富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-12-03

十二月三日(土)晴。朝六時半に起きて諸事済ませZ嬢と九時前に中環のマカオフェリー埠頭。09:15のフェリーの乗船券ながら9時のフェリーに乗船し一路マカオマカオの埠頭に続く沿岸はかつてはマンダリンオリエンタルホテルだけが大きく見えたものが今ではSand'sのカジノ娯楽城が大きくそびえマンダリンはその影に隠れ一帯は「世界の窓」かテーマパークの如し。桑港のFisherman's Wharfだか真似た飲食店街も出来るそうな。埠頭からタクシーですっかり埋め立てられた、かつての南湾の湾岸線を走り西湾大橋を渡りタイパ島に渡り今回のマカオラソンのご指定ホテルである皇庭海景酒店(Pousada Marina Infante)に投宿。これまでマカオラソンの際はHyatt Regency Macauに宿泊していたが今回も予約の際にふと朝食のことが気になり確認すると「朝7時から」と。朝7時にマラソン開始だが「今回はその催事のオフィシャルホテルではありませんので」と素っ気ない返答。クラブフロアに宿泊するのだからせめてパンと珈琲だけでもクラブラウンジで食せぬものか、と求めれば「ルームサービスでどうぞ」は勿論、有料。朝食が提供されぬことより宿泊予約のマネージャーのあまりの無礼に予約取り消し。でこのPousada Marina Infanteに部屋をとったが実はあまり期待もせず。しかし到着するとフロントの係員の対応がお見事で部屋は十時半だというのに高層階の角部屋を宛てがわれ宿泊の案内も全て怠りなく朝食は3時30分から可、と驚くばかり。部屋で荷物片づけ、すぐに歩いて10分のマカオ運動場に向かう。自分のゼッケン受領のためだが出場登録依頼されたO氏とI君の代理もあり。かなり要領のよろしくない受付で混雑もしておらぬのに30分かかり登録完了。ゼッケンやレース資料など置きに一旦ホテルに戻り昼にタクシーでリスボアホテル。フランス料理のRobuchonにて昼食。食前酒にドライシェリー。明日がハーフとはいえランニングあるのでお酒は控えめに白のグラスワイン。この季節ですから、とトリュフをのせたフォアグラ(これで明日、走るつもりか)、スコティッシュサーモン、ゴートチーズをZ嬢とシェアして前菜。主菜は牛肉とキノコ各種のソテー。赤葡萄酒もグラス一杯のみ。デザートは秀逸なるナポレオンケーキにジンジャー味のバニラアイスにラズベリーを沢山添える。香港ではどの料理屋にもない美味いエスプレッソまで満喫。但し隣卓に今回は隣卓に「土地乞食」と綽名したほど浅ましき不動産投資の守銭奴が居合わせ品がない上に大声で投資話。香港のこの土地乞食が中国の、どう見ても田舎のオバサンだが、どういう素性か知れぬがかなり資産家らしいオバサンと、食事中も耳に携帯の藍牙(Bluetooth)の子機つけたまま!のオバサンの息子かツバメを接待。尖沙咀の東英大廈の建替えで3億ドルが云々、中環のIFC向かいの土地の投資話は30億ドルで云々とまぁ食事中に延々と土地投資の話題ばかり。話に教養も知性も感じられぬバカ丸出し。店に現れた時から大声で携帯電話も店の黒服に「店内は携帯はご遠慮を」と注意されたが食事中の携帯も黙認されたのは昼から1,500パタカの10品だか延々続く「一口御膳」をご注文ゆえホテル側も背に腹は代えられず(嗤)。話は否応にも耳に入るが話ではかなりみずからの投資額の大きさを語るが新聞などで見たこともない顔。表には出てこぬ隠れた有資産者かも知れぬがバカ丸出しで見ているほうが恥ずかしい。汗ばむ暑さのなか歩いて荷蘭園の大通り。リトル=バンコクの如きニ馬路。鐘民偉君の営む石頭店を覗く。塔石藝文館では「当代都市影像的可能性研究」(Pele da Cidade, Imagens da Metropole Contemporanea)なるマカオ市内のいくつかの芸術施設をリンクしたビジュアルアートの展示イベント開会セレモニーの最中。