富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-12-10

十二月十日(土)読売新聞の号外。いつも見る前に「何が起きたのか」と緊張するが前回の巨人軍監督に原某が就任だったので今回は何かと思えば06年独W杯組み合わせ決定(読売号外)。昼すぎZ嬢とShau Kei 湾(Shauは「竹」冠に「肖」、Keiは同じく「竹」冠に「其」と綴る)東大街の安利魚蛋粉麺に食す。美味い食肆並ぶ東大街にあつて最も評判の潮州系にて魚蛋の他、牛肋肉も美味。この市街の市場の果物屋台で飼われていた子豚は不在。可愛かった、と過去形で言えばZ嬢に未だ死んだわけではないと窘められる。Royal Asiatic Society香港支部の歴史探訪。今回は香港の道教寺院をくまなく調査するK氏のTemples in Hong Kongなる本上梓されK氏自身がShau Kei Wanでガイド役。まずはトラム終点に位置する皇城廟。東大街を北上し天后廟、譚公廟から玉皇廟と回る。東大街の雑貨屋はかつてこの当たりが漁村であつたこと彷彿させる漁獲用具も店頭に並ぶ。阿公岩(A Kung Ngam)のあたりにはいくつかバラックの集落が残るが構造的には香港のこのテの簡易住宅は重層構造。リゾーム的に住宅が繁殖したが如くつながる。玉皇廟で散会。Z嬢と阿公岩に向かうとかつて細々と採石の続いた巨大な阿公岩は巨大な工事現場と化し採石の上急崖をコンクリートで埋め造地が続く。Z嬢と別れ独り愛秩序湾(不快なる地名!、英語はAldrich Bay)の沿岸の散歩道を小西湾に向かう。湾岸の嘉亨湾(Ground Promenade)なる高級マンションもほぼ完成。政府高官が民間の土地デベロッパーに対してこの売却にて便宜計りバスターミナル用地まで提供してしまい隠蔽率から高さ制限まで緩和の便宜と「話題」のマンション。香港電影資料館にてジャン=コクトーの映画上映あり。早晩にまず「詩人の血」鑑賞。ただただ1930年のこの創造に75年後の我々がため息。若い頃に仙台で同作を見た頃はビジュアル的にこの映画にかなり影響受けたつもりが老いて(コクトーがこの映画制作の齢も過ぎれば)今これを観れば殊更そのコクトーの「心地」とでも言えばいいか、それの洗礼受ける。電影資料館出てパイプに火をつけ燻らす。ハンチングの帽子にパイプではただの巴里気取りと笑われる鴨。映画終わりすでに日暮れた小西湾の茶餐庁に晩飯済ます。公園は暗く独り居場所もなく電影資料館に戻り狭い休憩所にて難民の如く「オルフェ」の上映待つ。「オルフェ」は死ぬまでにあと何度でも観たい、余の最も好む映画作品の一つ。その一場面、一場面に何度もはっとして瞬きも厭ふほど。解釈はいくらでもあるシュルリアリズム映画であろうがジャン=マレーとマリア=カザレスをどう撮れば最も美しく見せられるか、に焦点を絞った映画と理解するのが順当かしら。明日の競馬に来港中の旧知の斎藤さんに電話。他人のことをあまり書いてはいけないが須田鷹雄さんやいなご社長らと「太子で海鮮を食している」らしい。旺角ならまだわかるが太子(Prince Edward)でMTRを降りて食すというのは山手線で「田端で降りて食事にしよう」と言うようなもの。面白い人たち。晩遅く尖沙咀ハイアットリージェンシーで斎藤さんらと再会。今月末で取り壊しとなる、このホテルのChin Chin Barにて一飲。サンミゲル二杯。放送作家の村上さん来港。他人の旅程を勝手に書いてはいけないが「ご苦労様です」と敬服のルーティングでチケッティングして来港。さすが。最高の面子でもっと話したいが地下鉄の時間もありジョッキークラブのプレス指定の湾仔のお宿が今年はWTO閣僚会議の会場の最も近い場所で警戒も厳しく斎藤さんの帰宿懸念しお開き。斎藤さんと地下鉄で戻る。斎藤さんから石川喬司先生がこの日剰を読まれてと聞く。有難し。湾仔で斎藤さん下車し独りになり銅鑼湾で終電なのに「つい」途中下車。バーS。Mortlachの16年物を少しの水で割り一杯。「余市」のハイボール一杯。客の途絶えた時間で亭主M氏と久々にバー談義。深酒にはならずきちんと二杯だけで深更帰宅。
文藝春秋一月号の巻頭随筆に猪口孝教授(中央大学)の「大臣を妻にもって」という文章あり。「どうしてあのドレスを選んだ」についに答えるか、ドレスにアイロンかける心境を期待したが、007の映画の話から大臣を妻にもっての話に至る。何を書きたいのかよくわからず。

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