富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月三日(木)曇。毎週木曜朝は小泉メールマガジン読むこと日課となる。新内閣発足で小泉三世の弁舌も滑らか。それにしても得意の外交については「中国、韓国をはじめとする隣国との友好関係、アジア、アフリカ、EU、世界各国との国際協調を実現していくために、努力してまいります」と、それだけ。隣国との友好関係実現のため何をどう行うのか具体的な主張など当然、ない。この人らしさ。早晩に銅鑼湾の香港中央図書館。建物の品のなさ、無意味な巨大な吹き抜け(つまり利用面積の欠乏)と動きづらいフロア設計で殆ど利用せず。とにかくフロアが上下移動強いられ而も参考図書(リファレンス)が8階なのに5〜7階が閉架式書庫というUser Unfriendlyな設計はお見事。そのフロア移動もエスカレータ使うと各フロアをぐるりと回る設計で閲覧机の横をたくさんの人が通り過ぎるので落ち着かないしバカに明るい照明も不快。電脳多く宛らネットカフェの如し。98年だかの開館以来三度目(初回は開館後の見物、二度目は03年の7月1日デモでトイレ借用)の来館の目的はG階のギャラリーで開催されている「往日京華……首都図書館歴史写真珍蔵展」参観が為。G階のギャラリーはG階のため直接入れるのが嬉しい。北京首都図書館の収蔵写真は凡そ百年前の清末から民国初期のもの。二百葉ほどの展示は圧巻。だが残念なのは写真ぢたい複写(而も印画にあらず印刷)であり光の光沢がないところ。まだ城壁が取り壊される前の旧市の様子。北京の面白いところは何といってもいわゆる「支那趣味」でなく清朝の異様さ。映画『ラストエンペラー』でベルトリッチ監督はその清朝の文化的異様さを「これでもか」と演出していたが華中、華南から見ると「どうにもしっくりとこない」あの雰囲気こそ北京。先日この日剰にて上海の聖約翰大学のことに触れたが北京には羅馬カソリックの輔仁大学あり。1925年に輔仁社として成立し翌26年に大学となる。1952年に北京師範大学に吸収合併。この輔仁大学の写真もあり。四年前の秋に北京マラソン(ハーフ)のため赴京のおり郭沫若梅蘭芳の故居を参観し護国寺街を歩き、この旧・輔仁大学の校舎見学したが、その現存する建物よりずっと古い校舎写真を眺める。市街写真ばかりかと思っていたが京劇の写真も少なからず。梅蘭芳の師匠が王瑤卿(1981〜1954)で王瑤卿は「梅尚程筍」と称された四大名旦の女形を育てる。その筆頭が梅蘭芳で、尚小雲、程硯秋、筍慧生と名を連ねるが梅蘭芳以外写真を見たこともなかったが王瑤卿を囲みこの名女形四人が並ぶ写真もあり。また張作霖の誕生日に北京の奉天会館なる場所で誕生祝賀の上演あり「六五花洞」の衣装でこの梅尚程筍に筱翠花、徐碧雲と六人の女形がポーズとる写真も圧巻だった。日暮れも早い。整備され「闇」のすっかり欠けたヴィクトリア公園を抜け関西料理・利休。バンコクから来港中のY氏、Z嬢と食す。酒は薩摩串木野芋焼酎海童。最後にきつねうどん。いつものパターンだと銅鑼湾でバーYとなるが天后ということもあり睡魔にも襲われ帰宅。
▼築地のH君の話で少し述べたパレスチナの映画は『アルナの子どもたち』で監督がアルマの息子のジュリアーノ。イスラエルによるジェニン侵攻。ゲリラとして戦闘死した子、テルアビブで自爆攻撃をして死んだ子。撮影中も戦死する子がでる。築地のH君からの話は「アルマがつくった学校は意味があったんだろうか?」という問い。なんのために子どもたちは学んだのか?兵士として死ぬためか?結局アルマの仕事は無駄だった、という意見も出る。結局テロリストを養成するだけだったのではないか、と。満足に学校に行けない難民キャンプの子どもにとって、アルマの演劇学校は唯一かけがえのない「学びの場」だったがジュリアーノによれば「そこで学んだ子どもたちは、自然とリーダーシップを身につけ、抵抗勢力の中核へ成長したのは自然なこと。もちろん戦争をするために学んだわけではない」と語る。「子ども=未来の希望」みたいな図式が完全に破壊されつくした世界。森達也は先の総選挙の結果にも触れつつ「ほんとにもう、どこにも希望はないよね」みたいな悲観をつぶやくとジュリアーノはそういう語り口を拒み「われわれには希望に対してシニカルに語る権利はないのです」と語ったそうな。
▼孫引きになるが立花隆氏が週刊文春で紹介する岸田秀三浦雅士靖国問題精神分析』で三浦氏の語りが凄い。
ヒトラーをはじめゲッペルスとかあのへんをぜんぶ祀って、『俺たちはドイツ国民なんだから、お参りする。これは俺たちの勝手だろ?』ってやった場合、隣近所の連中がどう思うかですよ。小泉首相の論理は『もう謝ったじゃないか、金も払ったじゃないか。ヒトラーだって気の毒だ。罪を憎んで人を憎まず』という論理ですよ。それを言ってもいいのはユダヤ人であって、ドイツ人じゃない。(略)それと同じことを小泉純一郎はしているんですよ。『これは内側の問題だから、ヒトラーを祀ろうが、勝手じゃないか』というのは盗人猛々しい。だって、隣の家の不良の息子に自分の家の娘が犯されて殺されちゃったと。不良の息子が死刑になって数年後に、隣の家でそいつの等身大の像を作って拝みはじめて、『いやこれは今後こういうことが起らないように祈っているんだ』とか名にとか言っても、これはぞっとする。(略)東条英機のことを拝みたいなら自分の部屋で拝んでほしいよ。趣味の問題だからね。ヒトラーのことを好きだっていう人もいるわけだから、それはしょうがない。でも、それを国家的な事業にしてはいけない。
これを受け立花氏も「小泉は選挙に大勝ちしたおかげで、いまや、何をやっても許されると思っているのだろうか。それも日本人代表みたいな顔をして」と述べ「私は三浦の意見に賛成である」と結んでいる。この立花氏の考えが常識的だろう。が今の世の中は「何がわたしが悪いのよ」で、自分のどうしようもない部分を棚に上げて周囲の所為にして自分を正当化することだけに熱心な社会になってしまった。そこでは小泉三世や安倍新造のような、その国民の意思を体言する政治家が持て囃される。

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