富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-12-25

十二月廿五日(晴)昨晩は深夜12時に市街から歓声あがり花火のような音。仏教徒がクリスマス祝うのも自由だがクリスマスにカウントダウンなどもあるのだろうか。花火はイエス=キリストの生誕の祝賀か。とにかくただただ商業主義。朝五時半にモーニングコール頼めば五時にまず予告あり五時半にコールあり五分後に珈琲届く周到さ。荷造りして六時半からラウンジで朝食。日曜朝で渋滞にも遭わずタクシーでHualamphong站。コンコース正面に鉄道警官が並び何事かと思えば午前八時の国歌演奏で乗降客も直立不動。午前八時半発のチェンマイ行き特急9号に乗車。首都バンコクからタイ第二の都市、東北のチェンマイまで700kmを11時間余で結ぶ列車であるから十数両編成の食堂車つきの列車をば想像したらホームには三両編成のディーゼル車。あれ?って感じ。これに11時間も乗っているの?である。世界の趨勢か長距離移動は飛行機と高速バスにおされ鉄道は斜陽の極み。700kmを11時間余でつまり時速60kmくらいで進む。食堂車もないので食事は站で停車時間に買うのか?と思ったら、さっそくパンケーキの軽食が朝食で供される。バンコクを出てアユタヤ、ロップリーの古都をすぎると単線。列車の運行は少ないので停車場でのすれ違いは少ない。むしろ優等列車であるから先発の列車を何本か抜かす。昼前に平坦な土地に小高い丘がいくつも現れ始める。簡素だがタイ料理らしい昼飯も供される。列車はかなりの勾配を上り始める。列車の両側は山、山、山。ここをよく機関車に連結されたわけでもない車体の下にディーゼルエンジンをつけた列車が走るもの、と感心。車体は韓国の大宇製。製造年はわからず。山歩きしていて、この鉄道線路に出くわしたら間違いなく廃線の線路跡、と思うだろう。ここを列車が来たら宮沢賢治宮崎駿の世界のよう。それくらい「粗末な」単線の線路がバンコクチェンマイを結んでいるとは……。新聞の切り抜き、文藝春秋12月号、ずっと半分程読み残していた松本健一の『竹内好論』(岩波現代文庫)と講談社学術文庫の『北一輝論』読了。それにけっこうの昼寝。飛行機なら一時間余のフライトじゃ新聞も読み終わらぬ。だから列車の旅はいい。夕食も供されるのかしら、と思っていたら日暮れ前にパンケーキと珈琲。これで最後らしい。19:45分着が一時間ちかく遅れ八時半すぎにチェンマイ着。タクシーがほとんど存在しないチェンマイゆゑフィリピンのジープニーに似たソンテウで市の繁華街にあるDuangtawan Hotelに投宿。急いで荷物片づけ観光客の多い繁華街に出るとばったり、97年頃に香港に住んでいたO氏家族に遭遇。8月にはバンコクでやはり同じ頃に香港にいた現在は八王子在住の独逸人H氏夫妻に遭遇している。偶然とはいえ驚くばかり。アヌサン市場のフードコートで簡単に遅い夕食。こんな内陸なのに「海鮮」を売り物にする料理屋が多いのって何だろう。ホテルの部屋は一部の階だけワイヤレスLANの架設済んだそうだがロビーはワイヤレスLANあります、でそこでネット接続。
▼23日の信報、林行止専欄で林氏が11月に福岡で大相撲九州場所見物の話あり。林氏の相撲好きは五月にこの専欄で勝敗の星数について経済学者らしい統計学で見事な分析を見せていたが(確かこの日剰でも紹介)今回の文章で驚いたのは林氏ともあろう人が相撲の起源は「我国古已有之!」と我が国=中国にあり、と誇らしげ。長安の客雀荘の戦国時代の古墳墓からの出土品や敦煌290窟の壁画にも相撲の絵図があるそうな。そりゃそうであろう。相撲はモンゴルだの大陸の大草原が発祥のはず。それが日本に伝わっているのだから中国の古来の絵にモンゴル相撲が描かれておらぬほうが不思議。それがなぜ「我が国」と林氏ともあろう人が偏狭なナショナリズムに陥るのか。悲しいかぎり。
▼『問題な日本語』の著者で辞書『明鏡国語辞典』の編者である北原保雄氏が文藝春秋12月号に日本語の言葉の乱れについて書いている。一つ気になったのは「〜させていただきます」は相手の許容のもとに自分が何らかの行為をする場合の表現で結婚式の招待状が届いた時に「出席させていただきます」と返事するのはいいが伝統芸能の世界にいる人が名跡の継承を発表する記者会見で「襲名させていただきます」と話すのはおかしい、と指摘している。なにも先代やファンが命令して襲名したわけぢゃないのだから「させる」を使うのは間違っている、と。確かにそう思えなくもないが歌舞伎でいえば「襲名させていただきます」は松竹の永山武臣会長のお力添えとご許可を得て、であるから意味に間違いはない。役者の襲名披露でもっとも醜いと思うのは口上で役者が「永山会長はじめ皆々様の……」と礼を述べることだと思う。役者が舞台上から客席に向かって芝居の胴元に向かって礼を述べるという破廉恥ぶり。
