富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-12-14

十二月十四日(水)曇。摂氏14度。極寒。早晩にFCCにてハイボール二杯。韓国からの友人らの反WTO抗議活動が今日も続く。日本のメディアではあまり取り上げられず、せいぜいデモ報道のベタ記事(日経)。かと思えば「抗議活動が激化」といささか勇み足の網上新聞「WTO抗議で大衝突、けが9人心臓発作2人」もあり(サーチナ・中国情報局)。かと思えばWTO会議開催は「香港経済に恩恵」という政府広報のような報道もあり(NNA)。よくわからんで日刊ベリタに今回のWTO会議の焦点と、その抗議活動の状況についての2本の記事送稿。晩の映画鑑賞まで少し時間あり中環IFC地区に開業のFour Seasons Hotel訪れる。ChicといえばChicだが暗いといえば暗く華がない。G階にバーがあったが六本木ヒルズの如くバブルっぽくて敬遠。IFCのショッピングアーケードを回遊するが元来ふらふらとウィンドーショッピングというのが嫌いなので時間持て余し星巴珈琲で時間潰す。Z嬢と待ち合せIFCの映画館でFrancois Ozon監督の“Le Temps Qui Reste”(いつになるかわからぬが日本公開ではナイスな邦題期待!)観る。今月初めの香港でのフランス映画祭で先行の看板上映。先週から3館で放映始まったが早くも明日からはかなり上映縮小が決り慌てる。来年5月にシネシャンテ系での日本公開の前なのであらすじの紹介は(こちら)
パリに住むカメラマンのロマン。自分は不治の病で余命数ヶ月と知った。彼は残された時間を家族との関係の修復や、自分の子作りにあて、誰にも知られずに後悔のない時間を過ごそうとする。この秘密を唯一知るのは祖母だけだった……。
に留めるが、不時の病で余命幾許か……は映画ではよくある筋だし個人的にもあまり好まぬ。それをどう描くか、何をどうテーマにするか、がフランソワ=オゾンであるし、じっくり時間をかけて不治の病になったカメラマンをMelvil Poupaudが見事に演じきって祖母役のJeanne Moreauも素敵だ。これがちょっとした肛交シーンゆへに成人映画指定。日本では修正必至。全体の美しいフィロソフィーとして一切の修正も偏見も要らぬのだが。オゾン監督であるから、の筋立てとモチーフの見事さは除けば、全体の演出の雰囲気や音楽など、かつてのATG映画の雰囲気あり。商業映画だが芸術志向でパッとせず途中で客が何人か席をたつのも往年のATGっぽい鴨。シネシャンテなら耽美的に、それなりに評判になろう。ついつい書いてしまうのでこの程度に留めよう。香港はこうして海外作品の上映が早く(日本より半年は早い)而も無修正なのは嬉しい限り。シンガポールや上海がいくら国際都市化しても香港のこの魅力には欠ける。映画終わり遅い晩飯だがIFCで何か食すほど陽気さは持ち合わせず寒風のなかFCCに参りダインで赤葡萄酒と愛蘭風シチュー。帰宅。WTO閣僚会議について日本の報道はさっぱりだがIHT紙に掲載される紐育時報の豊富な記事を読み報道の分析度の違い痛感。倫敦の金融時報FCCでただコピーをもらって帰ったが要領よくまとめている。ホンダが製作のロボットが「走った」ことも将来の世界に大きな影響与えるだろうが……。普段読まないが意外と捨てておけないのは香港のThe Standard紙。FCCで面識を得てWTOのデモ現場でも立ち話する記者氏を中心にしたWTOの現場報道はSCMP紙より格段充実。またWTO会議に合わせ来港中の経済学者Joseph Stinglitz氏のインタビューもタブロイド版2面割いての力量。大したもの。寝際に熟読。
▼香港鼠楽園が13日に「まさか」の満員御礼。突然の吉事に入場者数などけして公開せずにきた鼠楽園側も大喜びでプレスリリース(笑)。13日は香港で千校が休校、湾仔や銅鑼湾中心に臨時休業の商売も多く市街の混乱も予想され、の鼠楽園への物見遊山決め込む市民少なからず。また中国内地から観光の田舎漢もお目当ての湾仔は金紫荊広場はWTO会議会場の傍らでは厳重立ち入り禁止。これら田舎漢もしぶしぶ鼠楽園遊蕩の日となり鼠楽園は棚牡丹で思わぬ集客得る。がこれも悲しいかな僅か一日のこと。明日からはまた凍土の冬が続く。これまで入場日指定であった入場券は平日に限り新年から半年有効に利用幅拡大とか。鼠が水面に溺れ?くさま眺めるも忍びなし。
ウォーラーステインの本から、と築地のH君より。9-11を契機に米国の覇権は崩壊局面に入り「自由と民主主義の擁護者」という政治的な信用をほぼ失い軍事的な支配力に頼ることになったことで経済的には他の二極(西欧と日本)に遅れをとるしかない、と。殊に日本が中国とパートナーシップを結べば日中同盟は米国にかわる世界の覇権国家となることも可能だそうで、米国が最も恐れるのはその事態。小泉三世や安倍君は日中の離反という米国の国益に最も忠実だ、ということ。だがそこに突然登場の威勢のいい若衆が「こともあろうに野党党首の」前原某。読売は社説で絶賛(こちら)「ヨシ、俺はもっと米国にとって有益だぞ」と気負いこんだ結果の勇み足。日中が軍事的に対峙するような事態になっては米国にとってもコストがかかりすぎる。そこまでは望まず。シーレーンなど語る時の前原君のうるうるした視線。石破君ほどぢゃないが近いものあり。もっとマクロな政治経済の力学を考えるのが政治家。小泉三世の場合、少なくとも軍事オタクでもない分、余計なことは考えないところが良い?のか。奇人変人と嗤われた小泉三世よりさらに不思議な新人類現れ相対的に小泉三世が真っ当に見えるとは。世も不思議。
魯迅も留学の歴史ある仙台市で長町地区の再開発で計画された「中華街」構想に市長が慎重な姿勢(河北新報)。中国の投資グループ「中瑞財団」の投資による商業ビル内の中華街構想に藤井黎前市長時代は推進に協力的な姿勢だったが新任の梅原克彦市長は一転、慎重な考え。複数の市議は「市長の思想、信条も少なからず影響している」と指摘。消極的な梅原市長の見解を聞いた市議もあり。中華街構想に消極的な「市長の思想、信条」とは何か。つまり中国、中国人が嫌い、か。中国からのギャングや愚連隊が鳩る不法地帯でも想像したか。そりゃ中華街ぢゃなくて歌舞伎町。仙台市役所の目の前が国分町。仙台といえば日中友好の象徴といっても過言でなき都市。なのに市長に自覚がぜんぜんない。市長がみずからの主義主張で傲慢になったのはやはり石原以後か。小泉三世も靖国参拝は「精神の自由」の範疇だろうが行政の責任者が個人の好みで政策判断するのは憲法上の自由の問題とは明らかに異なる。小学校の教員でさえ国旗国歌に起立斉唱せぬのは思想信条の自由ではなく公務員の服務規程に反するとかいわれてるのに。つまり地位があがり責任が増すほどに好き嫌いが言える、と築地のH君が。御意。自分勝手にできる、これが本当の「地方自治」だ(笑)。それにしても根本的な責任は石原君ではなく「石原でも都知事ができる」と思わせてしまった青島という前任者にあり。国政では細川という殿様にあり。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/