富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-12-15

十二月十五日(木)晴。朝は気温摂氏12度。凍てつく寒さ。早晩に三晩続けてFCCの酒場。ハイボール二杯。WTO関係の報道多く経済など門外漢で新聞読むにも楽しいがかなり時間要す。韓国の友人らの抗議活動続く。湾仔のLockhart Rdを五体投地に似た三歩一跪(三歩歩く毎に一度ずつ地に跪き垂頭する)し馬師道の陸橋越え抗議活動の最前線まで進む苦行。到達して涙ぐむ姿。13日には多少憤りを姿勢に示し昨日はトラムや地下鉄での移動で愛嬌を見せ、そして今日の宗教者の如き様。事前宣伝でかなり怖がられた「怒れる韓国人」は日に日に香港の我々の間に深い印象を与えている。抗議活動での<礼節>である。蘋果日報に陶傑氏の「血肉盛世」という随筆読みあまりの筆致にただ言葉もなし。日本語に訳したいが、この文章の勢いを日本語にする力量は我になし。陶傑氏については十数年ぶりに香港に戻った倪匡氏が(倪匡については本日の日剰の最も最後に紹介あり)香港のエッセイで今、最も冴えている、と讃めた上で自分の文章が陶傑の次にもってこられることも致し方ない、と絶賛。晩飯におでん。子どもの頃から冬のおでんは大好物であったが、おでんの皿にべとりとした辛子。美味いが辛子の強烈さがおでんの具や出汁の旨味を壊してしまう嫌いもあり。先日ふと大分の柚子胡椒を薬味にしてみると辛子よりずっとおでんに合う。これがお気に入り。大分の物産展で入手の柚子胡椒ゆえ大切に使う。大河ドラマ義経』の最終回を見る。「弁慶の立ち往生」はおそらく人形であるということと義経自害の持仏堂の屋根から白く輝く光の演出については噂で聞いていたので覚悟はできていたが、確かに……チャチ。大河ドラマを一年きちんと見たことなど四半世紀ぶりだが、この『義経』は当初から希望の「新しき国」がかつての社会党の国家像の如く具体性がないこと、そして松山のS君が指摘していたが、それぢゃ頼朝の描く国家像と義経の「新しき国」がどう違うのか、この二人の葛藤の不明瞭など、問題点少なからず。余にとって最も不思議は、このドラマでの頼朝に(中井貴一は上手く演じてはいたが)武士(もののふ)をあそこまで引き寄せる魅力がどうも見出せず。ドラマのなかでどんどん表情から喜怒哀楽が乏しくなってゆく頼朝が最後、仏壇を前に九郎義経に自分を恨むがよい、と涙する場面の中井貴一の渾身の演技。日刊ベリタに韓国のデモ隊の礼節について送稿(こちら)。
朝日新聞一面に「1本取られ温首相苦笑い」とあり小泉三世と温君の笑顔の写真に何事かと思えば東アジアサミットの首脳宣言署名式にて小泉三世、目の前のペンを取らずに隣の温首相の筆ペンを取って署名。それに温首相が苦笑い、と。小泉三世の彼なりの彼らしさ。中国の用いた毛筆を借りて、のパフォーマンスに緊張する日中関係で「小泉さんもなかなかやるな」と、民主党前原某に比べれば小泉三世の外交上手さ、にすら映るか……。写真というのは報道で、ほんとうに印象づけには格好。朝日では温&小泉だけの写真だが蘋果日報では向かって左にマレーシアのアブドゥラ首相の姿あり。事実は突然の小泉三世の毛筆借用の求めに温君がその意を酌めず議長国のアブドゥラ君が二人の間に入り温君に小泉三世の意を伝え温君がそれに応じて小泉三世が毛筆借用、に至った様子。朝日は「温首相苦笑い」だが蘋果日報は「小泉借筆、温総微笑」と小泉と呼び捨てにせよ温首相は「微笑み」と。それがSCMP紙では“Mr Wen also broke into a big smile”である。事実がかなり異なるのは信報の報道。