大気汚染かなりひどいなか散歩続けてGuia Hill(東望洋山)の麓のニ龍喉花園。小さな動物園あり猿や熊を眺める。何処に行っても動物園は必ず散歩するがマカオはこれだけ何度も訪れていて初めて。オモチャのようなロープウェイで東望洋山の山頂、といっても標高90mでマカオ本土?では最も標高がある(ちなみにマカオ最高峰は夏に「登攀」のコロアネ島の170m余の山頂)。でマカオの市街一望。大砲がサンズなどカジノ密集地帯を向いている。ポルトガル軍が19世紀から1930年代まで断続的に建造の地下壕も見学。夕方。崗を下り復たニ馬路から望徳堂坊、ポルトガル総領事館裏、医院後街を抜け観光客でごった返す大三巴の麓から果欄街。この狭い通りには骨董品屋や古本屋などが集まり何軒か覘く。ロンソンのかなりおしゃれなライター見つけるが化粧箱まで美装なのにライター自身の機能が壊れており飾り物にしかならず。日暮れ。いつものパン屋でパンを購い午後六時すぎに新填巷の北京水餃店。美味い。美味いからこうして何度も訪れる。店内の店の紹介の看板の書き出しは
提起餃子自然想起了北京、因為餃子與京劇都是北京的特産、都是国粋、其中包含了濃厚的中華韻味……
とあり。店主の何とも言えぬ努力と自信、研鑽がこの文章の意欲に漲る。
餃子といえば自然と思い起こすのは北京。餃子と京劇はいずれも北京名物、これが国粋というもの、それには濃厚な中華の韻味(何と訳す?)が含まれ……
と。この文中の「国粋」がいい。日本ではこの言葉、国粋主義などという偏狭な意味にしか用いられるが、もともとは水前寺清子的に「ボロは着てて心は錦っ〜」が粋というもので助六の出立ちが江戸の粋であり四季の美しさを言葉に編むのが日本の粋。北京の餃子と京劇が、これが国の最も粋なもの、と言い放ってしまうところに国粋という言葉も生きる。言葉が生きている。で餃子満喫。この店、スープに麺、それに餃子五個のセットディナーが8パタカ(110円)。安くて美味い北京の餃子。餃子20個に坦々麺、野菜に麦酒1本とかなりそれなりに食したが計算してみると一月=30晩、毎晩これだけ食べても今日のお昼の一回のおフランス料理のほうがまだ値が張る。価値とは何なのだろうか。それにしても観光客あふれむばかりのマカオ市街。議事堂前広場は立錐の余地もないほどの人出。晩になるとタクシーつかまらぬと劉健威氏や蔡瀾氏がこぼしていたが本当の話。新馬路からバスでタイパ島に渡り運動場で降りて歩いてホテルに戻る。タイパ島もハイアットの周辺もかつては閑散としていたのが賑やかで驚く。ホテルに戻ってもまだ七時半。サウナに浴す。
シンガポールチャンギ空港でヘロイン密輸の現行犯で三年前に捕まったベトナム系豪州人の25歳の青年が昨日、絞首刑。豪州政府や人権団体が懸命にシンガポール政府に死刑取り消しを嘆願するがシ政府は厳罰の原則崩さず死刑執行。15グラムのヘロイン所持で極刑のこのお咎め国家にカンボジアから396グラム(末端価格で100万豪ドル)のヘロイン持ち込んでは「殺してください」と自殺志願、シンガポールにしてみれば「カモネギ」の如し。青年は負債かかえた弟を助けるために麻薬密輸志願と供述。ヘロインのような「人生の化学調味料」には個人的には反対したいが、それにしても、なぜ麻薬密輸にシンガポールなど飛行機のトランジットに選んだのか。せめてプノンペンからバンコクか、ジャカルタでも経由すればよかったものを。青年の故郷であるブリスベンでは教会が追悼に鐘を25回鳴らし市民が集まり追悼会。シンガポールではこの14年間に420人が死刑執行。豪州政府は非人道的と強烈に非難。だが昨日、1976年に最高裁判所が死刑再開に有効を示してからちょうど1,000人目の死刑執行された「シンガポールよりさらに極悪非道」なのが米国。南無阿弥。

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