富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-12-09

十二月九日(金)晴。来週のWTO閣僚会議開催に向け湾仔中心に市街は厳戒体制。会場周辺は銀行など営業停止、自動車ディーラーなど投石等でのガラス破壊恐れ、コンビニからはコカコーラなど瓶入り飲料撤去され、ゴミ箱撤去からあちこちにバリケード壁設置される。ここまでしないと貿易自由化は出来ぬか。香港中央図書館G階はは参加公認のNGOやプレスのAccreditation Centreとなるが其処も厳重な警戒ぶり。養和病院骨科にて左手突き指につきW医師の診断受ける。まだ完治せぬが診断は終わり。早晩FCCにて今週溜めた新聞読む。日本の新聞は字が大きくなればなるほど内容が薄くなったが総合紙という立場で誰が読んでもわかる平易な内容に陥ったことが欠点。中学卒業の読解力で読めねばならぬらしいが誰が読んでもわかる内容、しかも知ってる内容ならわざわざ時間割いて新聞など読む必要もない。わからぬことをきちんと分析して教えてくれこその新聞のはず。で香港で新聞を読めば少なくともIHTやSCMP、信報を読むには時間を要す。ハイボール三杯飲みさすがにちょっといい気分で帰宅。有機野菜づくしの夕食。菊正宗。マッカランをちびちびと遊び部屋の片づけ。
▼東京ファシス都からのお知らせ。都議会で都知事が「教育公務員として職責を果たさない教員の責任を問うことは当然」などと述べ入学式や卒業式で国歌斉唱などに反発する教員などを厳しく処分する都教委の方針を「妥当」と支持した(都新聞)のは、子飼いの都教委の方針だから寧ろ支持しないほうが可笑しい話で当然だが、それにしても恐いのは都知事本人より「その意で爆走」する都教委。教育長は国歌斉唱時などに多くの生徒が起立しなかった場合「他の学校が同様の事態にならないよう、今後は通達で生徒への適正指導を求めていく」として、校長の権限で出す職務命令についても、教員個人に命令を出さないなど出し方に課題があると判断すれば個別に校長の指導を徹底。都立学校の校長支援のため都内6カ所に学校経営支援センター設置し学校の運営状況や人事管理、予算など指導、把握。教員の管理ばかりか生徒へのこの思想統制。若者よ、石原某を都知事に選んだ大人を信じるな。それに間違っても靖国で「石原ーっ!」などと声援おくらぬように。君たちの未来は、もはや君たち自身が叛乱、革命を起こさないかぎり救われぬ。立川反戦ビラ配布では一審無罪の市民運動家(テロリストか、今の時代なら)3人に東京高裁(中川武隆裁判長)が逆転有罪判決(都新聞)。一審判決は「被告らの行為は住居侵入罪に当たる」としながらも「憲法が保障した政治的表現活動で、放置状態の商業的宣伝ビラ配布より優先される」と判断。「態様も社会的相当性の範囲内。被害の程度も極めて軽く、刑事罰に値する違法性(可罰的違法性)はない」として無罪。ビラの配布先は自衛隊宿舎だったにせよ、たかだかビラ配布。エロの風俗ビラだのには甘く「政治的」ならこのご法度。恐ろしき警察国家なり。米国では精神病の男が飛行機内で発狂し「爆弾をもっている」と喚いただけで妻が「この人は病気なの」と叫んでも米国人はスペイン語など解せぬから機内の保安官に夫は射殺される悲劇。東京都の国旗国歌での強制も市民運動弾圧も、そしてこの精神病患者の誤殺も根本的には同じ病理。南無阿弥。
▼信報八日の林行止専欄は秀逸。言われてみれば誰もが疑問のWTO閣僚会議について。まずなぜ香港か。経済低迷にあって安易な期待は国際会議開催での旅行関連での収益増。96年だったか世界蔵相会議開催し大成功。当時の日本の蔵相は羽田孜君。香港には愛着あるらしく先日も香港で開催の日本の祭に来賓として参加していたが会場で「あ、あれ、誰だっけ、ほら省エネルックの人」と言われていたのを耳にする。首相であったことすら覚えておられぬ不幸。だが大平首相時代の省エネルックはかなり鮮烈なる印象か。あの失敗に比べ小泉クールビズの成功。閑話休題。その国際会議開催で収益があがり国際経済都市としての香港のイメージアップ狙い。安易。96年の蔵相会議と今回の大きな違いは当時も各国蔵相の集合に警備こそ強化されたがWTOの如く反対示威者が世界中から集結して「狼藉」働く危険はなし。平和な20世紀。それが今回は英国首相ブレア君が「世界中をまわるサーカス」と形容したほど半ばプロの反貿易自由化の大群が香港に集結。「過剰な」警備にかかるコスト、地域の商業や金融から旅行業にまで与える損益、一般の旅行者の香港回避、公共交通機関の営業中止にまで至る市民生活への不便、抗議暴動での危険性……小学生でもこの国際会議開催が収益より損失多きことは明らか。