月廿九日(木)耳栓はしたが予想以上の熟睡からまだ暗いうちに目覚める。午前六時にしては目覚めの遅いバンコク(香港に比べれば、鴨)。市場や近くの朝食堂だけは活気あり。06:15にバンコク到着予定が途中少しずつ遅れ7時過ぎにバンコク站着。早朝に各地からの長距離列車多く到着しホーム混雑かバンコクから数キロ手前のjunctionで順番待ち。いくつかの列車眺めながら鴬谷から上野に入るような光景だ、とぼんやり眺めていれば「B寝台」「回送」とあり「あれ?」と思えば日本国有鉄道の往年のブルトレのB寝台客車が現役で活躍。往年の鉄道少年にとっては垂涎の的。タクシーでインターコンチネンタルホテル。朝七時すぎのチェックインでせめてジムのサウナだけでも使えれば、と思ったがクラブラウンジのスタッフに「できれば」とお願いしておいたが部屋が空いており幸運にも更に広めの角部屋に通される。天気もよくホテル屋上のプールサイドに寛ぎ読書。昼前にサウナ。昼に「そういえばバンコクにこれだけ来ていて王宮もプラケオ寺院の翡翠仏も参観したことがない」「一度くらい行ってもいいか」という話となりSkytrainでチャオプラヤ川岸まで行き水上バスで王宮近くまで北上。波止場近くの市場で昼飯を済ませプラケオ寺院。翡翠仏参拝。王宮。かなり外装の修復中。国王が誕生日にタクシン首相を叱った誕生日演説で国王がお坐りあそばした玉座が「あ、ここだ」と拝見。この国の王室崇拝は勿論、先帝や現国王への国民の信望でありタイ仏教での王室の役割などあろうが、何よりも現王朝(チャクリー王朝)の歴史が220余年と浅く北部タイのラーンナー王国を併合したのは1894年であり、その日の浅さが徹底した王室崇拝=国家の威信を求めるのだろう。王宮から官庁街を抜けスタット寺院に向かい散歩。途中のバムルンムアン街には仏具屋並び一瞬、タイ仏教のあのオレンジ色や麻黄色の布の法衣を買おうか、と思ったのだが「いつ羽織る?」という単純な問題もあり諦めたが(ただの布、と思っていたが一式揃えると質の高い布だと450バーツもする)僧が使う腰巻きと腰紐、それに小さい和尚袋を購入。僧が用いる毛糸編みの帽子や手袋などの防寒具セットもあり。この暑さでいつ何処で使うのかしら。スタット寺院参拝。夕方のラッシュ始まる。バンコクの都市交通で唯一乗ったことない運河の乗合水上バスに乗って帰ろうということになりスタット寺から古い街並を散歩してパンファー橋。ホテルの近くまで4kmほどの乗船。確かにラッシュもないし「高速」だが高速であるぶん運河の水のはね返り、とくに水上バスのすれ違いの時はひどいもので、それを除けるビニールシートで風景も眺められず。運賃を徴収の乗員は歩く隙間もなく船の縁を猿のように上手に渡り歩く。運河に幾條もかかる橋はかなり低く、そこを潜るたびに水上バスの屋根も下がる不思議なつくり。運河とはいえ悪臭はふしぎとないが運河沿いの家々(しかも川沿いにはバラック多し)からの汚水が流れ込むわけで、その運河を少なからず観光客が喜んで水上バスで水しぶきを浴びながら遊ぶのだから不思議。バンコクだからの観光?か。ホテルに戻りサウナに寛ぐ。晩飯に、劉健威氏が讃めていた「地場のタイ料理屋」に行こう、とシーロムシーロムの繁華街を西に歩くと印度系の商店多し。タイ仏教の寺院に慣れた目に異彩放つのはヒンズー教のマハーウマデヴィ寺院。この寺院の角を曲がったパン通りにTaling Plingというタイ料理屋あり。劉氏の書いたものによれば劉氏が懇意にした香港のマンダリンオリエンタルの飲食部門のマネージャー氏がバンコクのオリエンタルホテル勤務となり前回、劉氏がオリエンタルホテル訪れこのマネージャー氏にバンコクの地場のレストランでは何処がお勧めか、と尋ねたら教えられたのがこのTaling Plingで劉氏も絶賛。確かに美味。オクラのカレーは強烈に辛いが美味。劉氏によれば客の9割は地元客だというが今回は半数くらい外国人。しかも「地場」というには青山か麻布にでもありそうな今風のセンスの店。