富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-12-17

十二月十七日(土)半生で未だ経験したことなき激しい金縛りに遭ふ。呼吸も困難な程。だが不思議は金縛りより解かれた瞬間に深き眠りに陥り金縛りも夢か現か。快晴。昨晩遅くまで「抗議世貿!」のデモの様子をば実況中継見て睡眠不足。だが六時半には起きてしまふ。雑事片づけZ嬢と地下鉄で坑口。ミニバスで西貢。新界タクシー雇い北潭涌より萬宜水庫を眺めなたらMacLehoseはSection-1の終点。萬宜ダム。「観光放水はないのかしら?」とZ嬢。昨晩のNHK「釣瓶の家族に乾杯」を見た人にしかわからぬ話。ダム手前の小高い石崗を越え岬の先のTwin Cavesを目指す。岬のむこうの破邊州(Po Pin Chau)との間が断崖絶壁の奇景。この絶壁の下に二つの洞窟がありTwin Cavesと云われる。で岬先に向け稜線を進むが左右に急崖で眼下に海。海抜50mくらいか。足が竦む。折からの強い風。生きた心地せず。此処でお昼でも、というZ嬢を説得しすぐに撤収。花山(209m)をまいて多少の薮漕ぎが続き白?仔という石のゴロゴロした狭い海岸。今日は我々の他に四人のパーティが遠くを歩いていた以外、誰にも遭遇せず。少し山あいを抜けて白?という小さな集落。桃源郷の如く長閑。白?湾の海岸は白い砂に青い海。客など誰もおらぬのに小さな売店に主人が四匹の犬と暮す。犬が海岸で遊ぶのみ。峠を越えて糧船湾の東Y(Tung A)の漁村。魚の養殖が盛ん。海鮮料理屋もあり「食事していきな」と誘われるが昼に小さなおにぎり食しただけの午後二時。此処でのんびりも快適だが晩の予定まで考えるとゆっくりしておれず。糧船湾の公立小学校は窓から覗くと教室の掲示板などまだ昨日まで使っていたように掲示もきれい。だが教室に机と椅子はない。掲示には2003年の政府ポスター。去年か今年の9月から廃校になったばかりの様子。この小学校、教員が西貢から船に乗せられ付近の漁村をまわり生徒を拾い学校に向かう光景を数年前にテレビで見た記憶あり。郊外で廃校になった小学校を見ることほど忍びなきものはない。こうして郊外の学校がどんどん廃校となり人口が市街地に集中。人はみなそれで幸せになっているのかどうか。この糧船湾は英語名はHigh Islandと云う。かつての漢名も高洲と。島。今では面影もないが萬宜ダムが60年代に建造されるまで此のあたりは島が連なる。それを埋立て繋げてのダム完成。萬宜ダムに向けて谷間を歩くが、そこが数十年前までは海であったとは思えぬほど樹木密生。萬宜ダムに沿った道に出るが此処から北潭涌まで6km歩くのはいいが時間がかなり切迫すると思っていると運良くタクシーが通り一路、西貢。The Duke of Yorkで麦酒一杯。晩に常客らによるライブがあるようで準備始まる。いつも店に寛ぐ青年に目礼される。一見の客からは少し出世か。さすがに小腹空いて文仔記で雲呑麺。ミニバスで爆睡のうちに坑口。地下鉄で香港島。ジムに一浴し帰宅。湾仔でのデモと抗議活動は高揚し機動隊との小競り合いも多少だが過激化。デモ隊は指定の路線から突出してHennessy Rdに押し寄せGloucester Rdも高架道を通らぬデモ隊が横断し始め自動車が渋滞し始める。一発触発。晩に北角の寿司加藤にてランニングクラブの幹事会の予定で北角なら渋滞も大丈夫か?と心配しながらタクシーに乗るとEastern Highwayにて白バイが背後から急接近して参り余の乗ったタクシーに減速を指示。速度違反?と運転手も一瞬焦ったが他の車線の車にも減速を求め何かと思えば北角以西は通行止めの措置。全ての車両が北角での一般道への迂回。迂回したところでKing's Roadも銅鑼湾ではHennessy Rdにつながり通行不能では渋滞も北角に至るも易しく香港島を西に向かう車が北角からBraemer Hillへと渋滞。ハッピーバレーの山あいからピークを経由して中環に下りる以外、銅鑼湾から湾仔を抜けず西に向かう方策はない。難儀だろう。ホンハムからの海底トンネルも通行止め、とラジオが伝える。北角の市街でタクシーを乗り捨て歩いて寿司加藤。一時間ほど打ち合せして納め会。それなりに食すがラーメンの話題となりN嬢とも「あの日系ラーメン屋は不味くなった」と或る店の評価は合意。ラーメンの話をしておれば自然とラーメンが食したくなり6名でその足で北角の「札幌」に向かい二人で一つずつくらいで軽くラーメン。帰宅。湾仔のデモ現場では警察は胡椒スプレーに加え催涙弾も用いて事態沈静化。抗議団体はGloucester Rdの道路に座り込み機動隊と対峙しての膠着状態が夜中まで続く。地下鉄は湾仔駅が閉鎖され地下鉄電車は湾仔駅は不停で通過措置。夜中まで現場中継をテレビニュースで見る。日刊ベリタに記事送稿(こちら)。
http://berita.jp/read.cgi?id=200512180226090
▼米国で今更驚かぬが9-11からテロ対策を理由に国家安全保障局大統領令により令状なしで国際電話やメールなどの通信傍受。ブッシュが「きわめて重要な手段だ」と述べ事実関係を認める。米国の自由を守るために国民の自由を妨害。この国が世界の自由と民主主義を守るために、と何かと物騒な災い齎す。恐ろしき限り。その暴力団で若頭的な立場と浮れ手を貸す小国にもまた呆れるばかり。
南座の顔見世に参ったのは久が原のT君。「山城屋」という屋号ですか、坂田藤十郎の襲名興行。新作同然の「夕霧名残の正月」で京屋夕霧亡霊が絶品、とT君。彼は正月の女暫から今月の夕霧まで(博多座は休演)今年の雀右衛門を全部見たが先月の相模を筆頭に京屋の心と形の見事さを嘆く(「嘆く」は悪しき意味に非ず)。ところで藤十郎の興行で扇千景参議院議長閣下が御自ら番頭机にお立ち、だとか。上院議長が芝居小屋のロビーに立ちご贔屓に接待する国家は他にあるまひ。
▼そのT君から吉田秀和先生に関する嬉しい知らせ。毎日曜日朝のNHK-FMで放送の「名曲の楽しみ」。最近ないので吉田秀和翁いよいよ引退と思えば何のことはない、土曜日夜9時に出世移転して放送中。翁の口調、変わらずの好調。最近御当人に会った人の言では「足腰以外は全然衰えておらず、お元気至極」で毎週の如く水戸にも芸術館に通ふそうな。耳も口も頭も壮者をしのぐ回転に脱帽。……とすると気になるのは何故に朝日新聞の名物連載「音楽展望」が停ったままなのか。翁は愛妻を失い心労ひどく、とおっしゃっているが他での活躍を考えると朝日新聞との間に何かあったのか?とすら猜ってもいいのかどうか。朝日では吉田先生と加藤周一先生はもはや編集者の誰もご進講できぬほどの格の大上段。朝日の方針がどう右に舵をとろうと両先生の往年のリベラリズムの真骨頂。「そろそろご引退を」と誘えぬところが大勲位からヨーダ宮澤までをも追い出した小泉自民党との違い。のはずであったが吉田先生は連載暫停からすでに二年。

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