そして疑問はその半プロ化した抗議者らはどうして世界から集まれるのか?の疑問。本当に彼らがグローバリゼーション、南北問題の犠牲者であれば香港まで抗議に来るのも難儀ではないか、と。だが現実は「反グローバリゼーション」ぢたいが大きなビジネスになっていること。例えば「グリーンピース」であれば世界各地の都市に支部を置き船舶や飛行機まで有する組織は専門の財務担当官まで働く。もはやグローバルな巨大企業と同じような形態。その反対団体が組織化されるとInternational Forum on Globalizationのようにマーケティングすらされており、これと商業企業との違いといえば、企業が製品やサービスを売るのに対して、反対団体は「グローバルなビジネスは制約を受けるべきである」という理念を広めること、と林行止氏の指摘は手厳しい。そして林行止は「蛇無頭不行、人無銭不行」と見事に喩えるで誰が抗議活動に資金を供すのか、に言及する。例えばFoundation for Deep Ecologyという団体。元々はNorth Faceというアウトドアウェアの会社であったが68年に母会社売却した資金で自然保護の財団を創立し80年代には運用額が10億米ドルに達す。02年には5,200万米ドルの運用資金有しチリに所有の1,042平方マイルの原始森林(ちなみに香港の面積は412平方マイル)をチリ政府の自然保護区に寄贈とか。この財団が世界各地の自然保護団体に資金提供。TANSTAAFL(There Ain't No Such Thing As A Free Lunch)で反グローバリズムの運動家も給与所得を得て、の活動となる。だがそういった基金とて提供できる資金には限界があり、それを補うのが例えばInternational Solidarity Fundsなるもの。例えばオランダの労組連合の国際連携部はオランダ政府から97年に675万米ドルの資金提供を受けドイツ政府の労働運動への資金提供は97年に5,000万米ドルに達しスウェーデンノルウェイ政府は労組連合の八割の資金提供を約束させられカナダでは労組が反グローバリズム運動に1ドル寄付する場合、政府が3ドル寄付の確約が実行されている。政府とグローバル企業の連携によるグローバリゼーションへの反対活動に政府資金が投入される面白さ。
朝日新聞に「東アジア共同体は可能か」というテーマの論壇あり青木保・法政大学「特任」教授が東アジアの文化交流を語る。
中国の映画監督チャン・イーモウ高倉健が傘下し、中国の女優チャン・ツィイー鈴木清順監督の映画に出る。これほどまで相互乗り入れ的な文化交流が見られるのは、地域の歴史上、初めてではないか。
初めてではない(嗤)。政治背景はどうれあれ李香蘭もあれば宝田明の映画はどうなるのか。当時、香港や台湾の映画制作に携わった映画屋は少なくない。それに加え特任教授は、この交流の積極化について
この変化を担うのは、80年代以降に各国に登場してきた都市中間層である。彼らは国際性を備え、高学歴で、宗教や文化の垣根を超えて思考でき、趣味や関心を共有する。
アジアの「交流」の変化を担うのは特段、都市中間層だけではない。むしろ都市中間層などたんに海外旅行するだけで、一概にそれを国際性とは言えず。高学歴なら文化交流するわけではなく、宗教や文化が垣根とは。宗教や文化は異なるからこそ異文化間の<交換>が発生する。都市には国境を越えた出稼ぎ者も多い。むしろ「意識した」国際性もなければ学歴も低く否応なく宗教や文化のギャップに対峙する、この国際労働力もアジアの交流の重要なファクターのはず。
広東省汕尾市で発電所の建設計画に抗議の地元住民に武装警察が催涙弾を発砲し住民8人前後が死亡(朝日)。発電所建設計画は地元住民の了解なし、予定地近くで漁業営む住民らにほとんど補償費が支払われず。しかも政府関係者が補償費を着服の疑いあり。最悪。
▼ジョン=レノンは中国語では(香港では)約翰連儂。ジョンの約翰は聖約翰(聖ヨハン)につながる美しい語だが連儂はいただけぬ。儂はあまり馴染ない字だが小林よしのりの「ワシは……」のワシ(儂)で、連儂では「ワシが、ワシが」と下品に五月蝿そう。約翰禮能くらいが美しいかしら。
シンガポールで絞殺刑に処された豪州籍青年。遺体はメルボルンにて荼毘に付され豪州首相は追悼に涙する。かつて中学生の頃に地理の授業で豪州は白豪主義をとり人種差別国家と覚えたがベトナム系の青年の命の尊厳に挑む国家の現姿。気がつけば日本のほうが在日韓国人だの中国籍に差別的かも。

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