美味いし繁盛はいいが欠点は「黒服の不在」。どうにもトーシロー然とした若い給仕が「ちょっとそうじゃなくて」と指導いれたくなるような慣れぬ接待。それを誰もsuperviseできぬ。慌ただしくビールも一人にだけ注いでもう一人に忘れるような様。不思議なのは一軒家の食肆だが厨房が二階にあり。それを一階に運ぶだけでも面倒なのに繁盛しているから尚更。タイの民家は水害恐れ厨房は二階に、というが、ここは「まさか」だろう。帳場も二階にあるから仕切りの悪さは並大抵でない。料理が美味いだけに残念。タイでは珍しく「ありがとうございました」と笑顔で送られることもなし(なにせ客が席を立つのすら気づかぬほど慌ただしい)。シーロムをぶらぶらと散歩してホテルに戻る。伊勢丹のあるワールドスクエア?だったか巨大ショッピングセンターの広場に年末のカウントダウン目当てのビアフェスタ開催。朝日、シンハーハイネケン、チャンとタイでお馴染のビール会社がそれぞれ数百席規模のビアガーデン設える。それはいいがホテルの部屋に戻るとちょうどビアフェスタに面しており32階でありながらビアフェスタ会場のロックバンドの演奏が大音響。NHKの「今年の出来事」のような番組見ていたが(来年はみんなが幸せになれるといいですね、とそりゃそうだが昭和5年も昭和12年もそう願って、の不幸せ。幸せに、と願うだけでは世の中は幸せにはならないのだろう)ビアフェスタのロック演奏は終わる気配なし。ホテルのフロントに問い合わせると午前1時まで、と。ということは2時くらいまでは覚悟すべきか。これぢゃ眠れない、と思ったら「別なお部屋がご用意できますが」で午前12時に35階のビアフェスタと反対側の部屋に避難。午前7時すぎのチェックインでナイスな角部屋を宛てがわれた、と喜んだがこういうことだった、ちょっと残念。
▼Stiglitz教授の“Globalization and its discontents”にも関わる話だが先日のWTO会議の際にふと感じたことを英国のT君に「世界には人に十分な果物があるのかしら?」とメールすれば
I agree with your comments on the WTO but, as we all know, the world is capable of producing fruits for all. It's just that the will and desire for an equitable system is not strong enough. I still recall your prediction as we stood one day on Tiananmen Square underneath Mao's portrait - that one day China would be the great global power and you are clearly going to be proved correct. America will decline as it misuses power and rules selfishly. It is the new Rome.
と返事あり。1980年代初め、広州からの夜行列車で偶然に遭遇したT君と北京に一週間ほど遊んだ日々。T君がシベリア鉄道でモスクワに向かうのに当時のソ連大使館に査証申請に行った帰り、一人の日本人の青年と一緒に戻ってきた。その青年はウォークマンの音楽に合わせブルース=スプリングスティーンの当時流行った“Born in the USA”を査証部で唄っていたそうで、本人は耳栓していたので自分がソ連大使館の中でこの曲を大声で唄っていたとは自分で知らなかったそうな。毎日のように天安門広場をバスで通りながら、いつか米国を凌ぎ中国の覇権の時代がやってくるのだろうか、などと経済開放始まったばかりの中国でT君と語った日々。

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