信報によれば「緊張が解れたのは小泉のもったペンが書けない時だった。その時、温家宝がマレーシアのアブドゥラ首相から回されてきていたペンを小泉に渡したのだ。結果、その場に居合わせた記者の笑い声と喝采が起きた」と。報道のちょとしたアングルやニュアンスの違いで事実はいかにでも報じられる。その映像は見ておらぬが、小泉三世の机上にはペンはあったが温家宝君が毛筆を用いるのを見て小泉三世なりに日本も毛筆を使うことの演出を意識したのか敢えて温君からそれを借用して日中友好の姿勢を彼なりに見せようとした、が一瞬、意思が通じず、傍らで見ていたマレーシア首相が助け船を出して、議長国の首相の取りなしで温君の緊張も解れて一瞬、和やかなムードに、なのだろうか。
▼毎週木曜日発行の小泉内閣メールマガジンは小泉三世がKL滞在中でもきちんと本人の言葉にて「第一回東アジアサミットに出席しました」で始まる周到さ。見事。
日本とアセアン10カ国との会談の際に、何人かの首脳から日本と中国との関係を心配する声がありました。私は、「日本の国と日本国民は、戦後60年の間、二度と戦争を起こしてはならないという強い思いを胸に、平和のうちに発展をとげ、世界の平和と発展のために力を尽くしてきた。『靖国』という一つの問題について考えが異なるからといって、首脳会談を行わないという考えは理解できない。私は日中友好論者であり、いつでも中国の首脳と会う用意がある。」ということをていねいに説明しました。
と小泉三世。この気持ちは素直であろう。だが素直は政治、外交でけして大切ではない。小泉三世の最も大きな誤解は「靖国」を日中関係の中での「一つの問題」と片づけること。日中貿易で紹興酒の関税だのアルコール税について、なら「一つの問題」と割り切って包括的に日中友好も出来よう。しかし日本の中国侵略の元凶(とされている)A級戦犯が神として祀られる軍国主義施設に日本の首相が参拝することは、けして「一つの問題」と割り切れず。百の問題をも凌ぐ一大問題なり。それほど簡単なことが理解できず。間違っても「中国相手に堂々とした姿勢を見せる小泉さん」などと思ってはいけない。この中国相手に堂々した姿勢、と思うことぢたい実は中国=大国という阿Q根性の裏返しにすぎず。
朝日新聞の、すでに旧聞に属すかも知れぬがNHKの番組改編報道について。知己の内部関係者からのいくつかの情報を整理すると、内部では管理職級では「あの報道じたい第一報を取り消すべきでは」という意見もあり。さすがにこれは見送られたが今後はこういった「メディアと政治」はほぼタブー。最も憂慮されるのは番組改編の問題で叩いてしまった安倍晋三君が首相となった場合。その機嫌を損ねては(すでに損ねているが)社としては社運かかる大問題。今後は自制の姿勢見せて安倍君らに「朝日もだいぶ……」と再評価してもらうのが得策。敗北主義だが。とても「危険な安倍首相」実現阻止などとは報道できるはずもなし。具体的には社会部は人権、平和、核軍縮、民族、差別などの問題から手を引き、警察検察・官公庁、都庁という純粋の事件事故報道と行政取材に特化とか。もはや「朝日新聞=リベラル」というイメージは所詮商標か。番組改編報道を契機として今回の「解体的出直し」を奇貨として、少しはましな方向に揺り戻しがあるかとささやかに期待も内部にはあったが、寧ろ逆の方向に角度がついた模様。所詮はブルジョワ新聞、とは言え朝日が確信犯的に改憲集団的自衛権を是認し右に舵を切れば戦前の翼賛体制の図式の再現以外の何ものでもなし。