▼同じ文藝春秋に湯澤貞という靖国神社宮司だった人が「総理、靖国参拝は正々堂々と」という一文を寄せている。書いていることなど読まずにわかろう気もするがいくつか印象深い記述あり。まずは非礼なる参拝で済ませた中曽根大勲位への苦言。そして靖国参拝というと815の終戦記念日ばかり話題になるが、この日は神道(つまり国家神道)も祭礼に何もない日であり靖国神社戦没者の慰霊は春と秋の例大祭が主。であるから首相も本来であれば終戦記念日ではなく例大祭に参拝すべき、と。そこまでは「そういうものか」だがこの前宮司は8月15日について「八月十五日は「終戦記念日」とされてますが、正しくは天皇陛下が「交戦停止を命じられた日」であります。そんな悲しい日にお参りしていただきたいとは神社は考えておりません」ときっぱり。この一言に靖国の体質が明確に表れていよう。日本は戦争に負けたのではなく(相手が侵略してきて宮城を選挙し米国旗でも立てれば敗戦だったのかもしれない)あくまで天皇が「戦争を止めますよ」と述べただけで、つまり戦争に負けていないこと。そしてそれが悲しい日であること。それは戦争で命を失った多くの兵隊が「勝つため」に戦ったのだから、悲しい、と。ここに矛盾あり。悲しいのは勝てなかった=負けたから、なのに。
▼もう一つ同じ文藝春秋に中曽根大勲位と森さんが自民党結党五十年で座談会で語っているのだが、中曽根大勲位が最後に改憲に触れ「立党50周年式典でいよいよ自民党憲法改正最終草案が示される。将来日本に静かな革命を起こし、いずれ明治憲法昭和憲法、平成憲法と受け継がれて……」と大勲位憲法改正を威勢よく述べるのは当然だが(それにしても小泉三世により無礼にも引退させられたことをどう考えているのだろうか)、それに続き「五年後くらいに第三維新を引き起こす原動力になります」と締めくくる。第三維新っていったい何だろう。考えただけでぞっとする。第三維新が起きたとしたら国籍離脱くらいしか逃げようはないのだろうか。南無阿弥。もしこの時代に北一輝がいたら、この事態をどう語るだろうか。で松本健一の『北一輝論』だが北一輝の生まれた佐渡で明治三十年代に佐渡新聞と佐渡毎日新聞という二大地方紙が革新と保守で論戦を張っていたり佐渡中学で当時の欧州の最先端の政治論が語られていたり、そういう環境から北一輝も育つのだが、今日など情報など進歩して……といっても人間の思考力や判断力という意味では百年前から進歩しているのかどうか。それにしても松本健一の著作はどうも読むのが苦手だ。北一輝のことより松本健一という人の思考が私にはよくわからない。戦後民主主義は幻、と言い切っておいて最後に「わたしたちは<大日本帝国>の解体をめざさねばならないであろう。それが八・一五に革命があったと錯覚した日本人の末裔に科せられた枷である。枷からいつ解き放たれるかはわかならい。囚われたまま彷徨はつづく」と述べる。大日本帝国は解体しなさい、でも戦後民主主義は幻だ、で、それぢゃ日本では真の市民革命は具体的にどうするのか?など松本先生は語っていない、と思う。そこで竹内好などとても大切になるはずだが『竹内好論』で「戦後民主主義民族主義との対決を回避するのは、その進歩史観によってばかりでなく、戦後民主主義に「戦争責任の自覚」が不足しているからでもある。それが自覚されていれば、民族主義の否定を通じて、それとの矛盾的自己同一をはたさねばならぬのに、事実はそうなっていない」としている、これあたりがその回答に近い部分なのかもしれないが、あくまでこれも竹内好の思考。その竹内好の文章の孫引きになるが(竹内好「中国の近代と日本の近代」より)
ヨオロッパと東洋とは、対立概念である。近代的なものと封建的なものが対立概念であるように(中略)東洋には、本来にはヨオロッパを理解する能力がないばかりでなく、東洋を理解する能力もない。東洋を理解し、東洋を実現したのは、ヨオロッパにおいてあるヨオロッパ的なものであった。
これは(以下、松本健一からの引用)アジアという概念がヨーロッパ=近代との対抗によって生み出されたために、それじたいとしてはアプリオリに自立しえない事態を指摘したもので、アジアはヨーロッパに対抗する抵抗において、はじめてアジアたりうる、と、その抵抗を戦ったのが魯迅であり、その抵抗が日本にはない、と。これは竹内好に言わせれば、日本があれほど急速に近代化をなしえたのは、ヨーロッパ近代に対する抵抗がなかったこと、であり、「抵抗を放棄した優秀さ、進歩性のゆえに、抵抗を放棄しなかった他の東洋諸国が、後進的に見える」(竹内)のである、と。松本健一は「この日本から鴎外は生まれるが、魯迅のような人間は生まれぬ。生まれぬだけでなく、かれを理解することさえできぬだろう」と言い放つ。こう言い放ってしまい救済してくれないのが松本健一らしいが。……ちなみに今日の読売新聞に内閣府の調査結果で「中国に親しみを感じる」人が調査開始以来、最低の20数%、とか記事があった。読売はそれを中国での反日運動などが影響、としているが当然「対中感情においての小泉三世の効用」など読売だから言及はしない。北一輝竹内好、さらに中江兆民でも橘撲でも岡崎嘉平太でも、そういう先達がいた日本が今では、この無思想な短絡的な「っていうか、中国に親しみって感じないじゃないですかぁ」だ。

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