▼ここ数日、俄然注目の前原民主党鳩山幹事長は前原代表庇い「いろいろと評価が分かれる部分はあると思うが、代表の存在感が高まったの事実だ」と(笑)。誉め殺しか、単なる皮肉か揶揄か。偉い人と会うために中国に行って偉い人に会えなかったのに会えなかったことが話題になったので「存在感」とは築地のH君曰く「便所の電球が切れたので初めて便所の電灯の存在感を意識したようなもの」と(笑)。党幹事長が党代表について「評価は分かれる」と言っちゃぁおしめーよ、だ。中国共産党なら即刻、粛清。だが一方では鳩山君は「前原体制はまだまだ若い」と批判(産経新聞)。これは前原君が同党の五島正規衆院議員の政策秘書による買収事件につき早々と議員辞職を要求する考えを示したことを念頭に鳩山君が「あまりにも正直すぎて、まだ言うべきでないことを
、もうしゃべってしまったのかということがあるようだ」と苦言を呈したもの。また先の代表選挙では「私が『菅直人』と書いたことを知っていながら、前原
代表は私を幹事長にした」とのエピソードまで紹介。「信頼できる」と持ち上げてもみせたが「偉大なイエスマン」こと武部勤自民党幹事長とは対照的な「物言う幹事長」をアピールしたかった?と産経新聞。鳩山君が実は政敵の菅君に投票してまで前原阻止で、その鳩山君を前原某が取込みとは。で最近あまり姿を見ぬ菅君は、と言えば今月初旬には羅馬で 「アジアと欧州民主党間対話会議」で世界の中道左派政党を集めた「デモクラッツ・インターナショナル」結成を提案(読売新聞)。現在の民主党はとても「中道左派政党」とはいえず。だが議会に「中道左派政党」が存在せぬのは非文明国。築地のH君はこれは「鹿鳴館がありダンスが踊れるかどうか、くらい国の面子にかかわる」こと、と。御意。第1次の民主党結党の頃は菅君はっきりと「センターレフトをめざす」と主張。それが民社党だの松下政経塾だの流入して今日の有り様。初心に返るべき。
▼今日のFT紙の一面トップは“BoJ urged to agree GDP tie-up”と日銀がこれまで日銀独自に決定していた金融対策が、今後は政府・自民党の意向を受けたものになることを指摘(ネット上では見出しは違うが記事は一緒のこちら)。(日経を含め日本の新聞でこの記事に見あう報道がないのだが)小泉自民党政府(もはやこの三位一体!)は外務省などかつては大臣すら寧ろ指導する立場にすらあった強力官庁をば指導下に納めた上に、それなりに自主性を有していた日銀の金融政策まで操縦可。残るは司法くらい。
▼最近あまり話題にもせずにいたが蔡瀾先生の蘋果日報の随筆。中共を嫌い米国は桑港に旅居続けた香港の往年のSF作家・倪匡が香港に一カ月戻り滞在したことで倪匡氏とは親仲の蔡瀾氏がその歓待をば続け倪匡といえば蔡瀾氏の随筆では倪匡との電話での雑談で随筆を何本も書いてしまうわけで、その倪匡が来港とあらば蔡瀾の随筆が連日そのネタになることは明らか。事実、その通り(笑)。毎日、倪匡ネタを読まされると飽きるのは事実。だが時々やはり蔡瀾氏の類い稀な、あの大らかな性格ゆえの面白さもあり。今日のネタは健忘症。記憶力の確かさは何といっても金庸先生。そして倪匡。三番目に馴染のお粥屋の女将、と紹介して、寄る年波に蔡瀾氏も健忘がひどいが、健忘に良さもあり、と。蔡瀾氏のマンション、屋上があるが雨漏りひどく何度も修理でも直らず。絶対に直せるという業者にHK$10万以上かけて修理依頼したが再び雨漏りの上に蔡瀾所有の幾幅もの字画の掛け軸まで台無しに。この修理業者をば殺したいほどだが数日してこの業者に遭遇した時に相手が誰だったか思い出せず名前を尋ねて思い出したほど、と。くすっと面白い。が随筆家が「老い」をネタに書き始めた随筆はあまり好きになれぬ。

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